初夏の風物詩、つばめの巣を発見気づきまだ黒くて小さくて、生まれて間もないのかな。毛が生えそろっていないところもかわいい。ピイピイ鳴きながら大きな口を開けて、親鳥の帰りを待っていますニコニコ



先日、スーパーでタイラギ貝が並んでいましたびっくり三池炭鉱に行った時に、大牟田の名産と知ったアレ。本当に大きいびっくりマークどれぐらい大きいか伝わりますか?上が穴子で右上はニジマスだったかな。ちなみにタイラギ貝は、熊本県産で980円なり。



生食可能だったので、お刺身で食べてみたい気持ちはあったのですが、仕事帰りで、自分を追い込みそうだったので、やめておきました。何より娘も夫も貝類が好きではないので、調理しても喜ぶのは私だけ笑ううさぎ今度、余裕のある時に再会したい。


今までも、この大きいの何だ?と見たことがあったかもしれませんが、意識していなかったので素通りだったのでしょう。


この日、マテ貝やバイ貝など色々な種類の貝が並んでいて、まるで貝の博物館のようでした。


最近、潮干狩りでマテ貝を採る映像を見たところで、マテ貝が砂からニョキッと顔を出した時にヒョイッと引き抜く様子がおもしろくて、自分の中でマテ貝狩りに行ってみたい熱が湧きあがっていたところでした。できれば赤マテ貝を食べてみたい。


我が家は、潮干狩りへは行ったことがありますが、マテ貝を採ったことはありません。子どもだったら、マテ貝狩り絶対楽しいと思う。我が家は、もう潮干狩りへ行くことはないと思うけれど、小さいお子さんのいる方は是非行ってみてほしい。


さて本題へ。ブロ友さんの展覧会記事がおもしろくて触発され、京都国立博物館の「北野天神」展に行ってきました。


目玉は、菅原道真の生涯と怨霊としての活動を描いた国宝・北野天神縁起絵巻「承久本」キラキラ「承久本」は、現存する北野天神縁起絵巻の中で最古のものであり、北野天満宮のまさに“御神宝”。


縦53cm、全長80メートルにも及ぶ絵巻物。特大ですびっくりマークもう大迫力でした。


展覧会は撮影禁止だったので、パネルから雰囲気を感じとってくださ〜い!

雷神は、道真の怨霊ダッシュ


いつ見ても立派な京都国立博物館



承久本の作者は、藤原信実とも伝えられていますが、定かではなく、作者不詳です。藤原信実といえば、切断されて流転の運命を辿った佐竹本「三十六歌仙絵巻」の作者ですよね。他にも「随身庭騎絵巻物」を描いています。


「随身庭騎絵巻物」は、天皇らを警護する容姿端麗のSP(随身)9人を描いた作品だけど、信実の描く男達はイケメンとは言い難く、どこか滑稽。だから、貴族達は、信実に描かれるのを嫌がったそう。


そういえば、承久本の貴族達もずっこけ方がお笑い芸人っぽかったり、雷神が妙に愛嬌のある目をしていたり、所々お茶目さを感じるのですニコニコ


鴨川が真ふたつに割れたり(モーゼ?!)、耳から蛇が出てきたり(メデューサ?!)、無花果食べて火を吹いたり、もはやファンタジー小説?


絵巻の物語を通して道真が神格化していった様子、むしろ我は無実だーと訴えて、それを認めてもらえず怨霊として現れ、祟りを引き起こす復讐物語のようにも感じられました。


道真に関係する作品として大阪の道明寺から多く展示されていましたが、私が3歳頃まで道明寺近くの社宅に住んでいて、初詣や桜見に道明寺へ行った時の写真が残っていて、そんな由緒正しいお寺だったんだぁと縁を感じました。


あんな大きな絵巻物が、こんなにも綺麗な状態で保存されていることも驚きです。せっかくの美しい絵巻物なのに、多くの日本人が見ることもなく保存されるってもったいない気持ちになりました。眼福満足ニコニコ


次に、以前から気になっていた柳原銀行資料館に足を運んでみました。京都国立博物館と京都駅の中間ぐらいにあります。

柳原銀行は、被差別部落に住んでいた人達によって作られた初の銀行です。今は、とても小さな資料館になっており、被差別部落の歴史について展示されていました。館内は撮影禁止。


昔、鴨川では、着物を洗濯したり、見せ物が行われたり、様々なことが行われました。疫病が流行った時には川が屍で埋め尽くされたこともあります。


河原で行われる処刑もそのひとつ。鎌倉時代、処刑場の近くには、死刑囚の処刑前に引導を渡す北条時宗の寺院が並んでいました。


一遍上人がその寺院に滞在した時、賦算(お札配り)と踊り念仏で、身分の上下関係なく多くの人を熱狂させ、非人と呼ばれて社会から排斥されていた乞食達も群れ集まっていました。六波羅の武士たちは、刑罰の執行を手伝う者を、この乞食の中から選び出し、命じました。


この頃、非人と呼ばれたのは乞食だけでなく、当時は業病として恐れられたハンセン病の者や、囚人なども非人と呼ばれていました。


つまり乞食やハンセン病の者などは、単に貧しかったり病気であるだけでなく、そのことによって「人にあらざる」者になったと当時の人々は考えていたのです。


時宗の寺院近くには処刑の手伝いをする河原者の村が作られました。そのひとつが六条村で、現在の崇仁(すうじん:地名)です。六条村の人々は処刑の手伝いをする一方、その見返りとして死牛馬の死骸の処理をする仕事を保証され、その中で皮革業者として成長していったのです。


江戸幕府も、六条村の人々に処刑の手伝いや死牛馬の処理の仕事の権利を保証し、さらに雪駄作りを行うようになりました。


1871年解放令が出され、身分は撤廃されましたが、六条村にとっては死刑執行の手伝いという大きな仕事を失うことになりました。さらにそれに加えて、明治に入ると、日本人の履物から雪駄が急速に消えていき、二重で仕事がなくなったのです。


しかし、六条村の人々が、江戸時代に蓄えた資本を活かして、新たに製靴業や近代的な皮産業に活路を求め、そのような商工業活動の中心として、柳原銀行が設立されました。


今まで、なぜその土地に屠畜業が栄えたのか、被差別部落となったのかの歴史を詳しく知らなかったので、とても勉強になりました。


DVDやVHS(懐かし!)が置いてあり、スタッフさんに声をかけると視聴できます。被差別部落と皮革産業の関係が分かる歴史の部分だけ見て行こうかなと思ったら、続いて流れてきた牛などの皮から白なめし革ができるまでの映像が興味深くて最後まで見ちゃいました。白なめし、めちゃくちゃ手間のかかる作業です。しかも肉体労働。もう大変ダッシュ


今は、薬品を使って皮を革へ仕立てますが、昔は、水と塩と菜種油を使って、なめしていました。超エコです。


白なめし革ができるまで、何度、皮を川につけて、乾燥させて、塩をすり込み、もんで、油をすり込み、踏んでを繰り返すことかダッシュ蒸してもいたな。もう、そこまでするかと、おったまげましたびっくり笑い


スルメを噛むと柔らかくなる理屈と一緒らしい。アイヌでは、噛んで皮を柔らかくする噛みなめしという技法があったくらいびっくり


最初にまだ毛のついた皮を川に5日間ほど浸けておくのですが、川のバクテリアがつき、苔が生え、皮の脱毛がしやすくなるそうびっくりだから、ミネラルを多く含む川は、なめしにとって重要だったのです。


多くは河原での作業なので、天気や川の増水には絶えず気を配らなければいけません。完成間近に、皮を夕方河原に干して、夜露をつけさせて深夜に取り入れます。この夜露というのがポイントらしく、お水やお湯では駄目なんだそう。夜露が皮を最後にふんわりさせるらしいびっくり


今でも姫路の方では、この伝統的な白なめしの職人技を残していこうという働きがあるようです。


京都駅へ向かう道中、靴屋や皮革屋を見かけ、歴史とのつながりを感じました。私は、20代の頃、京都に7年ほど住んでいましたが、この地区のことはふんわりとしか知らなかったので、知ろうとしないと知らないことばっかりだなぁと思いました。


小腹が空いたけれど、そこまで空いていない。手打ち蕎麦のお店がないか探してみたけれど、近くにはなかったので、京都まで来たのでちょっと遊んでみようと、京都駅ビルの茶寮「FUKUCHA」でトラディショナルティーとスイーツのペアリングセットを注文してみました。


お蕎麦を自分で打てるようになったらなったで(打てるというにはおこがましい出来ですがあせる)、プロの美味しい手打ちそばのお味が気になります。


京都に来た時ぐらい、はしゃいじゃぉ音符

ほうじ茶の香りがいい〜むらさき音符和紅茶も優しいお味でいい〜ブルー音符煎茶の苦味がいい〜ピンク音符


ペアリング効果の説明書があったのですが、正直その効果はよく分からなかったです爆笑でも、説明書片手に味わい、どれも美味しく楽しめたので良きニコニコ


インバウンド客過多の京都となり、めっきり行く機会が減りましたが、やっぱり京都の歴史的建造物の風格から溢れ出る本物の迫力が、京都ならではだなぁと、久しぶりの京都でしたが、その魅力をひしと感じましたキラキラ