旧三菱 上山田 炭鉱 (証言)久々に筑豊地区の旧炭鉱町へと来た、ここは 旧三菱 上山田 炭鉱 第一区。奥は 第三区。この更に上は 旧第四区。四軒長屋が主である。地区の名前に三菱の文字が残っていた。今も多くの方々が長屋で生活をしているようだ地区の入口には 店舗の建物が残る。店舗は 営業されていないが建物の古さが歴史を物語っているようだ。北側にも炭鉱住宅が建ち並んでいる。歩いて行くと 畑の中で佇んでいる ご老人がいた話を聞くと 父親が旧上山田炭鉱で働き、自らも旧三井山野炭鉱で働いていたという。この町の事にも詳しく 色々と話してくれた、一枚目の写真は ボタ山で燃ていたボタを拾ってきたようだ。二枚目は バック(共同炊事場)の基礎が残る。東側 ボタ山の方向には バックネットつきのグランドがあり 三菱の社会人野球をやっていたとの事。最後に その方は 角っこの長屋を指差し、「これが 炭鉱の成れの果てたい」と笑った。二人で高台から下を眺める、(大正年期 旧上山田炭鉱)嘗て 眼前には このような風景が広がっていただろう。