こちらは2015年GWの旅行記です。

--------------

アウシュヴィッツ強制収容所のあとは、ビルケナウ強制収容所(第二強制収容所)に向かいます。かなり重い内容となっていますので、閲覧注意とさせていただきます。

3キロ離れているため、無料シャトルで移動。

こちらは帰りに撮影したものなのでアウシュビッツ行きだけど。

1941年10月、ブジェジンカ村に被収容者増を補うため、「第二強制収容所ビルケナウ」が開所。

東京ドーム約37個分の広さで、300以上の施設がありました。ピーク時の1944年には90,000人が収容。

唐沢verの『白い巨塔』のロケ地でもあります。

映画『シンドラーのリスト』はこの門の外側にセットを組んだのだそうです。

死の門。




妖怪が人間を吸い込む口のように見える…。


ヨーロッパ各地からユダヤ人を収容所まで乗せてきた貨車。

この中に何十人ものユダヤ人が詰め込まれビルケナウに連れてこられました。窓もない、水も与えられないこの状況で、何日も走っていたために車内で死者がでることもあった、と。


ビルケナウの降車場(ランペ)で行われた死の選別。

貨物列車からおろされるとまず男女に分けられます。

そこにドイツ人医師(黄色い丸)が顔色を確かめながら
「右へ行け」
「左へ行け」・・・と指図。

どちらかが「ゲットー」で、どちらかが「シャワー」と称したガス室行き。労働力として選ばれたのは到着した人のわずか25%で残りの7割は降車直後に殺されました。

これが死の選別です。

まさに上記の写真の場所。

反対側から撮影してしまったので建物が写っていませんが、写真通りの風景でした。

そして第二クレマトリウム残骸

ガス室と焼却炉。

終戦後、ドイツ軍が撤退の際、証拠隠滅のために破壊しました。


撤退まで時間もなかったし、ドイツの建築技術の高さがあだとなり、完全に破壊することはできませんでした。

おそらくここが「シャワー室」と称したガス室だったところ。

シャワーの蛇口までつけて、被収容者に信じ込ませようとしていました。

中谷さんいはく
「シャワーを浴びるということに関しては、信じていた人もいれば、噂で殺される事実を知っていた人もいただろう」
とのことでした。

知っていた人たちの恐怖は計り知れません。

当時300棟あったバラック。

ほぼ完璧な形で残っているのは、45棟のレンガ造り、22棟の木造の囚人棟のみです。本当に広大な敷地なので草刈りはじめ、メンテナンスが非常に大変だそうです。

ちなみにアウシュヴィッツ強制収容所跡地に関する法律があり、「ヒトラー収容所」とその建築物及び設備は当時のまま保存されなければならないという規定があります。

犠牲者のお墓でもあるこの負の遺産を守ろうと、各国から多くのボランティアが参加。ドイツ人の若者も多く協力しています。

現存しているバラックの中を一部見学。


こちらはベッドです。


この粗末な造りの一段に、5~7名が寝ていました。


マットなんて当然なくて、藁をひいてくれていれば良い方だったそうです。

ポーランドの冬はマイナス20℃になる日もあります。暖房なんてほぼ無いような状態です。凍死する人も少なくありませんでした。

こちらはなんとトイレ。

集団ぼっとん便所という感じでしょうか。

1日2回、決められた時間にしかトイレに行くことを許されていませんでした。

1回数秒で済ませないといけないルール。

どれだけ劣悪な環境、状況だったかが分かります。


小さい頃、読んだ『アンネの日記』。アンネフランクが収容されたのはこのビルケナウでした。

この場所で、父親とは今生の別れとなりました。


アンネは労働可能とされ死は免れましたが、2ヶ月後、ドイツのベルゲン・ベルゼン強制収容所へ送られた数カ月後に、チフスにかかって亡くなってしまったそうです。

罪もない人々が意味もなく殺されていく。

なんという惨劇・・・。

でも中谷さんはおっしゃいました。
「アウシュビッツの悲惨さばかりが際立ってドイツ人の残虐さに焦点をあてがちだが、原爆や銃殺で殺された人、それも同じ被害者です。」

中谷さんの言葉を受けて、アウシュビッツの存在意義はその残酷さを知ることだけではなく、もっと人間の根本的な・・・本質的な部分を、今の社会と結びつけて考えなければいけないのだと私なりに解釈しました。


中谷さん

「ナチスが冷酷な人間の集まりだったかというと実はそうではなく、家に帰れば普通のお父さんでした。最大の教訓はそうしたシステムにおかれたら人間はいとも簡単に変わってしまう。人間を人間と思わなくなる。」

なぜ、ユダヤ人がターゲットになったか。

ドイツは第一次世界大戦の敗北後、多額の賠償金などで財政が悪化していました。ヒトラーは崩壊の責任を全てユダヤ人に転嫁し、国民もまたそれに徐々に賛同していきました。

中谷さん

「想像してみてください。産業的にも文化的にも成熟し、民主政治を行っていたドイツという国で、なぜこのような虐殺が行われたか。ヒトラーは邪悪で異常な独裁者のイメージが強いですが、彼もまた民主的な選挙によって国民に選ばれたということ。そして、ナチス軍は国際的に公表していたので、世界中の人がこの事実を知っていながら見て見ぬふりをしていたということ。」

アウシュビッツも国家的とはいえ、どこにでもいるような普通の人間たちが望んだイデオロギーの産物なんだな。そしてナチスもそうだけど、収容者間でも存在したヒエラルキー。現代社会でも、どこにでも起きてる。

 

全く他人事ではない。

 

「自分たちの生活を守るためには必要なこと」と思い込んでしまったら、人は「悪」に翻ってしまう。私だって・・・、これを読んでるあなただって。


史実を知ることの重要性をこの年になって初めて実感。

中谷さんは、ご自分の意見を一切押し付けることなく、常に、私たちが自身で考えねばならない課題を投げかけてくださいました。

 

アウシュヴィッツ+ビルケナウへの訪問者は年々増えていて、2014年は153万人と過去最高となりました。

ヨーロッパでは人権や命というテーマだけでなく、経済発展の障害となる人種差別に対処する学びの場として、アウシュヴィッツを見学しにくるそうです。

そしてドイツ人も多く訪れるのだとか。そう言えば、ベルリンの一等地にユダヤ人の慰霊碑を作っていたのもまたドイツ人でしたね。

二度と同じ過ちを繰り返さないよう彼らは過去に向き合っています。

私は
「日本人が加害者だった」
という目線で戦争を考えたことはあったかな。

例えば、隣国の問題。慰安婦やA級戦犯などもそうだけど、どっかで他人事のように見ていなかったか。ちゃんと向き合ったことがあっただろうか。

アウシュビッツとビルケナウ見学。私には本当に意味のあるものでした。

最後に中谷さんは言いました。
「日本の若い人たちにもっと見に来て欲しいと思っています。
二度と同じ過ちを繰り返さないために。」


収容者の方々の犠牲に意味があるものとするために私たちは事実と向き合って、前に進んでいかねばならないと強く思いました。