自分の気持ちを感じる


というのは、なかなか、これまでのわたしには難しいことでもありました。


自分の気持ちとは、「わたしは、なにを感じてるかな?」ということ。


例えば、知り合いの人がとてもうまくいって順調に見えて、悔しい、置いてけぼりのようて悲しい


こんな気持ち、感じたくないけど、

いまの気持ちには、まちがいないわけで、


ふん、わたしだってできるもん、

とか、これは、わたしもそろそろ、うまくいくサインだな、とか、いろいろ思考で、展開させて、


そういう、悔しい、悲しい、という気持ちは、なかったことにしがちです。


でも、その瞬間、その気持ちを感じた瞬間に、


「悔しい、悲しい!」と口に出してみると、

(何度でも、声にだしてみるうちに、体感や感じ方が変わっていくのを観察するのも面白い)


あぁ、そうなんだね、

今、悔しい、悲しいって感じてるんだね。


と、自分の気持ちに、優しくよりそうことができます。


他にも、なんでやらなきゃいけないことたくさんあるのに、できないんだろう


と、思考を展開して自分を責めたくなるとき、

本当は、自分はいま、どんな気持ちなのかな?と

いまの気持ちを聞いてみると


本当は、休みたいな、のんびりしたいな、

こういうのは苦手でしたくないな、嫌だな


という気持ちを発見したりします。


それを他の人はできてるのに、自分はできない、甘えだ、、と思考を展開させると


そこにあった気持ちは、一番認めてほしいはずの自分から、そっぽをむかれ、もやもやがつのります。


自分を愛するという言葉がありますが、

それは、言い換えると、今の自分の気持ちに、

丸バツをつけずに、「そうなんだね」と寄り添ってあげることなんじゃないかと思います。


「そんなんじゃ、甘えがでて、なにもできない人になっちゃう。。」


「昔の人たちは、文句も言わずにやってきた。。

なにを甘えたことを。」


なんて言葉が頭の中から、聞こえてくるかもしれません。

(私も聞こえがちです)



確かに、昔の人は、もっと選択肢がない時代に生まれ、目の前のことをやるしかなかったかもしれないけど、


それが嫌で、もっとよい、自由な未来を子供達に残したくて、今のような時代になったんだと思ったりします。


自由に自分の気持ちに素直に生きて、

やりたくないことは減らして、やりたいことをやっていくという生き方。


それは、自己責任というか、結果はお任せなのである意味、これまでのように社会全体として約束されたような将来(定年退職してから年金で趣味、孫の世話をするなど)があるのとは、ちがうので、


生きていくので、未来への不安は伴いやすいのかもしれません。


でも、それよりも、いまやりたいこどかあれも、これもあり、楽しくて今に夢中になっているうちに、そんなこと忘れてしまうようになる、

そんな生き方なんだろうな、と思います。


もっと広く世界を使ってもいいし、

いくつであろうとも、好きなものは好きであっていい。なんでもありの世界で、どうしたいか、自分で決めていく時代。


その時代にうまれ、


いまの自分の気持ちを感じて対話していくこと、

やりたいことに向かうということがコインの表だとしたら、


情けなくて、カッコ悪くて、ダサくて、いやらしくて、最悪だと感じる、ネガティブに思える自分から湧き出す、様々な気持ちを、丸ごと、おし!そうか!と認めてあげる、


それがコインの裏。


両方ないと、楽しくやりたいことやって、

というのは、できないなと思います。


わたしは、前者だけほしかった人



これが自分のハートを喜ばせ、心も体も喜び、

やりたいことで溢れていく入り口のような気がしています。





昨年の秋に行ったバンコクの空港でとった特大の飛行機の機体、札幌→バンコクの直行便はじめてで、

昔働いていたTGに乗っていきました。今は、落ちつきましたが、昔は飛行機見るだけで、心が揺さぶられほど大好きでした。