今朝も、kuさんのブログを読んで、

とても、面白かったです。


kuさんのことは、最近知ったのですが、

エネルギーがクリアリングされるような

文章で、心地よく好きです。


きっと、ライトワーカーさんや

スターシードさん、エンパス、

繊細さんと呼ばれる方は、ぴたりと

はまるんじゃないかなと思います。

さて、



kuさんのブログにでてきた、

自我の防御のお話は、

わたしも、冬眠期にどんぴしゃで

体験しました。



まぁ、でてくるわ、でてくるわで、

特に、自分で、これが私である、

と決めていたアイデンティティにもはや

自分を見いだせなるときの、痛みとやら、

強烈でした。。




よく、定年退職したあとに、

それまで、社会戦士としてバリバリやって

きた人が、生きる意味を見失う

ということを耳にしますが、



それは、やはりこれが「自分」だと

思っていた世界が、退職とともに、

ぱっと、自分の目の前の現実から消え去る



それに対して、どうする術もない。



それは、自我にとっては、

居場所がなくなるという

喪失感となり、自分を苦しめたりします。



過去に、そのエリアで活躍した人ほど、

輝かしいストーリーとしての自分に

執着したくなるものだと、感じます。



それは、それは、痛みや、

さまざまな感情を伴うので、



その真っ只中に大切なのは、

やはり、自分自身への

慈悲と慈愛のまなざしなのだと思います。






それらの感情は、すべてあってしかりだし、

時間をかけて、解放されていくものであります。

拒否せず、抑圧せずに、



ゆったりと、内側に沸き起こる感覚に

居場所を与えてあげる。



そして、人によりさまざまな時間を

かけ、



その気づきと、解放ののちに

起こることは、光としての「わたし」




観察者としての「わたし」

エネルギーとしての「わたし」


との再会だったりします。




それは、新しい生まれ変わりの瞬間というか、

真に、まっさらなキャンバスに自分を

描く自由を与えられた爽快感が伴います。



でも、まだ慣れていないので、

まっさらに自由に描く、というのが

ちょっと怖かったりするんですよね。




けれど、このとき、

恐れから、また自分の外側にあわせる

「カタチ」をとることを拒否し、



直感に従い、シンクロをつむいでいくうちに、



自分のハイヤーセルフとの

つながり、見えない世界とのつながりが

強くなっていく感覚があります。



そして、魂で生きていくことが

ごくごく自然体になっていきます。



そこに、mind や body が協力して

くれるような感じで、



自然体でありながら、

楽に、自然に創造する世界が広がります。



その創造(クリエーション)とは、

決して、頭で考え出したというより



大いなる源のパイプになるような、

大いなる源が自分を通じて、

世界に表現されるような感じだなと

思います。



そして、それは、

自分にとっても、宇宙にとっても

無理がなく、調和するので、



軽いし、心もより平安です。



そして、その創造はみる人の気持ちも

同時に、安らかにしてしまう感じがします。