こんにちは、今朝は天気が大荒れですが、ふと山の方を見てみると、虹が見えました。
この数日、アニータ・ムジャーニさんのご著書「繊細さは、これからの時代の強さです」という本を読んでいました。
英語のタイトル「Sensitive is the new strong」、繊細さとは、見方を変えれば強さなのだ、というアニータさんが伝えたいメッセージが、バシッと、タイトルになっているように思いました。
アニータさんは、インド人の家系に生まれ、香港で育った女性なのですが、女性とはこうあるべき、自分の根底にある想いよりも、社会や周りの通念に合わせて生きていくうちに、病気となり、臨死体験をします。その体験が綴られたのがこちらの本。
日本語のタイトルは「喜びから人生を生きる」ですが、英語のタイトル、「Dying to be me」って、ちょっと思い当たる人たちには(周りに合わせて、自分を小さくする人たち)にとっては、ドキッとするタイトルだと思います。「自分自身になるために死んでゆく」世界で出版され累計100万部が発行されたそうです。
こうした本によって、今まで可視化されなかった、繊細であるがために人の内側にある沸き起こる葛藤や悲しみ、人の苦しみを、その人自身と同じように感じてしまうことで、助けるために奔走し、自分も、疲れ果てて、グラグラになってしまう。
はたまた、他人の期待を感じとってしまい、先回りして、その人のためになることを行おうとするあまり、自分のニーズを満たせていない。それが行き過ぎるとことで、自分の中が空っぽになってしまう。
そんなことがあるのだと、たくさんの体験談をもって、話してくれています。
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私自身にもあてはまることも多いなと感じましたし、個人の体験としては、こういう特徴がある人は、さらに、周りや人をよくするために自分を鼓舞しようとしつづけ、自己啓発、哲学、賢人偉人の思想、中国の古典まで、そういうものを読み、素晴らしい人格とは?というものをさらに自分に課し続けます。
期待に十分すぎるほど、応えているのに、まだ、もっともっと。そうやって、自分をもっと置き去りにしてしまいがちです。
心優しい、気がきく、親切という言葉でねぎらわれても、なにか違う、そんな普通だし。と受け取れないということもあり、
自分がとてもつもない労力やエネルギーを注いでも、感謝に値しないと思ってしまうのです(もちろん、感謝はうれしいけれど、同じくらい、期待に添えないことを恐れているので、その恐れに消耗しているエネルギーと比べると、一時の感謝は、荒波に飴を放り込むくらいの甘さ)
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書ききれないほど、傾向はありますが、
アニータさんが一貫して伝えているメッセージは、極めてシンプル。
自分の内側にある、ハートが燃えるようなことを、恐れずにやりなさい。
普段、人の期待や世間の期待に(人の目を無意識に繊細に感じとって生きている)繊細さをもつ人にとって、自分の内側にあるものを表現するのは、実は、とても怖いことなのだと、怖いと認めていいのだと、本を読んでいて、改めて感じました。
やっぱり、怖いものです。自分の内側にあるものって、社会で価値があるとされているものから離れていたり、なんなら、怪しいとさえ、言われているものであったり、
数値化されるようなものでもなく、すべて科学的なものでもなく、
自分の感覚、感性、直感、そういうものが、自分を通じて、外の世界に表現されるのを待っているような「形」がはっきりしていない、エネルギーのようなもので。
それが、どう表現されるのか?その表現の形は、正解か?変じゃないか?
そういうことを、世の中の常識と丁寧に照らし合わせる、癖があるので、一歩を踏み出すのも、とても慎重になりがちです。
ただ、そういう繊細さって、やっぱり、本のタイトル通り、NEW STRONG 新しい強さ。
繊細さは、これからの時代の強さなのだと、はっきりと教えてくれる本でした。
その繊細をもって、消すことなく、ともに歩みながら、育みながら、自分の光を外の世界に恐れずに表現していく。
こういうことを、私自身もやっていきたいし、そして、同じような感性をもつ人たちもそうあったら、いいなと思います。