さて、
現地到着して まずは地元の方に聞き取り調査を行った。
農作業をしていた方の話では、
やはりこの地区に炭鉱があったらしく 現在 林道になっている所には 炭鉱住宅が建ち並んでいたという、
(昭和49年の航空写真)
閉山は 昭和39年 閉山から10年後の写真。
炭鉱住宅は 確認できませんがホッパーやスキップ軌道が確認できます。
現在は 草木生い茂る深い山となっている。
閉山後 植樹したのでしょう。
入山時、
「イノシシに気を付けないよ」
と声を掛けられた。
農作業をしていた方の話では、
やはりこの地区に炭鉱があったらしく 現在 林道になっている所には 炭鉱住宅が建ち並んでいたという、
(昭和49年の航空写真)
閉山は 昭和39年 閉山から10年後の写真。
炭鉱住宅は 確認できませんがホッパーやスキップ軌道が確認できます。
現在は 草木生い茂る深い山となっている。
閉山後 植樹したのでしょう。
入山時、
「イノシシに気を付けないよ」
と声を掛けられた。
山の中に近代的な建造物が立っていると感覚が
閉山から約半世紀も経てば このような風景になってしまうのだろう。
山を下りると先程の方が、
「○○さんの裏手に竪坑跡があるよ、」
との事、
そちらは 炭鉱会社が違うという事で 続編へと続きます。
詳細、
労働者数70名と中小の炭鉱。
昭和34年8月、
里山 炭鉱(株)が開坑、
昭和39年3月28日、
閉山。
資料(佐賀県石炭史より)
山を下りると先程の方が、
「○○さんの裏手に竪坑跡があるよ、」
との事、
そちらは 炭鉱会社が違うという事で 続編へと続きます。
詳細、
労働者数70名と中小の炭鉱。
昭和34年8月、
里山 炭鉱(株)が開坑、
昭和39年3月28日、
閉山。
資料(佐賀県石炭史より)