都立国際高校へ行きたいなら -4ページ目

都立国際高校へ行きたいなら

都立国際高校の魅力、合格への道を探ります。

都立国際高校におけるIBコース、すなわち国際バカロレアコースが話題になっている。実際、初年度入試からいきなりの偏差値70を越え、開成高校をけって進学した生徒もいる、など話題を振りまいている。

実際、英語ができる子にとっては刺激的であろう。都内の中学生に教育委員会が配布したパンフには、英語の能力が英検2級から準1級と書いてあったが、こうなれば腕に覚えのある生徒は挑戦したくなるだろう。

私などは、国際バカロレアというとすぐにUnited World Collegeを連想してしまうのだが、特にカナダのPearson collegeなどは、自分が若い頃に知っていればきっと目指しただろうと思っていた。しかし、日本でIBというのは、インターナショナルスクールだけの話のような気がしていたが、こうして都立高校でも取り組みが始まったというのは素晴らしいことだと思う。

ただ、一方で、IBに対して過剰な期待というか、中身を吟味せずに、単なるエリートコースのように受け止められているのではないか、と思うときもある。

実は、IBの導入が決まったとき、国際生の親の中には、多少、動揺した人たちもいたようだった。学校にはその前からIB準備室が設置され、その準備状況も知らされていたわけだが、いざ、次の入試からIB入試が行われ、IBコースが設置されるとなると、簡単に言えば「自分の子供はIBの恩恵を受けないのか」ということが親たちの話題になっていた。実際、父母会でもそのような質問もあったと聞く。

そのとき、学校側からは「IBの研究によって得た成果は全学校に還元していく」というような答えがあったそうである。親たちが納得したかどうかは知らないが、私は、これは非常にまっとうな答えであると感じた。

IBコースというのは、基本的に海外大学進学のためのコースであることは事実である。もちろん、国内の大学もIB入試を設置しつつあるが、今後、これがどの程度の競争になるのか、それもよくわからない。もし国内の一流大学を目指したいと思っているのであれば、一部を除いてIBコースの進学は基本的にミスマッチの可能性もあることは、もちろん実際に進学した生徒たちは理解していることだろうが、IBIBと騒いでいる人たちがどの程度理解しているのか。

もっとも、IBのメリットは、何も、ディプロマを取れる、ということに尽きるわけではない。それは従来の日本の教育に対するアンチテーゼ、といえば言いすぎだろうか、代替案的な要素が多分にある。これからの時代を生きていく力を養成する教育のテストケースになると思われる。

そういう意味でのIB的教育というものは、何もIBのディプロマを取ることに限られるわけではない。その意味で、国際高校側が、一般生徒に還元していく、というのは、建前を越えて、本気で目指していることであろうと思う。

もちろん、IBコースにおいては、一般コース以上に勉強が大変であるのは言うまでもない。IB棟ができていないために、教室と教室の移動が大変で走らないといけない(俗にいうIBダッシュ、というやつだ)なんていうのは笑い話ですむが、部活動も続けるのは困難だという話も聞く。それが悪いわけではない。でも、せっかくの高校生活で部活動を思い切りエンジョイする中で、多様な生徒と触れ合うことで得ることも確実にあるのだ、と私は思っている。

国際高校ではないが、例えば、東京学芸大学附属国際中等教育学校では、以前からMYPを実施していた。その成果は、生徒たちの様子や、MYPのパーソナルプロジェクトの発表を見てもよくわかる。この学校もDPも実施することになったのだが、やはり全員ではなく、選択でコースが分かれるという。通常の高校課程に進む生徒と、通常の高校課程に加えてDPで学ぶ生徒に分かれるわけだ。学校側の話によると、高校で留学したいのであれば基本的には一般コース、と言っていた。やはり、DPは二年間で集中的に勉強し、海外大学へ進学というイメージのようだ。

これはどちらがよいという話ではないが、高校で留学するのと、大学での留学するのでは、身につく英語の質が少し異なると思われる。大学ではどちらかというと、とにかくアサインメントに追われ、ひたすら本を読んで、ひたすらレポートを書いて、ディスカッションして、と、なりがちであるが、高校留学では、もっとクラスメイトやホストファミリーとの日常的なかかわりの中で身につく英語である。(もちろん、どちらかしかないというわけではないが、傾向として、である。)留学の結果身につく英語力としては、もしかしたら、大学での留学の方が高度な英語と言えるのかもしれないが、アメリカなりオーストラリアなり、あるいはその他どこであっても、留学先の国の文化そのものを思い切り吸収できるという意味では、高校留学に軍配があがる、と私は個人的に考えている。

誤解しないでほしいのだが、私はIB教育に否定的なわけではない。逆に、IB的な教育には大いに期待している。また、日本の高校生が今後ますます海外大学に留学してくれることは大賛成であり、期待しているし、ただ、選択を迫られる日本の中学生の皆さんには、DPのディプロマを目指す、というのが、それなりに大変な選択であることはよくよく考えておいてほしいと思っているのである。そして、あたかもこれからのエリートコースはこれ、のような煽り方をするマスコミに踊らされないことを願っている。
前回、試験科目が五科目になっても志望者は減ることはないだろう、と書いた。そもそも国際を受験する生徒の多くが、いわゆる「国際命」の生徒だからだ。しかし、なぜ、国際はそれほど人気なのか。

誤解を恐れず単純化すると、都立国際高校を志望する生徒の多くが、その自由さ・のびやかさに憧れを持つ。一方、保護者は、そのグローバル教育に望みを持ち、さらに、塾関係者は進学実績を評価する、そんな図式が成り立つように思われる。国際高校は、生徒・親・塾関係者の三者の異なる希望が接点を持つ学校なのである。

しかし、これは偶然ではない。

いったいに国際と名のつく学校は数多いが、、、これは大学などでもそうであって、名前が変わったと思ったら「なんとか国際大学」になっている、なんてことはよくあるのであるが、、、実態を持って国際教育を行っている学校がどれだけあるか。

外国語・国際理解・課題研究を柱とし、科目によっては多展開授業を行うなど、教材研究や授業の準備の大変さは、通常の高等学校の比ではない。教員たちの良心的な誠意ある努力に担われて初めて可能になるのである。そういう教員たちが、つまらない管理教育をよしとするはずもない。

当たり前のことだが、勉強=苦痛などと考えているうちは成績の上がり方など多寡が知れている。面白いと思わない勉強は無駄なのだ。だから、所謂進学校でも、超がつく優秀な学校の教員は、その教科の面白さを伝えることに長けている。ときに、専門的な話を交えて知的好奇心を刺激し、ときに雑談によって、周辺的な関心を掻き立てる。その科目を面白いと思ってくれさえすれば、勉強は自分からするようになるし、その効率も、いやいややっているときとは比較にならないからだ。

無理やり机に座らせて、無理やり黙らせて、むりやり勉強させる。人格を否定するような罵詈雑言で生徒を黙らせ従わせる。あるいは、もともとliving zombieのような生徒たちを集めて、知識を詰め込む。日本の学校によくあるそんな光景ほど、国際化と似合わないものはない。

若干、後ろ向きの感もある現在の政権ではあるが、大きな流れで言えば、今後、日本が必要としている人材は、集団的であるようりは個人的な人材、個性があり、独自の考えがある人材である。その他大勢と置き換えられるような人材は、もはや人材ではなくなっていくだろう。独自の発想や、その他にない能力というものが求められている。

一昔前、世界にひとつだけの花、という歌がはやった。ナンバーワンよりもオンリーワン、という内容だったと思う。これが、単に、そうだったらいいな、という話ではなく、そうでなければ生き残れない、というレベルに近づいているのだ。

では、これが国際化とどう関係あるのか。

それは、日本語という壁に守られ、国内に住むのは日本人が圧倒的という現状に守られてきたこの日本という国が、ガラパゴス化しているからだ。そして、そのガラパゴスも、もはや中身が空洞化しているからだ。空洞化の理由はいろいろあるだろう。少子高齢化。改善が進まない男女差別。国際競争力の低下。

このような状況で、この狭い日本の狭い競争社会で一番だ二番だ、と言っている場合なのだろうか。それを社会で活躍する親であるほど、肌で感じているのだろう。偏差値が少し高いとか低いとかで学校を選ぶなどというのは、閉ざされた社会であれば意味があっただろう。しかし、より広い世界においては、多少の偏差値の違いなどは意味がない。それよりも、その広い世界に出て行く力、その広い世界で生きていく力を持てるかどうかが大切なのだ。

そして、その広い世界で行くていく力こそが、個性だ。好きでもない仕事を適当にやっていく、などというあり方では世界で戦えない。好きなことに、自分のエネルギーを注ぎ込むことこそが、世界で戦っていく鍵なのだ。

いまや、大学もそのような生徒を望んでいる。もちろん、名前に国際とだけつけておけば生徒が集まると勘違いしているような大学はともかく、まともな大学であれば、そのような学生を集めることが大学の生き残りだと考えている。

そんなわけで、都立国際高校の人気というのは、世の中の深い動きが表面に現れたものと考えたほうがいい。今後しばらくは、これが変わることはないだろう。
前回、前々回と、都立国際高校の入試方向の変更について書いた。では、これらの変更の影響はどうなるか、を考えておこう。

(1)学校生活の重視

もともと国際高校は調査書の点がよい子が多い。従来の配点(国際の場合、各科目5点x9=45点満点)で、42もしくは43点くらいが一般的なラインではなかっただろうか。39点という生徒もいないではなかったが、珍しかったと思う。

むしろ、今までは面接があった分、中学校生活を大切にして活躍してきた(生徒会、部活、ボランティアその他)生徒のほうが、アピールしやすかった部分もあったと思う。従来から、英数国理社だけを大切にして、他の授業をおろそかにする生徒は合格しにくい学校であったのだ。

その意味では、あまり特別な問題にはならないと思う。音楽や体育、美術や家庭科・技術など、今まで通り手を抜かず、楽しんでやったらいいと思う。中には、音楽が特別苦手とか、体育が特別苦手な生徒もいると思うので、その場合は若干大変だと思うが、自分なりに精一杯やっていれば、それなりに評価されるのではないか、と思う。


(2)受検生は減るか?

これについて、五科目になると私立との併願のメリットが減るので受検生が減る、という予測もあるようだが、受検生が減ることはないだろう。

もともと、国際高校、つまり都立高共通問題の国語・数学は、私立の国語・数学に比べて大変簡単であったので、それなりの私立を受ける子達は、国語と数学も、それなりに勉強しなければならないのが現状であった。また、英語についても、国際と私立とでは出題傾向が結構違うので、一般的な中学生の「英語が得意」レベルでは合格は難しかった。

一方、都立の共通問題の理科・社会はますます易しくなってきており、まともに勉強している子にとってはそれほど難しいものではないと思われる。それゆえ、五科目になったことを理由に、国際の受検を敬遠する生徒は、それほど多くないのではないか。

ただ、一部の英語が特によくできる生徒については、IBコースに挑戦する生徒は増えると思う。ただ、IBコースを選んだ場合、部活を継続する生徒が少ないこと、高校での留学を考えにくいことなどから、どこまでIBの人気が上がるのかは未知数ではある。

以上から、国際の人気は上がることはあっても、下がることはない、と考えたほうがよいと思われる。

余談になるが、昨今のグローバル化の風潮はもはや流行などではなく、危機意識の現われと考えたほうがよい。日本は、国自体がガラパゴス化している、というのは、社会で活躍している人間の共通認識に近い。今後も、こういう認識はますます一般化するであろうし、その中で、わが子を、中途半端な進学校で妙な受験勉強させるよりも、国際高校で勉強させたい親はますます増えるだろう


(3)結論的には

結論的に言うと、国際を志望している生徒は、従来どおり、あるいは従来にもまして、中学校生活を大切にし、特に実技科目においては先生とのコミュニケーションを良くしつつ、懸命に取り組むこと。その上で、英語の力を少しでも引き上げること、ということになる。

特に、理科・社会については、学校の勉強を中心としながら、都立の共通問題に対応できる程度のレヴェルに引き上げることが大切であって、効率を考えると、予復習を中心にするのが楽だと思う。わざわざ、学校とは別に理・社の勉強をするというのは若干時間が勿体ない気がする。

もちろん、学校の授業がまともであれば、の話だ。そうでなければ、なんとか効率のよい勉強方法を編み出すしかないだろう。いずれにせよ、従来以上に、戦略的に勉強することが大切だと思う。