こんにちは、中川チカです。 

 

大好きな人と世界を遊び場に自由に生きるフィロソフィーを書き綴ります。

 

 中国、タイ、ドイツに10年暮らし、4ヶ国語(英独中泰)を習得。元タイ国際航空、欧州最大手CA。

 

2017年、日本へ帰国。夫ともに人生の時を彩る体験を作るをテーマに「時色-TOKiiRO 株式会社」を設立。現在、長野へ移住計画中。

 

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ここのところ、雨がつづいていたので、太陽の日差しがもっと心地よく感じますね^^

 

さて、先日、人生ではじめて、国立国会図書館にいってきました。

 

今、たずさわっている、中国のトップ酒造メーカーの広告のアイディアの源泉を得るためです。

 

この仕事は、広告のデザインは夫、そしてわたしがキャッチコピーをつくるという役割で仕事を受けています。

 

国会図書館のキャッチコピーが素敵だなと思いました。英語では、ReadとSeeなのだけど、日本語だと、両方「読む」に合わせていてすごいなと。

 

実は、昔、大学3年生だったころ、まだ自分がはっきり、何を志していいいかわからなかったころ、

わたしは、ばくぜんと広告の世界に憧れていました。

 

中国から留学を終え、さて、わたしは、社会人、何をしようか?と、就職活動をはじめた周りの動向も気にしながら、考えはじめた時期でもありました。

 

客室乗務員?という選択肢もちらりと頭をよぎったように思います。

女性には、人気の仕事で、外国語系の大学にいたので、周りでも目指している人が多かったように思います。

 

でも、その時は、空の上のウィトレスにはなりたくない。

もっと頭を使う仕事をしたいと思ったことを覚えています。

その仕事をやったこともないくせに、わたしは、そんな風に思っていました。

 

 

ただ、自分に自信がなかったのか、それとも、大人たちのいう「空のウェイトレス」という言葉をずっと心に引っ掛けていたのか、その両方かもしれません。

 

その時から、わたしは、客室乗務員という小さな頃からの夢を、封印しました。

 

このころのわたしは、まだ自分で自分の心の声を聞くということよりも、世間の常識や周りの価値観に埋もれていたのだと思います。

 

 

じゃあ、どの業界に就職しようか?

 

 

そこで、浮上したのが、「広告」という仕事でした。

きっかけは、大学生の時、映画評論というゼミをとっていて、そのゼミの先生が、もともと博報堂で広告の仕事をしていたことからでした。

 

数年広告業界にいたのち、東大の大学院にもどり、助教授になったという異色の経歴を持っていたことで、ゼミでは、広告時代の話を聞かせてもらっていて、

 

 

女性のストッキグの広告をつくるために、ストッキングを履いて実際にどんな気持ちになるのか?

男である自分が、ストッキングを履き、履く女性の目線で、広告を考え抜いた。

 

へえー、そんなことまでするんだなと思ったのです。

 

 

わたしは、なんとなく、「広告」の仕事、おもしろそうだなと思いました。

本当になんとなく、CMとか、雑誌とか、ポスターとか、

 

かっこよさそー!

 

くらいの、なんとも、単純な思いから、まずは、受けてみよう!と決めて、就職のために応募要項を調べました。

 

 

そしたら、募集が終わっていた。

 

ガーーン

 

そういうものか。

 

一旦は、あきらめようと思いました。

意識を高く、情報を集めていないと、チャンスは逃げて行くなと感じました。

 

でも、どこか、あきらめれなかった。

 

広告への道が、あるはずだと思ったのです。

 

つながったのは、バイトに明け暮れていた、大学3年生の冬でした。

 

当時、遠距離していた夫を訪ねて、中国の成都へ1ヶ月遊びにいくことが決まっていて、そのときに、広告業界でインターンシップをすれば、もう一度、チャンスが開かれるかもしれない。

 

そんなことを考えたのです。

 

さっそく、インターネットで、「成都・広告代理店」と検索したら、まさか、ほんとうに広告代理店があるとは!

 

トップにでてきたのは、

 

 

ADK(アサツーディケイ)

 

 

広告の世界では、日本で3大トップ広告会社があり、それは、電通、博報堂、ADK(アサツーディケイ)と言われています。

 

当時、大学3年生、中国の四川省成都で1年間の留学を終えて、日本に帰国して半年がたったばかり、まだ成都の記憶が新しい時です。

 

もしかしたら、インターンシップという方法で、広告業界への道が開かれるかもしれない?

 

 

心は高鳴っていました。

 

恥ずかしいですが、思考回路をお見せすると、

 

 

インターンシップという方法、運よく、中国・成都市にあるADKにもぐりこむ。

日本で募集が終わっている採用の担当者の人に連絡してみる

行動力が認められて、せめて、書類を応募することが許される。

 

 

いま、考えても、単純・・

 

ですが、やる後悔より、やらない後悔の方が大きい。

 

という、過去の偉人たちが残した言葉が、頭の中で鳴り響いていました。

 

 

となれば、選択肢は、「やる」ということに決まります。

 

 

できそうもないことを、実現できる、すごい質問

これは、ずいぶんと大人になってから、学んだことですが、

できそうもないことを、実現したいとき、ある質問が、できる道を開くということを知りました。

 

それは、「どうしたら?質問」です。

 

どうしたら、中国のADKでインターンシップをするチャンスをつかめるか?

 

 

インターンシップはできない。

 

という言葉を自分に投げた瞬間から、脳は考えることをやめます。

 

でも、どうしたら?という質問を投げることで、脳は、考えだすのです。

 

すぐに、答えが見つからなくても、時間をかけて問いをもち続けることで、必ず、解決策が見えます。

 

この時、わたしは、知らずとも、どうしたら?と投げかけていました。

必死だったのだと思います。

 

怖さと情熱の間で

ADKが成都にあることがわかった。

ならば、そこに連絡をとる必要がある。

 

でも、どうしたら?それができるのか?

直接、電話してみようか?

 

どうしたら?の質問は、ぐるぐるとわたしの頭の中で、無数のやり方を考え出して行きました。

 

そして、そこから、いろいろ、検索エンジンYAHOOにお世話になります。

 

調べいていくと、成都とには、日本で提携姉妹都市があることを知りました。

 

それは、山梨県の甲府市でした。

 

これだ!

 

直感のように、思った瞬間、わたしは電話を手にしていました。

当時の、甲府市の役場に電話をかけて、どうしても成都のADKでインターンシップをしたいという思いを伝えました。

 

すると、ほんとうに温かく対応してくださって、電話を切ったあと、胸がしめつけられるくらいうれしかったことを覚えています。

 

わかりました。

あちらのADKの社長に連絡をして、インターンができるか、聞いてみましょう。

 

そして、数日後、インターンシップへのGOサインがでたのです。

 

バイトの経験しかない自分に、何ができるか、全くわかりませんでした。

迷惑をかけるのじゃないか?という恐れもありました。

 

でも、それよりも、行ってみたかった。やってみたかった。

 

わたしは、21歳の冬、中国の四川省、成都の広告代理店でインターンシップをすることになったのです。

 

続きは、また次の記事で綴りたいなと思います。

 

今日も、最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

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中川チカ・プロフィール

 

滋賀県生まれ。東証一部上場企業の営業職を経て、タイ王国を代表する企業、タイ国際航空へ転職。

バンコクからドイツへ。

 

世界98カ国、274都市に就航する欧州メガキャリアを経て独立。


通算3カ国10年暮らし、4ヶ国語(英独中泰)を取得。


イギリスでアロマセラピーを学び、IFPA認定アロマセラピスト取得。


ドイツのオーガニックコスメ好きがこうじてドイツへ移住。


精油の産地、チュニジア、ブルガリア、シチリア等を巡る旅をする。

一度の人生を心から楽しむ人が増えたなら「世界は、もっと温かく幸せあふれる」を理念に活動。

2017年、夫ともに「人生の時を彩る体験をつくる」ことをミッションに、時色株式会社を設立。

 

夫のライフワークである四川料理の食に特化した「四川フェス」PJの企画・編集・運営にたずさわり、2018年東京で開催された四川フェスは、二日間で6万5千人以上の来場者を記録。


世界を舞台に自分の夢を叶える仲間を応援するコンサルティングサービス「世界で美しく生きるフィロソフィー」を主宰するなど、他分野にわたり活動中。

現在、「バカでいいやつの時代がきた!」を執筆中。2018年末に書肆侃々房より出版予定。

 

 

ドイツアロマセラピー、行動力の磨き方、手帳術、他言語を習得する方法などの1DAY講座の開催や、海外へのリトートツアーなどを企画中。