私たち、一人一人が、自分が決めた人生を歩んでいます。


そして、新しい地をもとめたり、新しい職についたり、誰かと出会って結婚したり、


いろいろな変化をしていきますよね。


みんな、誰もが幸せを願って生きています。



我が家に2年一緒に暮らしているヨモギです。気持ちよさそうに眠るふとん1


まだ、食べ物が十分ではない国では、豊かに食べれるようになるために、努力して、今より幸せに近づこうとする。


家族と離れて暮らす人は、愛する家族と再び一緒に暮らせるように、努力する。


自分を活かせていないと感じる人は、

もっと自分を活かせる仕事に就こうと努力する。


そうして、いまの現実をよりよくすることで、

幸せを増やしていきたい。


そう考えるのは、至極あたりまえのことですよねニコニコ


でも、一方で、完璧な幸せの状態、というのは、

自分自身の変化や成長とともに変化していきます。


たとえば、高校生の頃は、志望校に受かって、

大学に受かって入れて、彼氏や彼女がいて、

楽しい学生ライフを送れたら幸せだなと思っていたとしても、


大人になるにつれ、【幸せの条件】って、変化していくと思うんです。


収入

人間関係

やりがいのある仕事

自由

健康


などなど、幅ひろし、多種多様になりますよね。


それらを、求めること自体、なんのおかしさもなく、そういう自分で決めた条件が全て整えば、それはそれでよいのです。


でも、これは、まるで蜃気楼にあるゴールの白線のようで、走って目の前に来たと思えば、また遠くの彼方に白線が動いているような、


その繰り返しで、どこまで一体走ればいいのか?と息切れしたりします。


これは、ごくごく、普通のことだと思うんです。

私たちの本質を霊的な側面から捉えれば、

やっぱり何かを学びたくて、体験によって、成長したくてやってきます。


でも、そのプロセスの中で、もっとも私たちが、見失いがちなことは、そのゴール🥅=幸せ

と強く結びつけてしまい、


あれも、これも、できていない自分を責め、

いつしか、物理的にやってくる終わりを意識しながら、これ以上、走ってどうなるのだ?と、苦しんでしまうということ。


実際、私の知り合いの方にも本当にお金持ちだったり、海外に暮らし外資系の最先端企業で働いていたり、する人もいて、


すべてを手にしたはずなのに、むなしい。

幸せじゃないという声を聞くことがあります。


こんなとき、どうしますか?


私は、ほんの少しづつ、づらしていくといいなと思います。



ポイントは、2つ。



-ゴールは、何かの達成というより、こんな自分でいたい、こんな暮らし方をしていたい、こんな感情を味わっていたい、というビジョンを描くこと

(麻痺しているときや、考えるのもしんどい時は、自分の心身が疲れているとき、まずは、心身がゆるめよう、好き放題過ごせるだけ過ごします。)お月様


-自分いじめをやめる

もっと、私がしてあげなきゃ

もっと、こうならいいのに

なんで、できない。


どれもかも、今の自分を否定する思考ぐせです。

この根底にあるのは、恐れに基づく奥底に刻まれた観念ですにっこり


がんばらないと愛されない

がんばらないと認めてもらえない

ちゃんとしてないと、みっともない

特別じゃないと、誰も見てくれない


こうして、条件付きの愛を自分に向けていることが多いのです。自分が見下しているできない人やだらしない人、他にも、嫌いな人が存在するなら、実は自分の中にあってはほしくない自分をそこに見ているのです。


本心は、愛されたい

価値があると認められたい


です。


記憶によって、愛されなかった、価値がなかったと、傷ついた自分が癒されるのを待っています。


もっといえば、


無条件に、どんな自分でも愛してほしかった。

大好きだよ、大切だよ、生きてるだけで十分に価値があるよ、


と言ってほしかったのです。


それこそが、私たちの多くが、本当は世界にもとめていたものではないですか?


がんばって、得ようとしてきた現実の奥に潜めた願いではないですか?


そして、ここでの気づきは、世界からもとめているものを、まずは、自分が自分自身に与えるということです。


いきなり、愛する、と言われると、??が浮かぶかもしれません。


そんなときは、こんな簡単なワークをやってみるといいなと思います。


まず、自分の感情が暗くなるような思考や感覚がやってきたら、その存在を認め、深呼吸しながら、光のシャボン玉に包み、大いなる存在へとお返しします。そこでは、善悪を超えて全てが愛です。


暗くなるものを深追いせず、考えにおちず、

光の球に包んで、手放していきます。

そして、ゆっくり、数回、深呼吸します。


結局、私たちの本質は光であり、愛の存在。

それは変わりません。ただ、自分が自分をありのままでは愛してはいけない、という、ドラマを作り上げてしまうことで、達成や結果にこだわりすぎるあまり、本質そのものを忘れ去ることがあります。


そこと、つながっていれば、究極、どんな条件でもその人が幸せを選べば幸せなのですね。


そう余裕が、その気が抜けたリラックスした感じが、前途した自分のビジョンを叶えていくときまるで柔らか波動に支えられるように、いい感じでいいペースで叶っていきやすくなります。


そして、そのうち、叶っても、叶わなくても、

どっちでもいい。


じぶんは、愛と光そのものなんだから、

と、真にわかるときがくるのだと思います看板持ち


それでは、今日はこの辺でお月様