柿畑を後にして、「薬草のまち・宇陀」へ向かいます車ダッシュ

 

パワースポットである三輪明神・大神(おおみわ)神社の鳥居笑い

 

道の駅「宇陀路大宇陀」でガイドさんと待ち合わせ。大宇陀にはボランティアガイドさんがいて予約すると、ガイドさんの交通費ぐらいの費用でガイドをしてもらえます。

 

薬草園に行くにあたって、薬草が全然詳しくないので、ガイドをお願いすることにしました。

 

Googleマップでは、車を20〜30分ほど走らせたら着くところを道を間違え、約55分かかってしまい、ガイドさんとの待ち合わせに10分遅刻してしまいましたびっくり

 

電話ではお堅そうな声だったので、遅刻して気まずくならないか心配だったけど、優しいガイドさんでした照れホッ。年配の女性の方で、生まれも育ちもずっと宇陀だそうです。

 

宇陀は、薬草の聖地と言われています。

 

『日本書紀』に、推古天皇の時代(5月5日)、「菟田野(うだの)」で宮廷行事である「薬狩」が行われたと記されています。邪気がこもりやすい梅雨を前に、厄除けとして生命エネルギーを取り入れるため、鹿の角をとったり薬草を採取したりしました。

 

道の駅からてくてく歩いていくと、宇陀川にかかる花の木橋に織田家の家紋、織田木瓜が!

 

ここ宇陀は、徳川家康が織田信長の次男・織田信雄に与えた領地で、その前は、「豊臣兄弟」で話題の豊臣秀長の支配下にあり宇陀松山城下町として栄えていました。宇陀松山は、歴史の要所なんです。

 

宇陀松山会館は、川側から見ると2階建に見えるけれど、正面から見ると平家で、傾斜地を活かした構造。

 

江戸時代、日本は高価な生薬の多くを清からの輸入に頼っており、幕府の財政を圧迫していました。徳川吉宗は、享保の改革で、漢方薬に代わる国産の薬草を探させるため、全国に採薬使を派遣しました。

 

採薬使が大和を訪れた時、吉野葛の製造業だった森野藤助(賽郭)氏が薬草探しを手伝い、優れた調査力や深い植物知識が高く評価され、森野氏は幕府から貴重な薬草の種や苗が下賜されました。この貴重な薬草を自宅の裏山で栽培したのが「森野旧薬園」の始まりです。

 

森野旧薬園に到着。吉野葛を販売している森野吉野葛本舗の裏手が旧薬園です。

 

ガイドさんには、私が写真を撮るのは気にして欲しくないのですが、すぐ横で待って見守ってくれているので、写真を撮りたいから少しよけてほしいと言えず、看板だけ泣き笑いこの後、ずっとこんな感じです泣き笑いめっちゃいい人で、言えず。

 
葛の根が、見学用のためか無造作に置かれていますダッシュ

この根から葛粉を作ります。

 

葛粉のでき方を簡単に説明すると、葛の根を粉砕して、柔らかくして、たっぷりの水の中で揉んで、でんぷんを絞り出す。絞り出した水は泥水みたいに見えるけれど、澱粉(でんぷん)が沈殿するので、上澄みの水を捨てて綺麗な水を入れて混ぜて、翌日また澱粉が沈殿するので上澄み液を捨てるを繰り返し、澱粉が真っ白になるまで続けます。そして、最後は澱粉を乾燥させます。これが有名な「寒晒し」という製法。

 

葛の工場では、プールのような水槽で葛を晒します。

 

最終的にに撹拌する装置

 

森野氏は、最高の葛ができる条件、豊富な地下水と冬の厳しい寒さを満たす場所を求めて、吉野から宇陀へ引っ越してきたのです。
 
葛根湯という漢方薬がありますが、葛の根から作られた生薬「葛根」が主成分で、こちらは葛の根を皮をはいで、サイコロ状に切って乾燥させたもの。葛湯は、民間療法だけど、原料が一緒でおもしろい。
 
旧薬園は、傾斜地にあり山登りをしているよう。ガイドさんが、「ここから見えるのが、重伝建地区(重要伝統的建造物群保存地区)です」と。

 

 

重伝建地区、旧薬園ともに観光客をひとりも見かけませんでしたあせる重厚な町屋が昔のまま残っており、時が止まったような見事な景観なんですけどね。旧薬園は、いつも空いているのか聞いてみると、「1ヶ月に1回くらい人が来るかなぁ。地元の遠足とか。カタクリの季節(4月)は、もう少し人が来ます」と驚き運営は大丈夫か心配になるけれど、もともと商売のため作られたものではないから大丈夫なのかな。

 

徳川吉宗から森野旧薬園へ下賜された薬草は6種。そのうちニンジンボクとサンシュユの2種だけ当時の老木が残っています。

↑中には、薬草が見当たらない鉢も爆笑
 
江戸時代から残っているニンジンボク

高麗人参と葉の形が似ているから、ニンジンボクと名付けられたそう。

 

ガイドさんが、「このあたりにトリカブトが生えているはずなんですが・・・」と。お目当てのトリカブトが見あたりませんキョロキョロ「鹿が食べたのかなぁ?」とびっくりえーー、鹿がたべるの?!バイキンくん

 
鹿の頭数が増えすぎて、餌不足で飢えた鹿は、本来は食べなかったトリカブトを食べてしまうそう。鹿は、色が識別できないけれど、ピンク色だけは違和感を感じるらしく、ピンクのテープで所々囲いをしているけれど、全く役にたっていないと話していました爆笑トリカブト、楽しみにしていたので残念。
 
鹿はトリカブトを食べて死なないのか気になりますが、体内で解毒できるぐらいの少量ずつを食べるから死なないそうです。
 
鹿の大好物アオキの木は、鹿が食べられる高さまでの葉がほとんどなくなっていました。
 
サフラン発見びっくりマーク

でも、鹿か誰かに踏みつけられたような感じあせるサフランのめしべを見たかったのですが、少し遠くてよく見えない。めしべは取れた?風が吹いただけで飛ぶらしい。ひとつの花から3本しか取れない高価なスパイス。

 

90歳を超えた方が主にひとりで旧薬園の手入れをしているらしく、それは大変だし、無理があるような。ガイドさんも、後任を心配していました。

 

ノカンゾウ(野萱草)

 

イヌタデ(アカマンマ)

葉に辛味があっって薬味になるタデより役に立たない(食べられない)から「イヌ(似非・劣る)タデ」と名付けられたそう。残念な植物図鑑に載りそう。

 

ニラ

ニラは、繁殖力が強くてどんどん増えていくそう。

 

フジバカマ

秋の七草のひとつ。cofuniaでも見かけたので、この時期によく見られる薬草かなと思ったら、絶滅危惧種だそう。アサギマダラがフジバカマの蜜を好み、アサギマダラは台湾を行き来する渡り蝶。フジバカマがなくなっら、困るだろうな。

 

シオン

根は去痰に効く。

 

森野氏が隠居後に居住した桃岳庵

ここで植物など1002種を記した彩色図譜『松山本草』全十巻を書きあげました。

 

江戸時代から残っている老木のもうひとつサンシュユ

 

茶の実

 

椿の実!

椿の実を見てみたかったのです。椿はよく見かけるんだけど、実に遭遇することはなく、椿油が作られる実が気になっていたのです。

 

ウイキョウ(フェンネル)

 

ツユクサ

ツユクサの花びらは、エディブルフラワー。葉も食べられる。

 

森野氏自作の手稿図譜『松山本草(しょうざんほんぞう)』

 

 

森野氏は、鉱物収集でも才覚を発揮していた。

 

森野藤介氏

 

「らんまん」のモデルの植物学者・牧野富太郎は、森野旧薬園を3回も訪問しているんだそう。そのことからも、旧薬園の価値の高さが分かります。

 

今の時期、旧薬園は花はあまり咲いておらず、カタクリの花が一面に咲く春がおすすめだそう。桜も綺麗な時期だしね。

 

森野旧薬園を後にして、重伝建地区のメインストリートへ。2階の天井が低い「木造つし2階建て」構造の町屋が並んでいます。武士が通る時、町人が武士を見下ろすことは絶対禁忌だったため、2階の天井は低く、物置とし、明かり取りや風通しのための虫籠窓が穿たれている。

 

 

虫籠窓のデザイン色々。

宇陀松山の町屋は、間口が広いのが特徴で、通常の入り口と来客用の入り口「座敷玄関」の2つの入り口が並ぶ。

 

中2階の天井が低い(虫籠窓の高さが短い)ほど古い建物だそう。

こんな重厚な町屋がずらりと並んでいるって凄くないですか。それなのに観光客がいない。この日は平日で、閉まっているお店が多く、観光するものが少ないからかな。

 

吉野本葛のお店「黒川本家」

 

吉野本葛の老舗には、最初に訪れた森野吉野葛本舗と黒川本家があり、森野吉野葛本舗は幕府御用達、黒川本家は朝廷御用達だそう。 

 

奈良漬の看板がイカす。道頓堀の立体看板の走り?!

 

後ろに明治から変わらない製法で作られるお菓子「きみごろも」の看板が見えます。購入したかったのですが、この日はお店が閉まっていましたあせる

 

「薬の館」に到着。

 

「薬の館」は、旧細川家住宅で、アステラス製薬創業者の母親の実家になります。

昔は、宇陀川から引いている用水路で洗いものをしていたんだって。今は、花の水やりに使っているんだそう。

 

主力商品の腹薬「天寿丸」「人参五臓園」の看板


生薬の百味箪笥


薬草図鑑

ボタニカルアートみたいで美しい花

 

薬に関する昔の看板がコレクションされていました。

昔、カルディで売っているラプンツェルのグリューワインを、母親が遊びに来た時に出したら、「これは赤玉ポートワイン?」と聞いてきた爆笑私は、赤玉ポートワインの存在を知らなかったんだけど、後日飲んでみたら確かに少し似ている。赤玉ポートワインは、「滋養」を謳っていた「薬用」葡萄酒として売り出されていたのですね。

 

五右衛門風呂

 

観光ボランティアの方が書いた説明文

何歳になっても学ぶことは楽しいし、伝承したいという思いが大きくなってくるものなのかなと思いました。

 

こちらは、お客様用の木桶風呂で、お湯を運んできて入れたそう。

 

 

防虫防臭剤「藤澤樟脳」の巨大看板

ガイドさんが、撮影スポットと勧めてくれました爆笑

 

竈が直線でないのは、ひとりでも作業しやすいようにだそう。

 

卯建(うだつ)に、三つ巴の家紋が!

このうだつ、本来は隣家からの家事が燃え移るのを防ぐための「防火壁」として作られたのですが、裕福な商家が競って立派なうだつをを上げるようになったから、富の象徴みたいになり、「うだつが上がらない」(富を得られない)の語源になりました指差し

 

集水器までもデザインが粋

 

旧薬園が山の傾斜地にあり、見学に時間を要し、薬の館は駆け足になってしまいました。そろそろ帰る時間となりました。もう少しゆっくりお店などを見たかったです。週末だけやっているお店が多いから、訪れるなら週末が良さげ。

 

道の駅に戻り、ガイドさんから自宅のお庭になっているという栗をいただきました。まさかのお土産で、気持ちがとても嬉しく、温かい気持ちになりました。

 

道の駅でお買い物。

 

大和当帰の葉が売っているびっくりマーク

大和当帰の葉は、やや香りが強いので、お茶にしたり、薬味や香り付けにしたりで、葉をそのまま食べるのは天ぷらぐらいのよう。

 

ポポー??

森のカスタード?!どんな味だろう?

 

ここでもマコモタケ売り出し中で、ポップもありました。

 

車窓から見える棚田が美しい。実りの秋。

 

すすきが一面に広がっていて、旅情をそそるんです月見

これは助手席側からの写真ですが、運転席側からは朱塗りの列柱が!藤原宮跡でした。昔、高校生の時に遊びに来たことがあります。奈良は、子ども時代の思い出がいっぱい思い出されて懐かしい。

 

子どもの頃、家族でよく登った二上山紅葉

右側のふたつが二上山。雌岳と雄岳。

 

神戸に戻ってきました。

 

楽しくて、新たな世界が広がったような1日でした。しばらく薬草の世界に浸ろうかしら。葛粉は知っているけれど、具体的な作り方は知らなかったので、勉強になりました。

 

少し前に父から昔は味噌も醤油も家で作っていたと聞きました。色々作っていたことは聞いていたけれど、父は味噌も醤油も作り方を身をもって知っているんだキョロキョロわざわざイベントに行かなくても、父から教えてもらうこともできたのか。今は、ドクダミ茶や桑の葉茶を手作りしていると言っていたし。味噌や醤油の作り方は今では皆が知っているけれど、親から子へ伝承される時もあれば、伝承されず時代の流れとともに消えてしまう前田先生の言う活字にならない暮らしの知恵があるんだろうなぁとしみじみ思うのでした。私自身、台所仕事はひとりで済ませてしまいがちだけど、もう少し意識的に娘に色々なことを伝えていきたいです。

 

帰宅後のお楽しみ音符

 

ポポー

ねっとり甘くておいしい。娘も「おいしい」とよだれ

 

無花果

 

大和当帰(やまととうき)

セロリのような強めの匂いがします。キッチンに大和当帰臭が漂うあせる出番まで別の場所で待機してもらう。実はセロリが苦手。大人になってからは、火を通したものは平気になりました。

 

でもこの大和当帰は、非常に優秀な薬草で、血管を促進し身体を温める作用が五つ星(らしい)スター

 

マコモダケと白茄子

マコモダケは、稲科の神聖な食物で、春日大社の宮司が枕の下に敷いて寝るのだとかびっくり

 

まとめて天ぷらに!

大和当帰は、歯応えがもっちりしていて(衣のせい?でもサクッと揚がっている)、少し苦味のある大人な味。娘は、よもぎの天ぷらの方が好みだけど、大和当帰も食べられました。

 

白茄子は、宣伝通りとろっとしていて美味!とても大きな茄子だったので、半分は揚げ浸しにしました。

 

マコモタケは、全くクセはなく、味自体も淡白で、筍とエリンギの間のような味と食感?マコモタケの天ぷらはおいしくて、娘にも好評でたくさん食べてくれました。右のお皿のバター醤油炒めも娘の好きな味付けなので、おいしいとよだれ

 

だいたい変わった食材は、天ぷらにすれば間違いなしという持論指差し友人も大和当帰は天ぷらにして子ども達は進んで食べたと。

 

いただいた栗ハート

栗を調理する気力が湧くまで、一旦冷凍庫に保存。
 
秋の恵みを味あわえて、旬のものを食べると、おいしいのはもちろんなんですが、「「旬をいただいた!」「身体にいいもの食べた!」というプラセボ効果か、気持ちまで元気になるので、不思議です照れ音符