宝珠山 炭鉱 詳細 | 鶴嘴さんのブログ

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全国の旧鉱山や旧炭鉱の調査を行っております。

前回の宝珠山 炭鉱の詳細、

(前文省略)

明治25年6月、
農商務省の地方監督機関として、
「鉱山監督署」が福岡など全国六ヶ所に設置される。

宝珠山 炭鉱は この福岡鉱山監督署の管理下に置かれた。

大正2年、
都合 徳太郎のものであった土師 炭鉱と井原 保郎の朝倉 炭鉱が伊藤 伝右衛門のものとなる。

なるほど それでなのか…


こうして、
土師 炭鉱を中核として中山 炭鉱、長者原 炭鉱 井上 秀太の炭鉱の鉱区を統合して、

大正3年、
まず土師 炭鉱としたひらめき電球

大正4年7月1日、
土師 炭鉱は 宝珠山 炭鉱と改称され、
伊藤合名会社 宝珠山 炭鉱は 本格的な開発を開始した。

昭和9年10月15日、
伊藤合名会社 宝珠山 炭鉱は、会社名を改称し、宝珠山 鉱業合名会社とした、

昭和10年1月、
宝珠山 炭鉱、第二坑が開坑、



昭和11年7月、
宝珠山 鉱業合名会社は 宝珠山 鉱業株式会社に改組。

昭和15年7月28日、
伊藤 伝右衛門が経営する宝珠山 鉱業株式会社は 日本炭業株式会社に売却、

かなりの投資がなされ、
出炭量も順調に伸びてきたのであったが なぜ、
伊藤が宝珠山 炭鉱を売却したのかはわかっていない。

昭和38年10月16日、
日本炭業株式会社 宝珠山 鉱業所は 閉山。







こちらの宝珠山 炭鉱での強制労働の資料があり資料を読んでみました。

その資料は あまりにも雑なものでした…

死因や殉職者の人数などが本当に曖昧過ぎる。

わからない事を淡々と書いているのが本当に残念で悲しい気持ちになります。





理不尽な労働で殉職された方々の御冥福を心から御祈りします。


宝珠山炭鉱の調査動画は こちら。