登山口を目指し歩いて行く。
しかし イノシシの足跡が多い…
気付かぬふりをして 先に足を進める。
突き当たりに、
坑口、
尺無坑本卸と書いた扁額も残る。
坑口の周辺も探索すると、
橋台らしき遺構や台座も残る。
後から知った情報ですがこの台座は クレーンの台座らしい。
その他、
気付かぬふりをして 先に足を進める。
突き当たりに、
坑口、
尺無坑本卸と書いた扁額も残る。
坑口の周辺も探索すると、
橋台らしき遺構や台座も残る。
後から知った情報ですがこの台座は クレーンの台座らしい。
その他、
多くの施設が建ち並び 多くの人々が往来していたのだろう。
登山者が通行する時に見るのみとなった この遺構も 嘗ては 産業の中心であった。
詳細、
昭和11年12月、
第3坑 新小舟坑としてはじまる。
13年7月、
第3坑 第2小舟坑と改称された。
同時に平第5坑が第1小舟坑となった。
28年6月、
第1 小舟坑が休止。
29年5月、
小舟坑となる、
詳細、
昭和11年12月、
第3坑 新小舟坑としてはじまる。
13年7月、
第3坑 第2小舟坑と改称された。
同時に平第5坑が第1小舟坑となった。
28年6月、
第1 小舟坑が休止。
29年5月、
小舟坑となる、
同9月、
本坑と改称された。
三井山野鉱業所 合理化のため それから分離し株式会社 小舟 鉱業所が設立。
三井山野鉱業所 合理化のため それから分離し株式会社 小舟 鉱業所が設立。
昭和31年8月23日
創業された。
昭和40年6月、
山野災害で従業員を山野鉱業所へ移動させた事が理由となり、
昭和40年6月、
山野災害で従業員を山野鉱業所へ移動させた事が理由となり、
昭和41年10月5日、
11年の歴史で閉山。