日常の裏に起こっている人類の悲劇 | 好き勝手にやらせてよ

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周知の通り、先日、フランスでISによるテロが起こった。爆弾や、銃撃により、多くの人にとっての日常はものの30分間で非日常と化し、多くの尊い人命が失われた、まさに悲惨な事件であり、痛ましいことである。人類が共存し幸福になるための権利をお互いに尊重しあい、行使していくためには、平和というものは不可欠であり今回の事件に限らず、テロリズムというものは、人類のもつ権利の根本を揺るがすものであると言える。月並みな言葉となってしまうが、テロリズムは人類の敵である。フランスでの犠牲者の方々には心から哀悼の意を表すところである。
今回、この事件は多くの人々にショックを与え、反響はとてもおおきい。しかし、人々のリアクションの仕方に、自分はいささか違和感を覚える。Facebookでは自分のプロフィール写真にフランス国旗をかぶせ、この事件の犠牲者に特に哀悼の意を示すという動きがでている。なるほど、こういったことにより、平和の輪を広めていき、フランスでの犠牲者の方々を追悼するのとともに、テロリズムに対しての批判をみんなでしていき、最終的にはテロのない世界をめざそうというところであろう。
しかし、このやり方はどこか安易な気持ちのもとで行われていないのかという考えが自分の中である。人間の心理としてよく見られる、流行にながされ、それらしい理由をつけて、自分もその輪に入ろうというものでもあろう。これは他のものであれば個人の自由で何の問題も無いが、今回のようなことに対して、そのような心理が働き、安易にさして何の考えもなくそのような行動に出るのはむしろ、人命への侮辱であるとともに、本質を理解していない平和ボケした人々のお遊びであるとも言えるので、テロリズムを本当の意味では批判してるようには思えない。
この意見への反論として、偽善であると騒ぎたてなにもしない人の方が悪である、といったものや、世界にもっと目を向けるべきであるというものが多かったような気がする。

しかし、いわせていただきたい。あなたたちはいままでに起こった数多くのテロリズムに対して一度でも真摯に目を向けたことがあるだろうか。先進国側の外でのテロリズムについてあなたたちはなにを感じてきたのか。あわや、フランスでのテロが人類最大の悲劇かのように哀悼の意を示すのは結構だが、あなたたちは先進国によって中東地域で誤爆された病院の生命に対しては哀悼の意を払ったのか。一人のトルコ人のパイロットがテロリストによって惨殺されたときに、あなたたちのどれくらいが胸を痛めたのか。日々紛争や過激派によって家をおわれている人々が存在しているということをあなたたちのどれくらいが意識をしていたのか。
人類の悲劇は毎日起こっている。あなたたちは生命の数、身近かそうでないか、一回での被害の規模、そんなものを物差しにして失われたどれも平等であるはずの命に価値の違いをつけているのではないのか。そのようなことをしている人の方が偽善者と騒ぎ立ててなにもしない人間よりもタチが悪くないのか。人に世界を知ることは大事だと諭している自分は、いろんなことに目をつむって無視をしてきてはいなかったのか。
そういうことも考えて、フランスに対しての哀悼の意を示して欲しいと思う。