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グルコサミン博士のブログ

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先日、NHK BSで再放送された「新日本風土記 軽井沢の夏」を見ました。番組は明治期の避暑地としてのはじまりから現在に至るまで、特に旧軽井沢を通してこの地に息づく営みと文化を映し出すドキュメンタリです。

 
私はもっとも惹かれたのは
①米軍基地計画に立ち向かった青年たち
戦後、軽井沢に米軍基地を建てるという話が出た時、地元の青年たちが声を上げ、反対運動を起こしました。

番組では当時のリーダーのひとりが登場し、静かな口調でこう語ります。

 

「この静かな森と川を守るために、私たちは声をあげた。ここは、未来へとつながるふるさとだから」

この言葉を聞いて、以前読んだ『軽井沢を青年が守った』という本のことを思い出しました。美しい町並みは、偶然ではなく、誰かの行動で守られてきたのだとあらためて感じました。

 

 

②受け継がれる伝統と、共に生きる人々

番組の後半では、長倉神社の祇園祭の様子が紹介されます。

そこで目を引いたのが、祭りのリーダーのひとりとして登場した、アメリカ出身の「ジョンさん」。

移住者でありながら、地元の伝統を担う姿がとても印象的でした。

ナレーションがこう語ります。

「国境や言葉を越えて、祭りはこの地の今を紡いでいく。千年続く祈りは、今、新しい手の中でも輝いている。」

伝統は変わらずに続くのではなく、新たな人々の手で受け継がれていくのだという、軽井沢らしい風景に心が温かくなりました。

 
なるほど、軽井沢という町は、静かな風景の裏に、守ろうとした人の意志と、受け継ごうとする人の思いが息づいています。

軽井沢の人気スポット・雲場池。その美しい池の至近距離に、知る人ぞ知る小さな文学碑があります。それが、「正宗白鳥(まさむねはくちょう)文学碑」です。

白鳥は自然主義文学を代表する作家で、晩年にはこの軽井沢で静かな日々を送りました。実は、現在文学碑がある場所は、彼のかつての私邸の敷地でもあるのです。つまり、ここは白鳥自身が日々の空気を感じ、思索を巡らせていた特別な場所。碑がこの地に移されたのも、そんな縁があってのことです。

碑には、白鳥が心に留めていたギリシア詩華集の一語の和訳が刻まれています。

「花さうび 花のいのちは いく年ぞ 時過ぎてたづねれば 花はなく あるはただ いばらのみ」

ちなみに、花さうびは薔薇の意である。


短く、静かで、それでいて深く響く言葉です。

 

雲場池を訪れた際には、ほんの少し足を延ばして、この碑の前で立ち止まってみてください。

軽井沢が、避暑地だけでない文化の町としての顔を、そっと見せてくれるはずです。

アメリカ人宣教師であり建築家のウィリアム・メレル・ヴォーリズは、日本各地に数々の名建築を遺しました。彼の妻、一柳満喜子は旧華族の出身であり、近江兄弟社の創業に関わった日本人女性として、ヴォーリズとともに生涯を日本で過ごしました。二人の深い絆と日本への想いが反映された建築は、ただの建物以上に、心に響く温かさと精神性をたたえています。

軽井沢にはヴォーリズ建築が多く残っており、街の歴史と文化を優しく包み込むような存在感を放っています。旧軽井沢銀座通りから一歩奥まった静かな場所、軽井沢幼稚園の隣に佇む軽井沢教会もそのひとつで、木のぬくもりと落ち着いた佇まいが訪れる人々の心を和ませます。

日本各地の代表作には、滋賀県近江八幡市の「ヴォーリズ記念館」や神戸女学院大学の校舎群、京都の山の上ホテル(旧京都YMCA会館)などがあります。いずれも美しく機能的な設計と、質素ながら精神性を感じる空間が特徴です。

軽井沢の主なヴォーリズ建築には以下があります。

 

1.軽井沢ユニオンチャーチ


 

軽井沢で最も歴史あるプロテスタント教会のひとつ。木造の温かみある建築で、夏季には英語の礼拝や音楽交流会も行われ、国際的な交流の場ともなってきました。

 

2.軽井沢ショー記念礼拝堂

ヴォーリズによって設計された軽井沢で最初の教会建築。森の中に静かにたたずみ、石と木を使った素朴であたたかな佇まいが魅力です。

 

3.軽井沢高原教会

写真はホテルブレストンコートの公式HPから借りました。

光の教会とも呼ばれ、自然光が建物全体に神聖な雰囲気をもたらす空間設計がなされています。シンプルな構造のなかに、静けさと祈りの空気が満ちています。

 

4.軽井沢教会

旧軽井沢銀座通りのすぐ近く、軽井沢幼稚園の隣に位置し、街の喧騒から一歩離れた静かな場所に佇む建築です。ヴォーリズの手による木造建築の繊細な美しさが際立ち、訪れる人々に安らぎを与えています。


これらの建築物はいずれも軽井沢駅からバスに乗れば行けます。車なら高原教会までは星野リゾート方面に向かって軽井沢駅から20分ほど。その他三件は車で10ほどの距離にあり、旧軽井沢エリアに点在しています。レンタサイクルや徒歩でも巡ることができ、散策しながらヴォーリズ建築の魅力を感じてみてはいかがでしょうか。


建築巡りの途中には、旧軽井沢銀座通りのショッピングやカフェ、上皇様と美智子様が出会ったテニスコートなども訪れることができ、歴史と自然、文化が調和した軽井沢の魅力を存分に楽しめます。

明治27年創業の老舗「万平ホテル」は、2024年春のリニューアルを終え、全館が新たな輝きを放ちながらも、往年の優雅な風情を色濃く残しているそうです。残念ながら私はまだ足踏みを入れていません。

以前のPivで紹介します。

木の温もりがやさしく包み込むロビーや客室、重厚で気品あふれるクラシカルな外観に足を踏み入れた瞬間、まるで時がゆったりと流れ戻るような特別な空間が広がります。

 

そして、万平ホテルと言えば、何よりも忘れてはならないのがジョン・レノンとオノ・ヨーコ夫妻が愛した「アップルパイ」と「ミルクティー」です。

彼らが滞在した1970年代から変わらぬレシピで焼き上げられるアップルパイは、甘さ控えめで、リンゴの香りがほのかに漂い、ほっと心が安らぐ味わい。そこに添えられるミルクティーのまろやかなコクが、二人の穏やかな時間を今に伝えてくれます。訪れる人々は、その一口一口に、彼らが過ごした静かな光景を重ね合わせ、深い感慨に浸るのです。

 

宿泊だけでなく、レストラン「メインダイニング」や人気の「カフェテラス」で、気軽にこの歴史ある味と空間を楽しむことができるのも魅力のひとつ。

観光シーズンの華やかな賑わいとは別に、新緑や紅葉の平日には、自然に囲まれた静寂の中でゆったりとした時間が流れ、心ゆくまで癒やしのひとときを満喫できます。今年秋、平日を狙っていきたいと思います。

 

軽井沢駅から車で約5分、徒歩でも約20分の散歩道には、旧軽井沢銀座や雲場池などの名所も点在し、訪れる人を優雅な歴史の旅へと誘います。

今年の軽井沢滞在が始まりました。

軽井沢の風景には、ただ目に映る美しさだけでなく、時代を超えて息づく精神の気配があります。名建築を巡る旅は、建物そのものの魅力を味わうだけでなく、その場に流れてきた時代、人々の思い、そしてそこに宿る文化にふれることでもあります。

歴史を刻んだ木の香り、光が射し込む礼拝堂の静けさ、カフェで交わされたささやかな会話、森に包まれた音楽の余韻。軽井沢の名建築は、そうした時間のひとこまひとこまを今も大切に抱えています。

ここで、私が知っている軽井沢の名建築を書いてみようと思いました。

 

だれかのために、次の軽井沢旅では、ただ歩くだけでなく、立ち止まり、耳を澄まし、記憶とともに在る建築の声に耳を傾けてみてはいかがでしょうか。

軽井沢の名建築は、訪れるたびに、少しずつ違う表情で私たちを迎えてくれるはずです。

午後は、かねてより訪れたかった世界文化遺産「都江堰」へ。

ここは今から2000年前に作られた水利システムで、山間の水を2つに分けて、一方は成都の農業用水として利用されるよう設計されています。当時はもちろんコンクリートも重機もない時代。
そんな中で、壮大な構想と実際の建設を実現させた古代人の知恵と技術には言葉を失うばかりでした。

この水利システムのおかげで成都平原が豊かになり、その後始皇帝が中国を統一する土台となったとも言われています。
「水を制する者が国を制す」、それを実感する場所でした。今の中国共産党の要人もみな都江堰を訪れていたそうです。

むかし、コンクリートの代わりに用いられた防水堤の模型。

むかし竹の渡橋は木製に変えました。

 

都江堰を後にし、成都市内に戻って訪れたのは天府広場。

この場所には大きな毛沢東像が建っており、周囲には成都博物館や美術館も並んでいます。

残念ながらこの日は平日で閉館時間17時を過ぎており入館は叶わず。

 

代わりに隣接していた日本系列の蔦屋書店で一休み。カフェも併設されていたので、本でもペラペラ読もうかと思いましたが、驚いたことに店内の本はすべてビニール包装。いわゆる立ち読みはできない仕様でした。文化の違いを感じるひと幕です。

 

そして、夜のフィナーレは8時からは成都名物の伝統芸能川劇を鑑賞。
劇場はそれほど大きくはないものの、満席。ほとんど成都に来られた中国人観光客。唯一、アメリカからの観光団体が一組いたのが目立っていました。

川劇の名物といえば、やはり変面。


 

わずかに首を振るだけで、赤から黒、怒りから笑いといった面の表情が瞬時に切り替わる驚異の技術は、何度見ても不思議で、魔法のようでした。

 

この日も17,000歩以上歩きましたが、中国歴史を学ぶよい機会でした。

 

それにしても、成都は本当に暑い!
まだ6月半ばだというのに、気温は35℃超え。


ところが、中国では体を冷やすのはよくないという考えから、冷たい飲み物を飲む習慣があまりないようです。

そのため、ホテルの部屋に冷蔵庫がないのには驚きました。


冷たい水が飲みたいとお願いすると、スタッフがわざわざ水を冷やして部屋まで持ってきてくれるという心配りに感激。

 

さらに、部屋にはAIアシスタントが設置されており、「電気をつけて」「カーテンを開けて」と音声で操作できる近未来的な設備まで!

と思いきや、私の37年前の中国語はAIには通じず、少しショック(笑)。
でも、言葉が進化していくのは当たり前ですね。時代を感じました。

九寨溝・黄龍の大自然を堪能したあとは、四川省の省都・成都での一日。

 

朝一番に向かったのは青城山。ここは中国における道教発祥の地のひとつとされており、今も多くの信仰者が訪れる場所です。

観光ルートは、まず入場ゲートからロープウェイに乗り、そこからは小さな湖を船で渡るという珍しいアプローチ。

実は徒歩で湖を回り込むこともできますが、かなり歩くことになるとのこと。今回は湖を船で渡り、いよいよ本格的な登山スタート。

途中には「轎子」という、二人の男性に椅子ごと担がれて登る移動手段も。彼らは「乗って助けてください」と声をかけてきます。彼らにとってこれは生業であり、職業としてきっと誇りを持って取り組んでいることと思いますがが、私はその不平等の構造にどうしても乗る気になれず、徒歩を選びました。

 

山道の途中にはいくつもの道教寺院が点在し、参拝する人々の姿も。

 

香(お香)を頭上に掲げ、ひざまずき、頭が地面につくほど深々と一礼する姿は、まさに真剣そのもの。


 

ガイドさんによれば、こうした礼拝の仕方は、信者だけでなく一般の人々にも広がっている風習だそうです。

 

ここには、中国式の「パリの愛の鍵」もありました。

山頂には塔のような寺があり、煙と香りが立ちこめ、まるで仙境のような静けさと神聖さに包まれていました。


そこから見下ろす連綿と続く山々の景色は圧巻。ひと休憩して、来た道を辿って下山しました。

 

青城山観光のあとは、念願の本場四川料理。
いただいたのは、麻婆豆腐

宮保鶏丁

回鍋肉

山芋の炒め

空心菜

など、日本でも馴染みのある料理ですが、まったくの別物!

辛さを控えめにしてもらったおかげで、普段はあまりご飯を食べない私もおかわりしてしまうほどのおいしさでした。
まさに「食の都・成都」を体感したひととき。

アラレ、今日は七夕です。

一年に一度、織姫と彦星が天の川を越えて会える夜だといいます。

けれど、ママとアラレの間には、その天の川さえも渡る術はなくて、

昨年の七夕、ママは空を見上げながら、声を掠れるぐらい泣き崩れました。

 

あの日から一年と四ヶ月が過ぎた今も、ママの気持ちは何ひとつ変わっていません。

アラレ、ママは今でも君のことを、心の底から愛しています。

 

この一年、ママは自分にできる限りの力を尽くしました。

資料を集め、言葉を紡ぎ、涙をこらえながら向き合ってきました。

周囲の人たちは、「アラレちゃんは、きっと天国でママを誇りに思ってるよ」

と声をかけてくれるけれど、ママ自身の中では、

どうしても納得のいかない思いが残っています。

 

だってアラレ、この国では、命の尊さが軽んじられ、

声を上げても届かない制度の壁に、何度もぶつかりました。

弱い立場の者が救われる社会であってほしいと願ったけれど、

現実はあまりにも冷たくて、悔しさと悲しさに押しつぶされそうです。

 

それでも、ママはあきらめたわけじゃない。人も犬も尊い命であることは同じです。

これからもできる範囲で想いを紡いでいきたいと思っています。

 

今年も、短冊に書いた願いごとは、やっぱり「アラレに逢いたい」ということでした。

それ以外、何もいりません。

もう一度君の瞳に触れたくて、君のやわらかい毛を撫でたくて、夢の中でもいいから逢いたいと願っています。

 

アラレ、ママにはたくさんの愛をくれてありがとう。

天の川で遠く離れていても、君は今もママの胸の中に生き続けています。

今夜も空を見上げながら、君を想って眠ります。

 

愛をこめて
ママより

九寨溝を堪能した翌日は、もうひとつの世界遺産「黄龍」へ足を運びました。


九寨溝から黄龍へは、かつては雪山を越えなければならず、丸一日がかりの大冒険だったそうですが、今はトンネルが整備され、車でたったの2時間ほど。中国のインフラ整備のすごさを改めて実感します。

この日も、ちょうど中国の全国統一大学入試日。そのため、観光地は比較的空いており、ラッキーな日でした。でも、入場ゲート前の屋根付き通路の長さを見てびっくり。通常は何千人という人々が訪れる超人気スポットなのだと実感しました。

 

黄龍は、標高3,500メートルの高地にある観光地。目指すは、山頂に広がる「五彩池」。まずはロープウェイに乗り、その後、10人乗りの小さなEVバスでさらに上へ。最後の1キロ弱は徒歩です。

高山ということもあり、酸素缶(酸素ポンペ)を持参している人もちらほら。私たちも少し息が上がる場面はありましたが、幸い高山病の症状はほとんどなく、無事に登頂できました。

途中にお寺があって、おそらく黄龍古寺と呼ばれるチベット仏教寺院の一つだと思われます。標高約3,400メートルという過酷な場所にありながら、今も祈りを捧げる場所として残されています。

山頂に広がる五彩池は、九寨溝の湖とはまた違った表情。カルシウムなどの鉱物を多く含む水が白い石灰棚の上に溜まり、まるで白く縁取られた大きなお皿にブルーの水が注がれているかのような幻想的な景色でした。

言葉では言い表せないその美しさに、観光客たちは皆、夢中でカメラを構えていました。私自身もここまで登ってきて本当に良かったと心から感じる瞬間でした。

 
下山には、登ってきた道を戻るという楽な選択もありましたが、私たちは自力での下山ルートを選びました。およそ4キロ、滝や小さな湖を鑑賞しながら、2時間かけて下山。

途中の風景は本当に素晴らしく、青く澄んだ水と緑の木々、清らかな滝の流れが織りなす景観はまさに大自然の芸術。

下山の途中、山道を大きなリュックに食物やドリンクをぎっしり詰めて歩いて登っている人を見かけました。
話を聞くと、子供の大学進学費用を稼ぐために、こうして物を背負って山にある物販店へ補充のためとのこと。

胸がぎゅっと締めつけられる思いがしました。
私は心の中でつぶやきました。私がこの人たちの子どもだったら、大学に行かず、すぐ働きたいと。

 

黄龍の山中には、小さな売店のような場所で地元のお菓子や飲み物、アイスクリームが売られていますが、レストランは一軒もありません。この日も午後3時まで観光し、やっと遅めのランチにありつけました。

 
観光を終えたあと、再び車で九寨溝・黄龍駅へ戻り、そこから高鉄(新幹線)で成都へ帰還。
 

道も、歩道も、観光施設も、すべてがしっかり整備されていて、昔の中国とはまるで別世界。
また、ここ黄龍でも外国人観光客はほとんどおらず、訪れているのはほぼ中国人ばかり。

それだけ、中国が豊かになり、自国の人々が自国の絶景を楽しむ時代になったのだと感じました。

九寨溝観光地内は自家用車の乗り入れは禁止。その代わり、環境に配慮したグリーン色のEVバスが活躍しています。

運転手とガイドが同乗しており、各スポット名や乗り換え案内など、丁寧に説明してくれるのも好印象。バスはひっきりなしに運行されており、待ち時間はほとんどありませんでした。

 

「クロアチアのプリトヴィツェ国立公園に似ている」と言われる九寨溝。でも、実際に訪れてみるとスケールははるかに大きく、空気の透明感、自然の多様さは別格でした。

空気は澄みきっていて、マイナスイオンたっぷり。胸いっぱいにおいしい空気を吸い込めるこの感覚、都市生活では決して味わえない特別なひとときでした。周囲は新緑の山々に囲まれ、遠くには雪を残す高山も見え、まるで夏のスイスのような風景。

 

湖の水は、エメラルドグリーンやターコイズブルーと表現しきれない美しさで、写真ではなかなか伝えきれないほど。

さらに、園内には大小さまざまな滝があり、水量豊かな滝の音が静かな森に響いて、それはもう幻想的。日本で見たどんな滝よりも迫力がありました。

やはり雨のあとの高山植物の花は格別。

観光ルートには、幅1.5メートルほどの木製の遊歩道が敷かれており、滑りにくく歩きやすい設計。長時間歩いても足の疲れが少なく、しっかり整備されている点も好印象でした。

この日はなんと18,700歩も歩いたそうですが、気がつけば疲れよりも感動の方が上回っていたように思います。

 
ランチは園内唯一のブッフェレストランで。種類もそこそこ豊富で、大好きなスイカも食べ放題になっているのが何よりもうれしかった。
 

ちょうどその日は中国の全国統一大学入試日だったため、観光客は13,000人ほどで比較的空いていたそうです。ハイシーズンには1日43,000人までに制限されるとのことで、事前予約は必須とのこと。

いつが空いているのか尋ねたところ、冬は寒くて人が少ないとのことでした。防寒対策をしっかりすれば、静かな冬の九寨溝もまた魅力的かもしれません。

世界中の人々にこそ、この素晴らしい場所をもっと知ってほしい!そんな思いを強くした一日でもありました。