世の中には理不尽と思われることが確かにあります。それを変えたいと思うのは誰しもが思うこと。しかしそのやり方、プロセスが大切だと私は考えます。
テロや、かつての学生運動はそんな社会の理不尽なルールを変えたいと思って起こったことなのかもしれません。しかし、それは客観的に見ると、自己の利益を優先して社会的利益を無視した行動としか思えません。なぜなら、それが成就したとしても多くの人の犠牲の上に立つものだからです。
かつて起こった学生運動、その動機についてはあまり詳しくはないので勝手なことは書きませんが、それが官僚制のような社会システムに不満をもって起こったものならば、そのやり方は間違いだったと思います。なぜ彼らは知力・行動力・熱意を持ちながら、フェアな戦いを挑まなかったのか。
あれだけの規模があれば、社会的起業やNPOを作って何か活動ができたかもしれない。まあこれは少々飛躍した議論ではありますが・・・。
とにかく私が言いたいのは、ルールを変えたいと思うならば、まずはそのルールに従って、そのルールの中で変革を起こすべきだということです。そうしなければ、ただ自分が気に食わないからという、自分勝手な意見で秩序を乱すことになります。
たとえば高校の制服で、シャツをズボンの中にしまわなければいけないという校則があったとします。それを変えようと思ったとき、シャツを出したまま抗議をすれば、「自分のために校則を変えろ」といっているようなもの、しかしシャツを中に入れて、「こういう理由だから変えるべきだ」と抗議すれば、客観性・信憑性が高くなるでしょう。
ルールは秩序を維持するために作られたものです。それを変えるには客観的に見て間違いであることを指摘するべきだと思うのです。決して自分の意見を押し通そうとして秩序を乱してはいけないのです。過剰な学生運動も、平和のためだというテロも、結局は秩序を乱す行為であったといえるでしょう。