二度迷子になり、奇特な人たちのおかげで、すぐにみつかり迷子も軽症で済んだ。
だが、一年後、1999年の8月18日、父の事件が起きた。

自転車がパンクしたので自転車屋に預け、パンクを直してる間、買い物してこようと、父を自転車屋の前にあった大阪市バスのバス停のベンチに座らせた。これがいけなかった・・・
20分ほどして戻るとバス停にすでに父の姿はなかった。

すぐに周辺を探したが見つからない。今回は、これまでのような僥倖も望めそうにない。
夕方になって自宅に帰り警察に電話した。「二時間ほど前ならもうすぐ帰って来るでしょう。」と真剣に取り合ってくれなかった。

とりあえず写真を持って警察に届けを出しにいった。しかし警察は、探してもくれなかった。
こんなものなのか?自分で探すしかない。


そして義兄の車でいなくなった周辺を探した。
子供なら迷子になって泣いていたら、誰かが対処してくれるが、まだ70すぎの父を誰も迷子とは思わない。厄介なことよ。
探したが見つからず仕方なしに自宅に帰った。

とりあえず大阪市交通局(市バス)に電話してバスに乗った可能性があるので、その時間帯に、父のような老人を乗せてないかと尋ねたが、その時間運転していた人は明日は始発で朝早くてもう寝ているとのことだった。

このまま見つからなかったらどうしょう・・・お父ちゃんにまだ何もしてあげれていない。と自分の不注意さを嘆いた。
夜中に雨が降ってきた。お父ちゃんどうしてるんだろう・・・一人ぼっちで可哀想に何処に居るんだろうと思うと、また涙が出てきた。

まんじりとも出来ずに朝を迎え、市バスにもう一度電話したが、やはりそのような人は、見なかったと言う。

大阪市バスは、70歳以上は、フリーパスで乗れる。父は財布を持っていなかったが、乗れてしまったのだろう。
私鉄バスなら無賃乗車でうちに電話がかかってきた可能性もあるのに。
皮肉なものだ。

ウトウトしていたら電話がかかってきた。救急隊員からだった。
「お父さん、○○区の工場の敷地で倒れていました。」びっくりしたと同時に見つかったことにとても安堵した。
「意識はあるから心配しないでください。自分で家の電話番号と家族が居ると言われました。どこの病院に運びましょうか?」とのこと。ちょうど怪我で通院していた近くの救急病院に搬送を頼んだ。

すぐに病院に行って待ってたが救急車の到着は時間がかかった。
救急隊員にお話を伺い、朝出勤した工場の社員の方が倒れていた父を見て救急車を呼んでくれたらしい。
この方にお礼を言いたいといったが、「もういいでしょう」とのことでお礼も言えないまま過ごしてしまった。
その方にもこの場をかりてお礼を言いたい。感謝です。ありがとうございました。

病院の処置室で父を見ると元気そうで、不安な様子もまったく見られず安心した。
こちらの心配をよそに案外ケロッとしていたのには救われた。

一通りの検査を受けた。前日の昼食以降何も食べていない。そして真夏の暑さ。血液検査の結果、血が濃くなり脱水ぎみであったそうだ。
念の為、その病院で一泊だけ入院することになった。
十二指腸潰瘍の為、胃の切除手術をして以来16年ぶりの入院だった。
父と二人きりになって初めての入院だった。