こんにちは、
今回は、記事と動画の編集が早々と終わりましたので更新いたします。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210508/08/gmgwwmd0/50/47/j/o0976108014938545128.jpg?caw=800)
今回訪れたのは 京都府。
数年前の兵庫県の鉱山調査時に京都府にも調査へ入る計画でしたが事情が重なり断念してました。
久々関西地区という事で断念していた京都府から始めようかと考えております。
初めに京都府 舞鶴市 吉坂という場所に到着。
ここまで福岡県から約8時間かかりました。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210508/08/gmgwwmd0/d9/f0/j/o1080060714938545138.jpg?caw=800)
さて、現地に到着。
ここは、新道と旧道が隣り合わせで通っている。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210508/08/gmgwwmd0/9f/35/j/o1080060714938545146.jpg?caw=800)
入口付近にコンクリート製の建造物。
仕切りが何枚もあり、これは旧炭鉱の遺構なのだろうか?
大きさを測り骨材の大きさや何を使用しているか
型枠の跡の長さ幅を測る。
結構昔の物のようだ。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210508/08/gmgwwmd0/6e/36/j/o1080060714938545151.jpg?caw=800)
そこからすぐ奥には、高く聳え立つボタ山が残っていた。
斜面は、草木の緑以外は真っ黒である。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210508/08/gmgwwmd0/64/0f/j/o1080060714938545158.jpg?caw=800)
全体写真ではわかりにくいかと思われますので散乱しているボタを撮影。
このようなボタが広範囲にゴロゴロと転がる。
ここが炭鉱だったとう証の1つ。
自然には、このような大量のボタが散乱したり、積み上がったりはしない。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210508/08/gmgwwmd0/89/0d/j/o1080060714938545164.jpg?caw=800)
更に奥に進む。
えっ…
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210508/08/gmgwwmd0/e4/30/j/o1080060714938545173.jpg?caw=800)
一瞬驚いたが、さすがにこの大きさの坑口は有り得ない。
旧道の旧隧道だった。
こちらも古い隧道のようだ。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210508/08/gmgwwmd0/38/54/j/o1080060714938545187.jpg?caw=800)
隧道を出て360度見渡す。
見渡す限りボタ。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210508/08/gmgwwmd0/2f/df/j/o1080060714938545195.jpg?caw=800)
石炭は無いのか?
と、石炭を探すとやはりボタの中には石炭が混ざる。
しかし、よく選炭しているのか石炭の割合が非常に少ない。
割合の少ない石炭だがキラキラとしている。
かなり高品質な石炭ではないだろうか?
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210508/08/gmgwwmd0/2c/bb/j/o1080060714938545208.jpg?caw=800)
広範囲に調査を行うが遺構や坑口など他の物は、見られなかった。
最後にボタ山の頂上に立つ、高さ20〜30mはあろうか短期間の操業と聞くがボタ山の高さ面積を考えると大量に採炭している事がわかる。
この炭鉱の詳細は、わかっていないが戦後に閉山したと聞く。
そして、産出していた石炭は無煙炭だという。
この京都府旧吉坂炭鉱の動画はこちら。
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