山口県 旧山陽無煙鉱業所豊浦斜坑続編 | 鶴嘴さんのブログ

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全国の旧鉱山や旧炭鉱の調査を行っております。

毎回のごとく、
皆様ご無沙汰しております。

鶴嘴屋店主のツルハシ(山尾)です。

今回は、またも以前訪問した鉱山や炭鉱の中で、
印象的であった場所を再訪してみるといったものである。

撮影機材も新しく、目も肥えてきた為にまた他の目線で見て歩けるかもしれない。

さて、今回は、山口県美祢市。

現在もセメント会社等が操業中、昔から現在も鉱山の街だという印象が自分はある。

ここ豊田町では、旧山陽無煙鉱業所各鉱が点在していた。

ここは、山陽無煙鉱業所豊浦坑。

初めは、山ノ神から歩こう。

山ノ神とは、各鉱山や炭鉱に必ずといっていい程あった神社である。

炭鉱会社や働く者が繁栄と安全を祈願する神社。

そして、山や野を鉱山開発で汚す事に対して山ノ神の怒りを鎮める為とも聞いた事がある。

先ずは鳥居、鳥居の柱には坑主や経営会社の名が彫られている所が多い。

ここには、日産山陽鑛業報國會と書かれている。

これは、昭和11年4月山陽無煙炭鉱は、日産コンツェルンの傘下に入っているので鳥居にこの名が見られるのだろう。

参道左右脇には灯篭が並び、その灯篭にも選炭運輸係一同や排水炭砿保安隊の名が見られる。

しかし…

有力坑だったのか…

立派な神社であった。

麦川の白岩地区にも山ノ神神社があったと聞く。

この豊浦山ノ神神社は、昭和14年愛媛県大三島の
大山祇神社御神体を勧請して建立された。

現在も後の炭鉱経営会社宇部興産㈱が10月に祭礼を行っているという。

山ノ神神社を後にして、豊浦斜坑がある場所に歩いて来た。

久しぶりだ…

と、門の奥に目を向ける。

「ソーラーパネル…」

ソーラーパネルが一面に設置されている。

現場は大丈夫だろうか…?

とりあえず、左側のスロープから登ってみた。

以前は、藪は無く本当に空地のようであったが、
胸の高さまで藪が繁茂している。

ここまで、変わるのか…

排気坑が全く見えない。

これでは、排気坑及び反対側の倉庫は、見られないかもしれない。

奥へ進むと…

豊浦斜坑(連卸)の背が藪から覗いていた。

無事だったか…

安堵する、
坑口前に登る。

こちらも藪に埋もれている、人々の炭鉱への記憶が薄れると共に藪が高くなっているという印象も受ける。

旧坑口は見れない。

実は、この斜坑は旧坑口に刺さるように新坑口が
設置されているという珍しい斜坑である。

その姿は、今回確認できないようだ。

坑口の正面を向く、こちら側には正方形の建物一棟、長方形の建物がニ棟くらいあったはずであるが建物の痕跡は無かった。

その建物は、詰所や巻上機の建物だったか?

この広い敷地内には総務事務所や安全灯室、浴場などもあったと聞く。

広い広い敷地内を見渡す。

不自然に白い物がポツンと転がる。

ひっくり返すとそれは、鉱員さんの安全帽であった。

安全帽の鍔の上には安全灯を装着する金具がついている。

安全帽には、顎紐が通せる穴があり、現在では見られない形の安全帽だった。

他にまだないかと広範囲に見渡すと、シャベルが錆び朽ちている。

柄の部分は、木製なので完全に朽ちていた。

注目するのは、シャベルのサイズ、普通土木で使用されるシャベルのニ回り程小さい。

狭い場所で邪魔にならない、振り回しのいいサイズである。

最後にワイヤーなども見られた。

これは、4〜3分程のワイヤーである。

一本吊りで約1.2〜0.8t吊り上げが可能な太さであり、二本吊りで最高約2〜1.5tの物が吊り上げ可能である。

連結の炭車や人車等は、滑車などで分岐しないと引っ張りあげられないだろう。


さて、今回の山陽無煙鉱業所豊浦斜坑は、写真枚数の関係により。

採炭場、住居商店街と2部で更新しようと思う。


つづく…


この山陽無煙鉱業所豊浦斜坑の動画はこちら。