お昼ごはんを旦那さんと食べているとき、

ふと、こんな会話になった。


それは、Blue Giantというジャス漫画で

でてくる言葉



「理由がないってことは、あなたは、それがほんとうに好きということ」



考えてみれば、「好き」という気持ちは、

感覚であり、どうして?

と聞く方が野暮なのかもしれない。



もし、そこに、理屈がいくつも

ついてくるようなら、



例えば、うまくやれそうだからとか、

成功しそうだからとか、

道筋が想像ができるからとか、

お金になりそうだからとか、




そういう理由が言葉として

思いついてしまうものは、

本当に好きなことではないのだろうと

思う。



私は、そのどちらも経験してみて、

(理由付きの好きと、理由がない好き)




本当に好きなものには、やはり

理由など、言えなかったなと思う。




そんな「好き」に直面し

迷い、悩みながら、




それでも貫くことで、人生がよき方向に

展開していくことを体験したことがある。




そして、今だからわかることは、

エネルギーに敏感な人ほど、自分の本来の

エネルギーと離れていることをしていると



違和感と疲労感が積み重なる。




だから、好きを特に大切にして

生きることが、生きる上でとてつもなく

重要になってくる。





好きとはかけ離れた世界で起きること



私自身、本当の好きに、うすうす気づきながら、

遠回りした経験がある。



新卒で入社した企業でのこと。



入社したのは、IT企業で、

海外にも、たくさん支社があった。



入社した時点で、唯一、

わたしの中にあった憧れ、

ワクワク、惹かれることは、

海外で働くことだった。



いつか、海外で働くんだ、

という淡い想いを胸に、



配属先の希望を聞かれたとき、

グローバルに活躍したいと人事の人に伝えた

結果、



蓋をあけてみれば、

世界に展開する自動車メーカーの

担当となり、



東京にいるたくさんの同期や

今の旦那さんの元を離れ

単身、名古屋へと配属になった。






名古屋駅にそびえたつ、

構想ビルへと顧客を尋ねていくとき、

エレベーターに乗ると、



各階の案内がしてある。




アフリカ室、

アジア、オセアニア

アメリカ、

欧州



などなど、世界の様々な国と地域に

わかれて、部署がある。



その文字を見ただけで、

心の奥深くが沸き立つ感じ。




けれど、そんな夢想とかけはなれ、

わたしの現実は、日々、資料の作成や

慣れない営業、なんの興味もわかない

ITにまつわる勉強、おじさんの機嫌を

とらないとうまくいかない、社内交渉、

つまらない飲み会、



海外なんて、どこにもない。



先輩の中には、40代後半で海外駐在に

いく人もいたが、全員男性。



12万人近くいる企業で、女性も数多く

働いているけれど、海外駐在で女性で

でた人は、それまで1人もいなかった。




「いつか、海外に行けたとして、今から20年も待つのだろうか?そんなの無理だ。。。」





日に日にエネルギーが枯渇する

かのように、家に帰って眠るだけの

生活が続いた。



できない自分、うまく立ち回れない自分

夢とは程遠い自分に嫌気がさしていて、



けれど、ある時に、

自分の意思で、現実の捉え方を変える

という気づきに出会い、



自分の意識を、

いまの嫌なことではなく、

望む未来へ向ける、


ということを始めた。



そして、ほどなくして、

海外に行きたいという気持ちが溢れ、

上司に退職を願いでたときに、

こう質問された。




「なぜ、海外なんだ?海外にいったって、

れっきとした目的意識がなかったら、なんにもならないぞ。」




わたしは、なんとも、企業につとめる

社会人としては、幼稚な回答だなと感じながらも、



「ただ、好きなんです。行きたいんです。

理由はわかりません」


と答えた。




今なら、それだけで十分!

と太鼓判を押すけど、



当時は、好きという理由だけで動くことに

どこか、後ろめたさや、卑下する気持ちがあったなと思い出す。




会社を辞めて、自分の感覚へ


結局、その感覚に従った。

同期600人の中で、一番最初に辞めて、




その世界では、根気も忍耐もないと

思われたかもしれない。




けれど、意に反して、

同期たちからは、温かいエールを込めた

メッセージをもらい、



先輩たちからも、

思いがけず、優しい励ましのメッセージを

もらったりした。




会社は、私には合わなかったけれど、

開発者やエンジニアなどの人たちと関わっているとき、本当にテクノロジーが好きなんだなという人

たちとも、たくさん出会った。



彼らにとっては、

それが、「理由がない好き」なんだろうなと思う。



もしかした、好きではないけど、

仕事は仕事、そう割り切れる人もたくさん

いたのかもしれない。



けれど、私はそれがどうしてもできない。

自分のエネルギーが巡らず、枯渇する。



好きが軸にないと、エネルギーが巡らす、

すぐ死んだ魚のようになる。



実際に、理由もない好きに飛び込んだら、

水を得た魚のように

生き返ったような気持ちで人生が展開しだした。




今でも、私にとって「海外」という

広い世界、多様性を肌で感じれる場所は、

理由がない好き、理屈を超えている。





それが、コーヒーの人もいれば、

テクノロジーの人もいれば、

動物の人もいる、



そして、私のように、

海外という「場」の人も、


きっと、日本に一部いらっしゃるのだと思う。




敏感な感性がある人ほど、自分に一致すること




その感覚を何よりも、大切に生きる

誰かの理由なき好きは、輝いて見えるけれど、

それは、その人のもの。



自分の理由なき好きを

なによりも、大切にしていきたい。



そして、それに伴う、

数えきれない、恐れや不安、

そして、どうして自分はみんなと

同じように、器用に立ち回れないんだろう。。



という自己卑下や罪悪感を

手放していくことは、とてもとても大切で、



あなたにしか、わからないことがあり

あなたにしか、感じれないことがあり、




それを、なによりも、誰よりも

大切に守り育むこと、




自分の真ん中に、中心に戻り

エネルギーを整え、一致すること、



それらを大切にしていくことが一人一人に

さらに、求められるだろうと思う。