木場、
長崎県には 木場という地名が数ヶ所あるのだが 今回は 佐々町 木場免へと向かった
キバではなく コバと読むらしい、
学が無く 地名を読み間違えて地元の方に笑われる事が屡々ある…
この標高の高い木場地区にも炭鉱が操業していたという、
昭和後期には 西側に施設が確認できるのだが 昭和初期には東側にも施設が見られる
今回は歩き始めてすぐに地区の寄り合いで
集まったお年寄りに出会う事ができた
老婦の方々 20名のお話しを伺う事ができた
航空写真 東側が第二坑、西側が第一坑になるということだ、
道順も詳しく教えていただき まだ詳しい方も紹介していただきました
とりあえず 行ってみなさいと言われ 東側の第二坑へと歩く、
橋を渡りすぐ左に行くんよ、
と教えられたので その道順通りに歩いた、
突き当たりまで 登ってきたのだが 大きな空地が広がっていた、
ここにも 昔は炭鉱施設や炭鉱住宅が建ち並んでいたという、
何も無さそうだが せっかくなので周辺も
見てみる
周辺の藪の中には、
コンクリートの土台が残っていた
長細く 高さ80cm の遺構だ、
ボルトなども残り この土台上から何かが立っていたのだろう
他には 確認する事ができなかった…
この藪が繁茂する季節は やはり 厳しいか…
自然の力には 到底 敵いそうもない
続いて 第一坑があった位置へと移動する、
先程 教えていただいた 方のお宅を訪ねてみた、
しかし この方が1ヶ月前に入院していると
お孫さんに伺った
無念の思いもあったのだが 地区周辺を歩く
、
お孫さんも 覚えている事の全てを教えてくださいました、
ここには 2つ坑口があったという、
矢印の位置する所と…
もう1つは 草木で見えないと言う、
この光景を見れば 諦めるしかなさそうだ
冬季に もう一度再訪しよう、
そして 高台のボタ山だったであろう場所に向かった、
台座
いや 四方に仕切りのある ホッパーのような遺構が残る
1枚目の写真は ホッパーのように見える
2枚目は 手前の面には 煉瓦の目地のようなものが見えます、
水槽関連の遺構だろうか
私有地で 近づく事はできなかった
夏期に行動する事は 気候もよく 活動するには良い季節なのだが 草木が繁茂し目標が
確認できないというのが欠点だ、
とても貴重な証言を聞ける一方 自然に阻まれる 何とも言えない悔しさが込み上げてくる
しかしながら 多くの方々と出会い 貴重なお話しが聞けた事だけでも感謝しなければならないと思った
また 必ず再訪する事にしよう、