八ヶ岳に家をもつはずだった



これまで、暮らした場所は、

生まれ育った滋賀からはじまり、



留学で、中国1年

会社員時代に名古屋、東京、

仕事で、タイに4年

転職し、ドイツに5年

帰国後、千葉、長野

現在、北海道に暮らして4年目。



という感じで、いろいろな場所を

転々としてきた。



自分で移動することを選んできた

とはいえ、



だから、ひとつ、我が家といものを

もつのが、夢でもあった。



転々としていると、

その度に、ごっそり荷物を

捨てないといけない時もあるし、



身軽になるのはいいけれど、

お気に入りのものたちを、置いておける

場所、



そんな自分の理想の家をつくりたい

という思いは、フツフツとあった。



そうして、辿り着いたのは、

長野県の八ヶ岳。



そこに移り住んだ当初、

そろそろ、落ち着こうか、



ここで、家を買い暮らそうかと、

実際に、不動産屋さんをまわり、

話を聞いたり、探していた。



 森の中の書家さんの別荘


別荘の多いエリアで、

空き家になった場所も多く、



実際に森の中にある、とある

書家さんの別荘だった家をみつけ、

本を並べるためだけに、

つくられた書籍室と、



あとから、なにをするかも

わからなかったけど、

別宅で茶室まであり、



木製の窓もすてきで、

部屋からは、森の緑が四方に見渡せる。

中は整っており、すぐにでも暮らせる。




その独特性に惹かれて、

何度も、内覧し、契約まで

あと一日というところで、

病気で倒れたのだ。



結果、わたしは、一時

実家に戻り、静養。




その期間に、まるで私のコントロールから

まったく、外れたところで、

新たな一軒目となるリノベプロジェクトが

動き出した。

 


 実家の前の亡き祖母の空き家


それは、実家の前にある廃墟、

といっても、



昔は、お蚕産が飼われていたそうで、

私は、生きている間に会うことの

できなかった、父の母、



つまり、私の祖母が、

銀行から融資をして建ててもらったという、

築50年以上の

鉄筋コンクリートの建物だった。




祖母は、父がまだ小さかった頃に

なくなっているので、



祖母が融資を受けて建てたと

口数少ない父から、

はじめて聞いたその日に、



なぜか、この建物は

父にとって、大切なものなのじゃないか

と勝手に感じとったのだ。



それが、どう繋がったのかは、

まったくわからないのだけど、



実家に戻ったタイミングは、

ちょうど、父が退職を迎え、



父に時間がたくさんできたときであった。



私は、病気の療養で

それどころでもなかったけど、

一緒に実家に舞い戻った夫の一言もあり、



蔦がはえ、一部崩れていて、

さらに、家族の思い出の品々の物置が

溢れかえった状態の建物をリノベして

そして、そこに住んでみようか?



ちょうど、DIYというのを、

経験してみかったし、




と、にこりと楽観的な夫を横目に

(内心は、いつ病気がよくなるかも、

わからないし、ひとまず、動こうと思ったと

後になって、聞いた)



不安しかないなと感じつつ、




話があれよあれよ

と進んでいった。



奇妙な展開は、ときとして

起こる。



 ​縁が紡がれ、オーストリア人の大工さんと家づくり


実家を建ててくれた

知り合いの大工さんが2人来て、

やめたほうがいい、



これにリノベの資金をかけるなら、

新築がいいよ、

と口を揃えていっていたのに




ここにきて、とある縁が紡がれ、

リノベの扉が開いた。




それは、数年前に庭でハーブを育て、

そのハーブから煮出したエキスで

ヘアトリートメントをしてくれる



山奥のヘアサロン

(今は、自然派のサロンの先駆者として、全国から人が習いにやってくる大人気)



のオーナーの紹介で、

一緒にみんなでごはんを

一度だけ食べたことがある




オーストリア人のエゴンさんという、

父と同じ年のおじさんとの縁だった。



滋賀の山奥にある、築100年を超える

古民家を、ひとりで数年かけて

コツコツ、リノベーションをした凄腕の

持ち主で、日本語も、独特にうまい。



そして、その自宅にお邪魔したときに

そのセンスにうなった。



ここまで、古民家をかっこよく

リノベできるのは、日本✖️西洋のセンスが



きれいあわさっているからだと

感動さえした。



お風呂も、キッチンも

すべて、美しい調度品のように

すべて、手作りなのだ。



めちゃくちゃおしゃれなのに、

大阪で、たこ焼きを焼いていた

という異色さもあり、



なぜか、ふと思い出して、

うちにきてもらい、

鉄筋の建物を見てもらった。




2人の大工さんとは、ちがい

 


「うんー、いける〜リノベできる〜」



と、なんとも、軽い穏やかさが最後の

あとおしとなり、リノベが走り出した。



父と夫と、オーストリア人エゴンさんに

よる、DIYがはじまったのだ。




父は、中学校の社会の先生で、

定年したら、畑仕事をしようと、

退職してすぐに、軽トラを買っていた。


(実家のまわり、田んぼと伊吹山がみえる)



それが、まさか、

畑仕事より、先に、その軽トラに

毎日、ホームセンター通いで調達する

資材を載せることに、なろうとは、

夢にも、思わなかったと思う。





 再生、たまったものを吐き出す



まずは、全ての荷物を運び出し、

祖母の育てたお蚕さんから、紡がれた

絹糸の束から、私たち三姉妹が小さな頃に

書いたお絵描きの絵まで、



あらゆるものを

運び出し、大切なものと、捨てる

という、膨大な取捨選択を繰り返しながら、



空き家にし、

壁をブチ壊し、床をはがし、

外装のアルミを全てはがし、

エゴンさん、お手製の足場が完成し、



それから、毎日のように、

着々と展開していった。




私は、もともとインテリアが好きで、

かつて、手にした洋書をもとに、

まっさらになった鉄筋の建物の内装を

イメージしていた。




病で散歩にでるのも辛く、

頭もさして回らなかったけど、

ぼそぼそ、と要求を伝えていった。



そして約、丸一年の時をへて、

エゴンさんと、父によって

出来上がったのが、この家。



(天井もぶち抜いて、鉄骨を見せるように)


(妹が路上に捨てられていたのを、拾ってきて10年)


(祖父が使っていた机を父が磨き直した、味があってきれい)



ちなみに、父は、それまでdiyなど

ほとんどしたことがなかったのに、



このあと、とてつもなく腕をあげ、

その今の後ろに、ガーデンと遊具まで

1人でつくり上げた。


そして、私は、

出来上がった家に住むことなく、

ほどなくして、北海道へと移住する。



いったい、人生とは、

と思わずには、いられない。