島廻一坑へと続く道は真っ直ぐでそして静まり返る。
島廻一坑 向かって右側が朝日町、左側が桜町と呼ばれていた。
現在 桜町には共同浴場が残っている。
(大峰 炭鉱)
現在 桜町の一角に店を構える魚屋が営業している。
昭和28年からこの地で魚屋を営んでいるそうだ。
この島廻が炭鉱だった頃の話を魚屋のオヤジさんに色々と聞いた、
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20141228/11/gmgwwmd0/c6/d8/j/o0800045013172146944.jpg?caw=800)
少し強面なのだが話すとニコニコとした優しい良い男だった。(言葉が悪いのだが)
昭和28年から島廻を見ているとあって事細かに話していただいた。
「店の裏にはトロッコとかコンベアが通っとったけんね」
「前の道は舗装されてなかったけ」
「あの高台には大きなホッパーがあったんやけど、壊してしもうた」
大きなホッパーには 島廻 炭鉱と大きく書かれていたみたいだ。
「確か、朝日町の上でも何かやりよったみたいやけど」
大峰 炭鉱の第二坑だとおもわれる。
「昔はここら辺も賑やかやったんよ、下の商店街も活気があったんよ」
「今はね開いとる店あったね?」
商店街を通ってきたのだが、確かにシャッター街だった。
自分は不躾ながら経営の事も聞いた。
店をやるのは大変ではないですか?
すると、
「苦しいよ、苦しいけどあれやね」
「この辺りも、お年寄りが多いけん 遠くまで買い物行けんやろもん」
との事だ、
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20141228/11/gmgwwmd0/86/63/j/o0800045013172147034.jpg?caw=800)
経営の事ではなく地区の人々の事を考えて魚屋をやっているのだ。
「まあね、息子にもお父さん仕事は続けなよとも言われたけ」
「何もせんかったら、ボケてしまうやろ?」
ガハハハとオヤジさんは 力強く笑う。
オヤジさんの姿に商売人の心意気が見えた。
多くは語らずともたくさんの事を学んだ気がする。
都会にはない 生活や商売の原点がここにある。
筑豊、
現在 無くなったものを感じれる地区 懐かしさを感じれる地区だと思いました。