大好き行田市11(おまけ)
この記事の続きのような感じです。
奥さんとはウルウルのお別れとなり、正しくウルルン滞在記でした。
歴史について詳しく記述する気力はございません
この忍城の後ろの忍中学校に本丸御殿があったそうです。

行田市は心から楽しめました。
蓮の里、古墳、温泉、何処へ行っても地元の方々が声を掛けてくださいました。
中でも親切にしてくださったうどん屋さん(古墳亭)ご夫妻のことは一生忘れないでしょう。
ここまで歓迎してくださったことはあまりないと思います。
ご自宅で豪勢なお食事をいただき、お酒も沢山飲み・・・
庭から装飾品が出てきたこと、邪馬台国の頃からのお話、
興味深くお聞きしました。
本当に知的でお人柄が良いお二人でした。
元労働組合員とのこともあってなのか、
中でも「女は馬鹿になった」のお話は独特で面白かったです。
平等平等と権利を主張し、男を使うことを知らなくなったと仰るのです。
女は男とは比較にならないほど本来賢いのに、平等を訴えすぎて
残業をして働きすぎたりと心身ともに疲弊していると。
男に一言気分を良くさせる言葉を言えば、操れて楽もできるという話です。
男を使っていた卑弥呼の話になり、「うちの卑弥呼(奥さん)にこき使われてて・・・」
と言いつつ奥さんを称え・・・二人の夫婦漫才は爆笑でした。
理想の夫婦像でした

娘さんに「ブログに書かれてたよ(笑)。また変なこと言ったでしょ」
と言われたようですが、私に
「群馬訛りの埼玉弁のおじさん」と書いてくれと江戸っ子口調で仰っていました(笑
そして、お二人にとってもお子さんにとっても思い出深い利根川大堰へ
車で連れて行ってくださいました。
遠いので訪れることはできないと思っていたのです。
説明不足でしたが、行田市には利根川大堰(右岸)もあります。
左岸である群馬県の邑楽用水も、一旦行田側で取水し、
この沈砂池を経て群馬県へ送水されています。
武蔵用水、埼玉用水 邑楽用水、葛西用水、見沼代用水、
※矢木沢ダム、藤原ダム、相俣ダム、下久保ダム、薗原ダム、草木ダム、
5つで合計毎秒180トンもの水が流れているそうです。
因みに、沈砂池とは取水した水から砂や泥を落とすための施設です。
縮小しているので、文字は見えませんが、
下の写真に沈砂池と沈砂池を経て合流した用水路の名前が看板に書いてあります。
利根川の水系8ダム(※)を流れる水は利根川大堰を経て、
東京の上水道の40パーセント供給しています。
行田市がこけたら皆こける、ですね。
※矢木沢ダム、藤原ダム、相俣ダム、下久保ダム、薗原ダム、草木ダム、
渡良瀬遊水池、奈良俣ダム
人々が水を買うようになって、水が余るようになってきたそうです。
川は西から東へ流れ、飲みきれなくて上流が溢れてしまう。
そこで、隅田川へ毎秒25㌧まわし、
水質汚濁の深刻な荒川まで毎秒50㌧流れるようにしたそうです。
荒川の水質汚濁の話は勿論聞いたことがありますが、
このおかげで綺麗になったとのことは、知りませんでした。
再び大堰に戻ります。
白いお家のようなものが並んでいるのが見えますか?
これは、コンピューター搭載のウィンチです。
このウィンチで水位管理をしていて、
ナンバーがついているゲートの開閉がされています。
奥さんとはウルウルのお別れとなり、正しくウルルン滞在記でした。
最後に忍城をササッと載せようと思います。
歴史は苦手ですし、
歴史について詳しく記述する気力はございません



○億円かけて城跡からお城をつくったそうです。
◆和田 竜の『のぼうの城』
◆風野 真知雄の『水の城―いまだ落城せず』
をうどん屋さんが勧めてくださったので読もうと思います。
行田市郷土博物館では、館員の方に解説を頼みました。
博物館の館員の方は
どうして落城しなかったかの記述などが文献と違ったりしている
と仰っていました。。
地形の高低さが文献に挙がっていて、小説では一村人の活躍が
挙げられているそうです。
忍城は、成田顕泰により築城された難攻不落の名城です。
1590年、秀吉の関東平定の中で戦われ、
石田光成23000兵に対し、2600兵。
以前丸墓山古墳を載せました
石田三成が本陣を丸墓山古墳の頂上に陣を張っています。
水攻め攻略にあたり、丸墓山を結ぶ半円形の堤(石田堤)を28kmほど
作り、決壊させようと試みずも標高の差で失敗しています。
結局は家康の関東入国で忠泰が入城しますが、北条方が降伏する最後まで
唯一落とせなかったのが忍城だそうです。
浮城、水城言われ恐れられた通り、一帯水であった場所にある僅かな土地を
利用して建てたお城は守り易く攻めにくかったのですね。
この忍城の後ろの忍中学校に本丸御殿があったそうです。
上に建ててしまうなんて勿体無いと思いました・・・。
この行田市郷土博物館も写真は禁止だったので、
撮影できませんでしたが、ここには
旗を立てた珍しい馬形埴輪や鎧、甲冑を始め、
人々の暮らしの移り変わりを見ることができます。
印象的なのが、行田市名産の足袋の話です。
足袋は全盛期には全国の8割が生産され、
今でも6割が生産されているそうです。
そして、その夏場に売れない足袋の生産を支えたのが忍商業銀行。
こちら、今でいう、りそな銀行の元だそうです!
この後、水城公園へ行き、

道に迷いつつ、
「うまい、うますぎる!」のキャッチコピーで有名な
十万石饅頭を食べ(イマイチでした)、
SLを見て(秩父鉄道が近いから置かれていたのでしょう)、

無事バスに乗り、バスの中で女性と仲良くなり・・・
帰宅しました。
蓮や温泉を堪能し、古墳や利根川、忍城なども周り、人々の優しさに触れ・・・
有意義な一泊二日の旅となりました。
行田市、大好きです。
おしまい。