今年の節分は、娘からリクエストのあった海鮮の恵方巻を作りました。具材は、サーモン、マグロ、ブリ、きゅうり、厚焼き卵。

娘が小さい時は、家の中で豆まきをしたけれど、さすがにここ数年はしておらず、毎年豆が残りがちだったので、今年はカルディの豆もどきチョコレートにしました。パッケージのレインボー鬼がかわいい。


映画『ラーゲリより愛を込めて』を見て、京都府舞鶴市にある舞鶴引揚記念館に行ってみたくなった私。当初、1人で行こうかと考えていたら夫も行くと。夫は、引揚記念館にさほど興味はないけれど、知らない土地をぷらぷら散歩するのは好きなので。平日に行ってきました。


バスにお任せで行けるならバスで行こうということに。3列シートで快適。雪景色がうっすらと見え始め旅情気分を盛り立ててくれます。


舞鶴港に近付いてくると、海上自衛隊の護衛艦が何隻も視界に入ってきて圧巻。


東舞鶴駅に到着。舞鶴での移動は、2人ならレンタサイクルが楽しいかということで、レンタサイクルを借りました。引揚記念館までのバスの本数が少なく、徒歩では厳しい距離なので。


舞鶴に、日露戦争の際に対ロシアの重要拠点として1901年鎮守府が設置されました。


海軍施設の物資運搬のための軍港引込線の鉄道が走っていた北吸トンネル。


最初に訪れたのは、赤煉瓦倉庫軍。鎮守府軍需部の倉庫として建てられ、砲銃や弾丸などが保管されていました。先程のトンネルの引込線が、倉庫の内部にまで敷かれていました。

ここ赤れんが倉庫群は、「わたしの幸せな結婚」など多くの映画のロケ地にもなっています。


舞鶴鎮守初代司令長官だった東郷平八郎が、出迎えてくれます。


最初に訪れた赤れんが2号棟は、市政記念館になっていて、ここになんとベルリンオリンピックでヒトラーから水泳の菅谷コーチに手渡された短刀が展示されているのです。あのヒトラーですよ笑い柄の部分に鉤十字が!


お次は、赤れんが博物館へ。


目の前には、海上自衛隊の護衛艦がズラリ!


赤れんが博物館と引揚記念館の共通券を購入しようと入館してチケット売り場に行き、


にっこり(私)「引揚記念館との共通券を下さい」


ニコ(博物館スタッフ)「引揚記念館は、今日はお休みです」


真顔「え?!!!!どうしてですか?????」

  (臨時の点検日とか何か?!)


ニコ「定休日です」


驚き「え?定休日!定休日って週1回の定休日ですか?」


ニコ「はい、明日なら開館しています」


煽り「えーーーー!定休日ですか?!


オエー「えーー……」


凝視(かたまる)


まさかまさかの定休日を見落としていたのです無気力


やっちまったーーーー笑い泣き


ショック過ぎて言葉が出ないチーンかたまるしかない真顔


どうしよう。。引揚記念館が目当てで、2時間もバスに揺られて来たのに。。今から帰りのバス(予約制でチケット購入済み)までの約6時間どうするよ。。凝視凝視凝視凝視凝視


赤れんが博物館や市政記念館、ショップ、飲食店、あらゆる定休日は確認済みでした。それなのにネガティブ引揚記念館も確認済みと思い込んでいたのです。


言い訳するなら、急遽行くと決めたことや同時期に春休みの帰省予定の調べごとで開館日などを色々調べすぎて、ごっちゃになってしまったのでしょう。


でも、まさかメインイベントが成立しないなんてあり得ないネガティブ思い込みって怖っびっくりマーク自分ができていると思っていることができていなかったガーン老化現象はてなマーク


これが、仕事や大事な試験日などの確認ミスでないだけ良かった凝視仕事でこんなこと、許されない。お供が、お友達でなくて、夫でまだ良かった。夫は、引揚記念館に興味がない分、私のようにショックは受けていない爆笑今日どうする?と私が可哀想と。


まぁ、開き直るなら、旅行のスケジュール計画やチケット予約は全面的にいつも私がしているので100回したら1回ぐらいこんなこともあるよね〜昇天いや、ないかも。あー、へこむネガティブ


引揚記念館で、人間が極限の状況に置かれた時に、なお希望を持ち続けることができた理由は何なのか、『夜と霧』においても語られるような過酷な環境における生きる意味、その生きる力の源のようなものを遺された史料から感じ取りたかったんですよね。


見つからないように隠し持った白樺の皮に書いた日記や和歌を書いたメモ帳、楽団のトランペット、そこにあった材料で作った麻雀牌や花札など。


あぁ、舞鶴で何をするか考えなきゃネガティブこんな時こそ楽しめなきゃ。。


とりあえず、赤れんが博物館を観ながら考えようか。


赤れんが博物館になっているここは、魚形水雷庫でした。


フランス積とイギリス積の違いがよく分かるびっくりマーク


ここには、世界中のれんがが集められています。


紀元前2000年頃のインダス文明のジャッカルの足跡がついたれんがあしあと



色々突っ込みたくなる粘土釘

釘が粘土って今の感覚から言うと強度はいかに?釘なのに楔形文字が彫られて見えなくなる?!


おもしろいのが、メソポタミア文明の粘土板。まず、この細かな引っ掻き傷のような文字を読解できたんだという驚き。そして、書かれている内容が、「悪事を働いた者を捕まえろー」で、このことが粘土板に書くほど重要案件という治安の悪さが伝わってくるし、意外に下世話な内容が記されているんだぁという人間臭さを垣間見た感じ。


こちらの粘土板には、「お前達は平民だ。お前達の首をはねてほしいものだ…」など、恐怖の内容ピリピリ

労働、搾取の社会が伝わってくるような内容で、メソポタミア文明という輝かしい裏では労働者の厳しい現実があったのだろうダッシュ


公共の記録が粘土板って、めっちゃかさばるーーー泣き笑い重いしー泣き笑い香ばしいビスケットみたい。


紀元前660年頃のエジプトの象形文字ヒエログリフが押印された葬送用コーン

墓軒飾りなのか用途は不明。神官の名前や家族の名前が書かれている。


中国のれんがは、塼(せん)と呼ばれ、焼くときに酸素が少なく白っぽい。万里の長城の塼を硯に転用。アイデア商品電球


赤れんが倉庫群など舞鶴には、れんが作りの建物が多いです。これらのれんがは、少し離れた神崎ホフマン窯で作られました。



ホフマン窯は、おもしろい仕組みで、大量のれんがを焼くことができます。



ホフマン窯の復元


もともとは、フィンランドの醸造所が製造した東郷平八郎がラベルの「東郷ビール」生ビール

ロシアのバルチック艦隊を破った東郷平八郎。当時ロシアの植民地だったフィンランドは、小国日本がロシアに勝ったことに驚喜し、これを機にフィンランドの独立運動が起こり、独立を勝ち取ったのです。だから、フィンランドは、東洋のネルソンと東郷平八郎を讃えたそうです。


同じことをしていても勝ったら英雄(当時は)、負けたら戦犯。勝てる見込みがあるかを正しく判断ができていたかの違いがあるとは言うけれど、していることは同じなのになぁ。


赤れんが博物館で見たかったれんががあるんですよねー。ベルリンの壁のれんが、アウシュヴィッツのれんが、ロシアのレニングラード包囲戦やスターリングラードの戦いを見たれんが達。


なかなか見つけられず、ありとあらゆるれんがが展示されているので、見落としたのかと入念に探すも見当たらない。スタッフさんに聞いてみる。


ニコ「えーっと、普段は展示室に展示しているんですけど、その場所で今企画展をしていて、ベルリンのれんがなどは、収納してしまっているんです」


真顔「あ…、そうなんですか」ガーン


引揚記念館にもれんがにも見放された気分凝視(引揚記念館は自業自得だけど驚き)スタッフさんも私のことを気の毒に思った様子が伝わってきて痛い。またへこむ。。


ランチは、日本海に来たからやっぱり海の幸を頂きたい。大きな窓から目の前に舞鶴湾が見えて、雰囲気良いよ。

刺身定食、ちょっとだけ値がはるんです(2400円)事前に海鮮料理のお店を調べていたのですが、新鮮で美味しそうに見えるお店は、たいていこの量でこんなにもお値段するの?的な価格。


地方の方が物価が高いって言うけれど、本当だ。きっと観光地価格なんだよね。地元の人は訪ずれないお店?でも、地元の人っぽい人も来ているんだよね。謎だ。


美味しかったけれど、やっぱりコスパは微妙かな。舞鶴市役所の食堂の地魚のフライ定食の方が良かったかな。駅前のショッピングモールのスーパーとは思えないレベルと口コミにあった1000円海鮮丼の方が良かったかな。こういう時は、地方の経済活性化に貢献したと考える。


節分の時に作った海鮮巻きは、1本500円くらい。心の満足度は、あまり変わらないんだなぁ。


さて、これからどうしましょうか。


舞鶴観光の護衛艦や造船所が直近に見える遊覧船は冬季点検中のためお休み、海軍記念館や東郷邸は災害派遣対応のため休館中。


東舞鶴から西舞鶴に移動して、田辺城跡と田辺城資料館に行くことにしました。選択の余地はほぼなし真顔


電車で移動すればすぐなのですが、1時間に1本しかなく、帰りの時間を考えると色々微妙。約7.2kmなので自転車で行くことに。


って、これが修行過ぎた煽り途中、路上にまだ雪が残っていたり、雨が降ってきたり、峠越えや恐怖のトンネルオエー


サイクリング中、写真を撮る余裕は全くなかったので、帰りのバスの中から苦難の道を記念に(?)撮りました。

何しにきた?これ旅行?苦行?雪道に自転車、命懸けのアドベンチャー?!娘がいたら無理だったな。とにかく転けないように慎重に漕ぐのに必死でした爆笑


電動でなくノーマル自転車なので、緩やかな登り坂に時間がかかり、これはもしかして到着したら、もう帰らなきゃというオチの不安もよぎりつつ、修行に励む雪の結晶自転車自転車傘


45分ぐらいで行けるかなと見込んでいたら、約1時間10分もかかって田辺城跡に到着拍手

関ヶ原の戦いの前哨戦のひとつ田辺城の戦いで50日間の籠城戦が行われたお城です。


細川幽斎率いる城方は、500。対する攻め手は、1万5000ハッどう考えても不利な細川幽斎。しかし、細川幽斎は、古今和歌集の秘事口伝「古今伝授」の伝承者だったことから、細川幽斎が殺されたら「古今伝授」が途絶してしまうため、天皇直々に戦を止めにかかったのです。まるで人間国宝のようダイヤモンド


田辺城資料館へ。


籠城戦図

こんなにもびっしり取り囲まれて怖過ぎでしょ。


火縄銃が自由に触れたり、甲冑が展示されていたり、夫は引揚記念館よりこっちの方が好みらしく、それはそれでよかった。


個性豊かでおもしろい。


相関図が分かりやすい。細川幽斎は、明智光秀と盟友で細川ガラシャの義父。

細川家の18代当主は、なんと細川護熙元首相なんですね。細川護熙氏は、細川幽斎の子孫なのですびっくり


江戸時代の城下町のジオラマは、ひとつひとつじっくりと見たくなる。


飴細工の屋台や金魚すくいがあり、縁日みたい。


公園の遊具がお城なんて萌え気づき


来たからには帰らねば。自転車を走らせていると、ロシア風アーチを見かけました笑い舞鶴は、ロシアのナホトカ市と姉妹都市で、数十年前に多くのロシア人が行き来していたそうびっくりこのアーチは、聖ワシリー寺院がモデル。

(画像は、京都ハイブリッド商店街HPよりお借りしました)


教会をいくつか見かけて、キリシタンによる布教が盛んだったよう。


帰りは、道を変えてみたら、前半上り坂がきつかったけれど後半は長い下りで一気に距離を稼げて、時間短縮になりホッ。


赤れんが倉庫群に戻って、娘へのお土産を購入し、東舞鶴駅前でレンタサイクルを返却して、帰りのバスに乗り込みます。バスの中は、暖かくて一気に夢の中へzzz


残念ながら引揚記念館に行けなかったけれど、YouTubeに引揚記念館を訪問した時の動画をあげている方がいて、展示のの端から端まで全てと言っていいほど詳しく映して紹介してくれていて、そちらを拝見してだいぶ心は満たされました。


抑留者の中には女性捕虜がいたこと、ロシア兵に性的暴行を受けたこと、それから逃れるために集団自決した女性捕虜がいたこと、帰国後に差別受け、辱めもあり事実をひた隠しにしたこと、死体はシベリアが寒過ぎて穴が掘れないため地面に置かれて石で覆ったことなど、もう悲しすぎることばかり。


抑留者が帰国後に描いた伊呂波加留多が、抑留生活をリアルに表現していました。


「起きてビックリ隣りの屍体」

「不意うちに射殺された岡島軍曹」

「消し炭砕いて下痢ぐすり」

「涙で食べた白米の味」

「欲しい物はミニャーチ(物々交換)で」

「憎っくき敵はシラミの大群」

「馬糧高梁もメシのうち」

「若い命が消えていく」

「零下三十五度で作業中止」

「留守を狙ってコンボーイ」

「盗られ奪われまるハダカ」

「血に飢えた巨怪南京虫」

「裏であやつる紐踊る民主友の会」


戦争がなくならない世の中。平和に興味関心のない人達にこそ知ってほしい歴史。大人になって価値観が固まる前の子ども時代の教育は本当に大事。自分にできることからしよーっと。


それにしてもひどい大失態ダッシュ一生忘れないネタができました爆笑