ずっと探求してきたテーマがあり、それはよりよく生きるには?といこと。

 

でも、その背景にあった想いは、私がまだ学生のとき、家族が病気になり、どうして人はこうも苦しむのだろう?

苦しんでいる人を見て、自分も苦しくて、そこから抜け出したいという思いが強かったように思います。

 

いつしか、「癒し」ということが中心軸になっていき、ホリスティック(心・体・魂)全体的に癒される知恵を求めて、本を読んだり、セミナーにいったり、海外を飛び回ったり、術を学んだり、実践したり、教えたり、そんな日々を過ごしてきました。

 

でも、学ぶほどに、自分の中で変えられることと、変えられないことがあるということも、気づきながらも、どこまで変えていいのか?どこからは変えれないのか?その境界線みたいなものがわからずにいて。

 

これわかりますか?

 

例えば、よくあるのは、自分の観念を変えるというお話。無意識的な思い込みで自分を苦しめるものを見つけ出し、自分が無意識的にもってきた思考の集積を見つめ、思考の癖を手放すという手法はたくさんあります。

 

認知行動療法などの学実的なものをはじめ、エビィデンスは、どうかは置いておいて、様々に思考の癖に気づき、それを修正していくというものがあります。

 

でも、どうにも、変えれないものってないでしょうか?

 

例えば、

 

1)私の場合、困っている人がいると、気になってしまって、その人を助けなきゃと思ってしまう。

別に頼まれててもいないのに、困っている表情に強く反応してしまって。先日、空港で荷物を送るカウンターで外国人の人が荷物の預け方を聞いていて、意思疎通ができずに困っているのを見て、あ、助けなきゃと、とっさに動き出す自分をみてびっくりしました。本当は、すごく疲れているから、ほっときたい。けれど、なんか体が先に動く。いい人とか、優しい人と言われるけど、本人は、そういう言葉にしっくりきていないのです。

 

2)他にも、人に何か頼みごとをするとき、すごく丁寧に文章を書く。失礼はないかな?とか、こういう言い方されたら、やってもらえそうだよなとか、そんなことを考えて書くので、すごく時間がかかります。だから、そもそも頼むこと自体が苦手です。

 

 

別に1)も2)も、困っていなければ、変える必要もないのです。

でも、やっぱり、周りと比較すると、そんなこと、もっと気楽にやればいいんじゃん!と言われてしまうことも多くて、あれ?

もっと気楽になりたい思いは、あるけど、気楽にできない・・

 

よし!観念変更だ!と取り組んでみたとしても(実際にやってきた)

一時は、うまくいったように見えても、なんだか、後々、しんどい。

 

1)も2)も、もっと気楽な自分になるために観念変更をしようとしたけど、結果、同じ。

 

それで、1か月ほど前、HSS型HSPという言葉を知り、読んでいくと、なぜ、観念を変えようとするのがうまくいかないのか?がわかったような気がしました。これは、一つの性質なのだなと。

 

もし、自分をもっと楽にしたくて、何かを変えなきゃと思っている方がいるとしたら、もしかするとHSPという性質があると知ることで、ほっとするのではないかな?と思い、書いてみました。

 

HSPの本は、たくさんでていますが、

 

武田友紀さんのこちらの本や

 

https://amzn.to/3EXmmMt

 

時田ひさ子さんのこちらの本も

https://amzn.to/46xfykG

 

とても参考になると思います。

 

私も、いろいろこの関連の本が気になっているので、これからいろいろ読んでみるつもりですにっこり