ハヤテは何者かに追われていた。彼はこれまで数多くの修羅場を掻い潜ってきていたが、こうも度重なるといかに気長で温厚な彼も悪態をつくほどうんざりしていた。彼の故郷であるルピナスは農作物に壊滅的な被害が出ている。ハヤテは、父であるセネカ大統領からのたっての希望で、ルピナス各地の被害状況の調査とその対策のため、緊急調査に乗り出していた。「世界有数の農業大国であるルピナスの打撃は、全世界にも波及し物価の高騰を招くだろう。至急、各地の被害状況とその対応策を練りたい。ことは一刻を争う。しかし秘密裏に進めたい。単なる憶測や噂は経済危機を助長しかなねないからな。」
セネカの言葉が重々しく脳裏によみがえってきた。
ハヤテは、ルピナス最南端のエアーロ出身である。エアーロは別名風の大地と呼ばれる。エアーロでは1年中風が吹いている。エアーロに吹く風は、非常に多彩で四季折々、個性豊かである。春にはのびやかで温かい風、その風とともに花びらが舞い踊る。その様子はまるで妖精がダンスをしているようだ。そして赤や黄色など彩りとりどりの花びらが、鮮やかなジュータンのようにエアーロ中を覆い尽くす。夏には熱気をおびた熱風、夏は1日中温泉の中にいるようだ。秋にはひんやりとした凛とした風が訪れる。そしてやがて冬は見も凍る吹雪が大地を舞う。これに加えて、年間通じて頻繁に竜巻や台風が発生する。この過酷な条件下の中で、エアーロの民は風とともに生きる知恵を身につけた。風力を最大限に生かし、ありとあらゆるもののエネルギー源としている。エアーロの民は、無口だが穏やかで親切だ。1年のうち夏と冬は過酷で外出もままならない日が多いが、それにふて腐れることもなく、家で過ごすことにも楽しみを見つけている。人々の絆も強い。お互いが協力し合わなければ生きていくことが困難なこの大地では、自然に互いを敬う。
ハヤテはエアーロと大陸を結ぶ橋、ビジョナリーブリッジにさしかかった。相手がどんな目的で執拗に追跡してくるのか検討もつかないが、危険が迫っていることだけは明らかだ。「何が何でも逃げきらなければ…。」
ハヤテは歩を早めた。ほんのわずかだが追手との差が開いた。
「今だ。」
彼はニコッと微笑んだかと思うと、ためらうことなく勢いよく欄干からジャンプした。すぐその後を数人の黒装束の集団がビジョナリーブリッジを西へとかけぬけて行った。
温かい陽射しが心地よい。川のせせらぎが睡魔を誘う。安心したのか先ほどまで息を潜めていた相棒のベリーが荷物から顔を出した。
「危なかったな。まさしく助け舟とはこのことだな。」
ハヤテはビジョナリーブリッジで、眼下を通過する一層の船に気づき、難無く着地した。
「それにしても、奴らは一体…。」
ベリーはクマネズミである。世界最小のネズミで最速の足を持つ。ハヤテとベリーは、幼い頃からいつも一緒にいた。彼にとってベリーは、実の家族そのものだ。偉大な父であり、かわいい弟でもある。
これからどうすべきか。まだ追手は彼を探しているだろうか。彼は思い悩んだ。彼らが、ハヤテの素性を知り尽くしているのならば、エアーロに近づくことは相手の懐に飛び込むようなものである。被害調査はまだ済んでいない。一旦切り上げて、首都に戻るか、それともまだ続けるか。
「危険なしごとは俺の専門外なんだけどな。俺は緑に囲まれてゆったりとした時を過ごすことが一番の望みだ。それとベリー、お前が一緒にいてくれたら言う事ないな。」
ハヤテは、世界的な植物博士だ。こと今年発見した新種の樹木は、医学的にもその効果が高くあらゆる業界からその動向が注目されている。ハヤテは普段、植物の発育環境がよい、ルピナス大陸南東の島、ブレラで生活している。ブレラの肥沃な土地は、今年も多くの実りを与えた。それ故、各地で起こった異変を彼は実際に自分の目で見るまで、信じることができなかった。この国で何が起こったのか?これまでの調査結果、被害は野菜の生産量が多い地域に集中しているようだ。彼は、その不思議な現象が腑に落ちない。確かに今年は例年に比べて長雨だったし日照不足でもあった。しかしながら、そのことだけでこんなにも特定の農作物に悪影響を与える事があるとは思えない。現にフルーツや木花には、影響が見られないのだ。天候条件がこの被害の理由であれば、それはどの植物にも同じ影響を与えるはずだ。彼はこれまで被害の大きかったいくつかの地域の野菜のサンプルを採取していた。
「ベリー、この船は2.3日後にはマリーズタウンに到着する。父上には、ベリーお前から報告してくれ。俺は、どうも安全に辿りつけそうにないからな。父上にこの手紙を渡したら、すぐに落ち合おう。それまでは、お互いゆっくりと休養しよう。」
ハヤテとベリーは、波間に揺られながら、つかの間のやすらぎに包まれていた。
マリーズタウンに着くと、ベリーは一路宮殿に向かった。王宮は、シンメトリーのシロと黒の美しい大理石でできている。セネカは宮殿内の入口にあるビーナスの間で勤務している。ベリーは警護に見つからないように、俊敏に動いた。
「おお。ベリー」
セネカがベリーを抱き上げた。セネカはベリーの首に巻いていある、スカーフから小さなチップを取りだし、パソコンにデータを投影した。その内容はセネカを驚愕させた。
「ベリー。ハヤテにどうか届けておくれ。」
急いで、ベリーの首に手紙を巻きつける。ベリーは今きた道を一目散に駆け抜けた。
その頃ハヤテは、マリーズタウンの西、ミルキー牧場で休息していた。ここは、彼の幼馴染が経営する牧羊場である。彼はのんきに藁の上で転寝していた。いつもの壁の小さな穴からベリーが顔を出した。ハヤテはベリーの首にまいているスカーフの結び目をほどく。初めてセネカからもらう直筆の手紙である。
『ハヤテ。心を落ち着けてよく聞いて欲しい。ルピナスの状況は深刻化を増している。
今、この国ではクーデターが起きようとしている。主犯格は、軍部最高責任者のジャイロである。彼は、軍事力強化と他国への侵攻をたびたび進言していた。私は、武力では何も解決できないと彼の意見を何度も退けた。彼は秘密裏に独自に他国との連携を深め、武器を集め武力によってこの国を制圧しようとしている。ジャイロは既に、テレビ報道各社を占拠した。この国の情報操作を行い民衆を惑わしている。私はその不穏な動きを察知し、ティアラとミーディアを安全な場所にかくまった。しかし時期にその場所も知られてしまう。私は、お前の身も案じていた。今回の任務は、表向き、各国の視察と銘打っているが、実のところはお前の安全を確保するためだ。どうか、母さんとミーディアをより安全な国外に連れ出して欲しい。ティアラはふるい馴染みのところに身を寄せている。すでにお前は黒装束の軍団に追われているようだ。やつらはジャイロの特殊部隊である。彼らは手段を選ばない。時間の猶予はない。一刻も早く、安全な国外に亡命してほしい。亡命先のリストは、ベリーに渡したチーズの包み紙の中にしるしている。この国は、平和大国ルピナスである。動植物とともに自然の恵みを頂いて生きている。私は、民衆ともに生きる。どうか、妻やお前達兄弟だけは無事に生き延びて欲しい。ハヤテ、今までありがとう。母さんにもそう伝えて欲しい。そしてこのチップに入っている手紙をわたしてほしい。後はよろしく頼む。 セネカ』