最近はこちらのブログ更新が多いです。↓
ITαブログ(仮)
なぜ人は自分以外の何かに付き従うことに満足してしまうのだろうか。多くの場合その何かのために時間を奪われ、ストレスを感じているにもかかわらずそこに収まっている。
結論を先に言ってしまえば、所属することで得る自尊心を得ること、あるいは何かに従っていることが楽だということだ。たとえ自分の所属している何かという環境が厳しいものであったとしても、成長できる機会を用意しているのはその何かであるのでそれは楽だ。楽とは怠惰ではない。目的地への道順が何かによって示されていることだ。
その中で自主的に動くことは可能だが、強い信念を持っていなければその文化や先人のモデルルートによって同化してしまうだろう。
ところで、従属とチームは全くの別物である。従属は楽であるかわりに個人を殺しかねないものだが、チームは恊働であり、自主性がなければ何も生み出すことができない。ここでいう自主性とは従属においての行動の自主性のようなものではなく、もっと根本的に主体性を持つことである。
従属に染まってしまう人はそれが楽だと思ってはいないだろう。何かのために一生懸命働いているので日々に疲れもするし自尊心も持つだろう。むしろ従属を嫌う人を非難するかもしれない。とくに日本人の労働主義ともとれる勤勉な文化ではそうだろう。
だが考えてみれば、何かのために自分を殺して一生を終えるのなら生まれてきた意味を見つける暇もない。子どものころ馬鹿みたいに憧れた夢を実現することもできない。可能性があるにもかかわらず。
こういうことを言うと、「もっと現実を見ろ」と反論されるだろう。そういう言葉にはあきらめが伴っているように思う。歴史に名を残してきた人たちは一部の選ばれた人間だとか、世界を動かしてきたのは一部のエリートたちだとか、才能が全然違うとか・・・
一つの個としてはほとんど相違ないのに、あきらめる必要はないと思う。もちろん生まれながらの環境の差や才能に違いはある。ところが幸いなことに世界は多様化しつつあるので、それらは目標をあきらめる理由としては弱まりつつある。
あきらめる人間は、自分の知る限りでは成功体験の少ない人間だ。勉強でもスポーツでも、成功した体験を持つ人は自分の可能性を信じる。そして成功によって得られる自尊心や喜びも知っている。だからこそさらに努力をし、さらに成功を収める。(一般的に高学歴な人たちが成功するのは、頭の良さや人脈・社会の評価のほかに成功体験という要素もあるのではないだろうか。)
従属から脱することは誰にとっても道なことであるが、可能性を最大限に発揮するにはチームや個人として自立した行動をとるべきだと思う。成功を知る人間にはそれが可能だ。成功体験のない人も、今から行動すれば少しずつ成功を重ねることができる。
要は動くか動かないかだ。
そしてこの動画は心に響くと思う。
"Think different"(日本語版)
→ITαブログ(仮)
結論を先に言ってしまえば、所属することで得る自尊心を得ること、あるいは何かに従っていることが楽だということだ。たとえ自分の所属している何かという環境が厳しいものであったとしても、成長できる機会を用意しているのはその何かであるのでそれは楽だ。楽とは怠惰ではない。目的地への道順が何かによって示されていることだ。
その中で自主的に動くことは可能だが、強い信念を持っていなければその文化や先人のモデルルートによって同化してしまうだろう。
ところで、従属とチームは全くの別物である。従属は楽であるかわりに個人を殺しかねないものだが、チームは恊働であり、自主性がなければ何も生み出すことができない。ここでいう自主性とは従属においての行動の自主性のようなものではなく、もっと根本的に主体性を持つことである。
従属に染まってしまう人はそれが楽だと思ってはいないだろう。何かのために一生懸命働いているので日々に疲れもするし自尊心も持つだろう。むしろ従属を嫌う人を非難するかもしれない。とくに日本人の労働主義ともとれる勤勉な文化ではそうだろう。
だが考えてみれば、何かのために自分を殺して一生を終えるのなら生まれてきた意味を見つける暇もない。子どものころ馬鹿みたいに憧れた夢を実現することもできない。可能性があるにもかかわらず。
こういうことを言うと、「もっと現実を見ろ」と反論されるだろう。そういう言葉にはあきらめが伴っているように思う。歴史に名を残してきた人たちは一部の選ばれた人間だとか、世界を動かしてきたのは一部のエリートたちだとか、才能が全然違うとか・・・
一つの個としてはほとんど相違ないのに、あきらめる必要はないと思う。もちろん生まれながらの環境の差や才能に違いはある。ところが幸いなことに世界は多様化しつつあるので、それらは目標をあきらめる理由としては弱まりつつある。
あきらめる人間は、自分の知る限りでは成功体験の少ない人間だ。勉強でもスポーツでも、成功した体験を持つ人は自分の可能性を信じる。そして成功によって得られる自尊心や喜びも知っている。だからこそさらに努力をし、さらに成功を収める。(一般的に高学歴な人たちが成功するのは、頭の良さや人脈・社会の評価のほかに成功体験という要素もあるのではないだろうか。)
従属から脱することは誰にとっても道なことであるが、可能性を最大限に発揮するにはチームや個人として自立した行動をとるべきだと思う。成功を知る人間にはそれが可能だ。成功体験のない人も、今から行動すれば少しずつ成功を重ねることができる。
要は動くか動かないかだ。
そしてこの動画は心に響くと思う。
"Think different"(日本語版)
→ITαブログ(仮)
(いつもと文体は違いますが・・・)
楽しいこと、好きなことってのは誰にでもあると思う。はじめは単純に楽しいから続けていても、いつからかその分野では誰にも負けたくないって思うものだと思う。
そんなとき、それはただ単純に好きだけじゃ極められないと気づく。どんなことでも一番になろうと思ったら努力が必要になってくる。それは非常に厳しいことで、逃げたくなるときもたくさんある。
「楽しい」よりも「辛い」の方が多くなるかもしれない。でも極めるってのはそういうことだろう。この努力をするかしないかで極端に言えばプロフェッショナルとアマチュアのような違いにもなってくる。
確かに辛いんだけど、それを乗り越えたときには楽に生きてきた人には手に入れることのできないものを手にする。
俺も一応厳しいところでアイスホッケー続けてきて、辛いこともたくさんあった。楽しいことよりも辛いことの方が多かったかもしれない。
単純に好きなだけだったらこんな辛いことはしなかったと思う。楽しむだけならもっとほかの道があったからね。
だけどヘタなりに上を目指したかったから、周りが遊んでいるときに走るしかなかった。(極められたかどうかは別として・・)
不器用だからそんなことしかできないんだよね。
辛いんだけど、試合に勝ったときなんかはすごい感動するし、負けたときは悔し涙を流したりする。努力無しじゃこんな感動は体験できなかった。映画見て感動するのとは全然違うんだよ!今の人格もこの努力によって築かれたと思う。
小学生の頃からずっとアイスホッケーをやってるんだけど、長い間続けてこられたのはきっと好きだからだろうね。
だから「好きじゃないと極められない、好きだけじゃ極められない。」ってことだ。
組織とかのバック無しに活躍できるのは何かを極めた人だよな。正直に言うと今の自分は加速していない気がします。だけどこれからの数年間はIT×ビジネスの分野で生きると決めたから、頑張っていきます。
楽しいこと、好きなことってのは誰にでもあると思う。はじめは単純に楽しいから続けていても、いつからかその分野では誰にも負けたくないって思うものだと思う。
そんなとき、それはただ単純に好きだけじゃ極められないと気づく。どんなことでも一番になろうと思ったら努力が必要になってくる。それは非常に厳しいことで、逃げたくなるときもたくさんある。
「楽しい」よりも「辛い」の方が多くなるかもしれない。でも極めるってのはそういうことだろう。この努力をするかしないかで極端に言えばプロフェッショナルとアマチュアのような違いにもなってくる。
確かに辛いんだけど、それを乗り越えたときには楽に生きてきた人には手に入れることのできないものを手にする。
俺も一応厳しいところでアイスホッケー続けてきて、辛いこともたくさんあった。楽しいことよりも辛いことの方が多かったかもしれない。
単純に好きなだけだったらこんな辛いことはしなかったと思う。楽しむだけならもっとほかの道があったからね。
だけどヘタなりに上を目指したかったから、周りが遊んでいるときに走るしかなかった。(極められたかどうかは別として・・)
不器用だからそんなことしかできないんだよね。
辛いんだけど、試合に勝ったときなんかはすごい感動するし、負けたときは悔し涙を流したりする。努力無しじゃこんな感動は体験できなかった。映画見て感動するのとは全然違うんだよ!今の人格もこの努力によって築かれたと思う。
小学生の頃からずっとアイスホッケーをやってるんだけど、長い間続けてこられたのはきっと好きだからだろうね。
だから「好きじゃないと極められない、好きだけじゃ極められない。」ってことだ。
組織とかのバック無しに活躍できるのは何かを極めた人だよな。正直に言うと今の自分は加速していない気がします。だけどこれからの数年間はIT×ビジネスの分野で生きると決めたから、頑張っていきます。
