11月26日が母の亡くなった日だ。今もその日のことを鮮明に覚えている。昔のブログにも書いたが土曜日で主治医もおらず、いとこもお見舞いにきていたけど、婦長さんも電話かけると出て行き、さっきまでいた父親は自宅に帰り、広い病室で母と二人だけになった。静寂が訪れた時、たった一人で母を見送った。
今でも忘れられない光景だ。

(私のブログは長いので読み物として読んで頂ければ)
そしてもう一つ子供の頃の母の忘れられない光景がある。
小学1年の冬だったろうか、私はおしっこをした時痛いなぁと感じていたが何日かして最後に血が出てきた。血尿だ。そして何度もトイレに行きたくなり激痛が走った。今ではそれが膀胱炎だと理解できるのだが、当時はそんな知識もなかった。
母が姉を出産した後、父のことで悩み吐血、下血した時通っていた医院にバスで通っていた。
今ならよい抗生剤もあり数日で良くなるんだろうがその時は注射もされず果たして薬ものんでいたのか?覚えていないが血尿がでるので腫瘍も疑わなければならない。膀胱の触診があった事だけははっきり覚えている。
熱はなかったと思うので腎炎まではなっていなかったと思うが、とにかく膀胱が刺激されるので尿意が頻繁に起こり夜中も何度もトイレに行きたくなる。

当時夜は一人でトイレに行けず、母はトイレの付き添いの為寝る事が出来ず掛布団を半分に折った上に体を乗せて寝ずに一緒にトイレの度についていってくれた。感謝しかない。その掛け布団に体を折り曲げて座っていた母親の光景が今でも忘れられない。
その間ずっと学校は休んでいた。
そんな中、母の高校時代の同級生の新年会が毎年あり母は欠席はせずにその新年会に私を連れて参加した。中華料理のお店だった。好き嫌いがありほとんど食べれるものがなかったが、まだ頻繁に尿意が起こるのでトイレに何度も行く。
その中華料理屋のトイレは厨房の前を通ってトイレにいく順路で、そこの大将が「何度もトイレにいくの、この子どっか悪いのと違う?」と言われたことも覚えている。
母にずいぶん心配かけたと思うし、今では痛みが出たらすぐに水分をしっかり取って抗生物質を飲むことは知識として持つことができた。


母が姉を出産後、姉が何ヶ月の時だろうか?(私が生まれるずっと前)あの頃は最悪だったと言う。一人で生きて行こうと姉を手放すことも考えた事があったと母から聞いた。
吐血と下血で苦しみ育児が出来ずその間伯母が赤ちゃん(私の姉)の世話をしていたが市販のミルクを飲まず苦労したと後年伯母から聞いた。

その伯母も母よりも30年以上長生きし、2年前、長寿を全うし亡くなった。

母に寿命10年分けてほしかった。