「もっと、もっとハートを開いていきなさい」


バリ島のウブドにて、インドネシア人の

ヒーラの元へと、導かれた。




いま、目的がない旅を

人生ではじめてしていて、



これまでは、

休暇のためとか、

ビジネスのためとか、

これを見に行こうとか、

その中でもテーマがあったけど、



今回は、ちがっていて、

ただ、ひらめいたことをする、

それだけの旅。


宿も、少しの期間しかとっていないので

あとは、お任せで、決めていこう

という感じでいた。



ウブドに着いた翌日、満月の日、

ふと、あるキーワードで検索していたら、

この人に会った方がいいな、という

感覚がやってきた。





恐らく同年代だろうと思われる

彼の経歴と姿を写真でみたとき、

ただ、この雰囲気、いいなと感じて、



この感覚には、

従ったほうがいいなと思った。



この旅では、

誰かに会いにいくことは、

あまりに意図していなくて、



でも、必要なことはきっと

自然的に起きてくるのだろう

と、ぼんやりと委ねいた。



あまり、そちらに偏りすぎても、

と思う反面、いまは、きっと

そういう、フェーズなのだろう。



ゆだねてみることで、起こること





この世界の源である、

生命エネルギーは、それぞれに

固有のバイブレーションをもっていて、


出会うものに偶然はなく、

同じものは、共鳴しあう。



という、感覚を、

もはや、理屈ではなく、

あらがえない真実として、

肌で体感しつづけている。



偶然に出会うものは、

何ひとつない。



そして、冬眠期前に学んだ

数々の心のことに加えて、


冬眠期(病)に学んだ魂のこと、

加えてさらに深まった体のこと、



いろいろなものが、

統合されていて、



なにか、引力というか、

会うべき人、起こるべき体験が

自然とやってくる



という感じに近い。


そこで起こることは、理屈を超えていて、

自分でも、理由はわからない、


ということがある。



会えるときに会える




という訳で、

会いにいこうと思い立ち、


What’s up の連絡先があったので

そちらに連絡するも


応答はなし。

翌日、もう一回聞いてみようと、



「ウブドにしばらく滞在するのですが、

明日か、明後日、会えますでしょうか?」



とメッセージを送ると、

午後2時に会いましょうと、

返事がやってきた。よかった。




Grabで車を拾い、

ワクワクするような、

なぜ会いにいくのか訳がわからないような、

楽しみのようで、ナーバスなような、



車窓から見える、

アトリエがたくさん並ぶ

街を通り過ぎて、彼に会いに行った。



お香の香りと風のとおる部屋




看板を見つけ、



なにを聞こうか

話そうか、



そう一瞬、頭をよぎたったけど、

流れのままに委ねようと、



また頭を空っぽにして、

いま、ここをただただ感じながら、

竹の柵をあけ、2階にあがった。



「good timing ya」

よい、タイミングだね



と言って、流れる風のような

軽さで、招き入れてくれた。



風がとおり抜ける、

20畳ぐらいのシンプルな空間に

座布団が2枚、敷いてある。



初対面だけど、

エネルギーが軽い、やわらかい。

緊張がゆるむ。



彼は、どうやら、瞑想をしていたうちに、

霊性に開花し、ビジョンを見、



そこから、人の体のエネルギーを読み、

それぞれに必要なことを話すようになった。



彼を通じて、直感という感じで

必要なことをおろしてくれる。

シャーマンであり、ヒーラーであり



「本当は、普通でいたかったけど、こういう道に来ることになった。昔は、ドラックやお酒に溺れていて、こうなると決めたことはないのにね」


とニコニコ。



すべては、ただ起こる


ささっと、Body エネルギーをみて、

いくつかの、bodyワークと、


エネルギーから詠んだことを

伝えてくれた。



なんのために、彼に会いに来たか、

頭ではよくわからなかったけど、

会うようになっていたんだろう。



「僕の携帯は、一日に何十通と世界中の人から通知がたくさんくる、でも、会うと決まった人としか会うことにはならなくて、何百通と貯まる通知の中から、直感で返事をする感じなんだ」



キョトンとしていると、携帯の画面を見せてくれ、

what’s upの通知が、ぱっと見えただけで340件くらいたまっていた。



そういうのは、20代の頃の私は疑いまくっていたが、いまは、そういうものなんだと、感じる。

(まぁ、ちょっとは、いまだにほんとうか?と思うけど)



ただ、彼と会って、強く体感したのは、



自分(ひとりひとり)に示されている道は、

善きも悪くも、この人生の全体の物語を通じて、

実は、すべて、紬あわされていると腑に落ちる。



その道は、あくまでも、

私個人(その人個人)

としての物語であるのだけど、



その道を通じて、

過去につけた傷を癒し、

課題を解決し、



ますます、軽くなる道であり、

同時に、世界にとって調和し、


そして、ほんとうのわたしに還っていく。

そんな道なんだと、


その不思議さ、壮大さに、

ひっくりかえりそうになる。


それも、誰ひとり例外はなく、

ひとりひとりが、固有の物語の道の上で、

そんな体験をしていく。


彩にあふれた世界の神秘を

垣間みる。



豊かすぎる世界に生まれて生きる

喜びに、魂がようやく思い出したか、

と笑いかけてくるような感覚になったのは、

はじめてのこと。



本来、誰もが内なる本来のエネルギーに

繋がっているとき、私たちは、

みんな、それぞれ、ハートが開いている。



けれど、心配や不安、

考えすぎたり、自分はこういう人間だ

と、物語に囚われすぎることで、


またいとも簡単にきり離される。。


そうして、

せっかく示されていることも、

愛への道も、閉ざされてしまう。



もっと、ハートを開いていきなさい。

一言の中に、無数の意味が感じられる。



それを実在をもって体験できる、


人生という舞台、時間を用意されて

いる私たちは、本当に恵まれているんだなと思う。