旧美福炭鉱? | 鶴嘴さんのブログ

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全国の旧鉱山や旧炭鉱の調査を行っております。


皆様、遅ればせながら新年あけましておめでとうございます!

今年も何卒よろしくお願いいたします!

さて、今年も年始から鉱山調査へでかけたのですが今回の記事は、去年秋に向かった山口県美祢市の炭鉱跡になります。

1時、コロナの影響で調査は控えてましたが自分が行く所は山の中なので人の居ない山中のソーシャルディスタンスって何だ?

と考えました。

そのような事で自宅から山の往復は、直行直帰する事と聞き取り調査は、中止する事を厳守して調査を再開しました。

さて、本題ですがここは、以前調査した場所。
(簡単な炭鉱配置図)

もう一度見たい鉱山、炭鉱シリーズ内で再訪しました。

神田炭鉱に再訪しましたが草木が刈られ登りやすくなっておりました。

そして、以前見られなかった遺構にも遭遇。

鉱区を隅々歩き終えたのは昼過ぎだったので、

ふと、思い出す…

竜現地や神田は以前訪問したのだが、
周辺にはまだ炭鉱が操業していたと手元の資料にはある。
(資料、むえんたんから)

以前、記載したように竜現地と神田は同じ経営者であり、美福も神田炭鉱の支鉱のようだ。

そして、於福や太平野の情報は今だわかっておらず美福の情報は少しながら得ていた。

時間も早いので日暮れまで美福炭鉱跡を歩く事にした。

美福炭鉱跡は、神田炭鉱跡から下流側の対岸。

入口には、崩壊した廃墟がある。

そこから、しばし登っていくと やはりボタが散乱していた。

黒い石は全てボタである。

ボタが散乱する下には小さな小川が流れているので水質を調べた。

少し赤みがかった色、臭いは無臭であった。

ここが、炭鉱跡だという高い証拠となる。

更に登る。

左側に目をやると、ここは斜面一帯がボタ。

中には、石炭も含まれている。

登り詰めた場所には、大きな切り拓きがあった。

ここに炭鉱施設か何かがあったのだろうか?

右側、段々になった場所へと上がる。

ここは、石炭の比率が多い。

近くには、坑口なのか洞窟なのか定かではないものも確認できた。

切り拓きまで戻ると来る時には、気が付かなかった建物と軽乗用車の草ヒロを発見。

車種は、然程古くないので最近まで誰かが住んでいたようである。

しかしながら、コロナの影響は、こういうところにも大きく出る。

目で見た物が大きな証拠とはなりつつも、現地の方々にお話しを聞けなければ、それは完璧な調査だとは言えない。

早くコロナが収束する事を願いつつ半端な調査を終え帰路についた。