島廻地区 | 鶴嘴さんのブログ

鶴嘴さんのブログ

全国の旧鉱山や旧炭鉱の調査を行っております。

島廻の炭鉱跡地に入ったのは 暑い夏の日であった。

島廻一坑へと続く道は真っ直ぐでそして静まり返る。


島廻一坑 向かって右側が朝日町、左側が桜町と呼ばれていた。

現在 桜町には共同浴場が残っている。

(大峰 炭鉱)

現在 桜町の一角に店を構える魚屋が営業している。


昭和28年からこの地で魚屋を営んでいるそうだ。

この島廻が炭鉱だった頃の話を魚屋のオヤジさんに色々と聞いた、

少し強面なのだが話すとニコニコとした優しい良い男だった。(言葉が悪いのだが)


昭和28年から島廻を見ているとあって事細かに話していただいた。


「店の裏にはトロッコとかコンベアが通っとったけんね」

「前の道は舗装されてなかったけ」


「あの高台には大きなホッパーがあったんやけど、壊してしもうた」


大きなホッパーには 島廻 炭鉱と大きく書かれていたみたいだ。


「確か、朝日町の上でも何かやりよったみたいやけど」

大峰 炭鉱の第二坑だとおもわれる。



「昔はここら辺も賑やかやったんよ、下の商店街も活気があったんよ」

「今はね開いとる店あったね?」


商店街を通ってきたのだが、確かにシャッター街だった。


自分は不躾ながら経営の事も聞いた。

店をやるのは大変ではないですか?


すると、

「苦しいよ、苦しいけどあれやね」

「この辺りも、お年寄りが多いけん 遠くまで買い物行けんやろもん」

との事だ、

経営の事ではなく地区の人々の事を考えて魚屋をやっているのだ。


「まあね、息子にもお父さん仕事は続けなよとも言われたけ」

「何もせんかったら、ボケてしまうやろ?」


ガハハハとオヤジさんは 力強く笑う。

オヤジさんの姿に商売人の心意気が見えた。



多くは語らずともたくさんの事を学んだ気がする。

都会にはない 生活や商売の原点がここにある。


筑豊、
現在 無くなったものを感じれる地区 懐かしさを感じれる地区だと思いました。