努力と才能について〜 続き | 徒然なる備忘録〜リターンズ

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 才能と努力の関係について。とりあえずは私は林先生のようは「努力万能論は嘘」的な立場を取る。
 人間は「自分ができることしかできない」のだ。

 かといって、「自分はこれでいいのだ」と決め込んでいては何も進歩しないのもまた事実。
人間、生きてる限りはどうしても自分の殻を破らねばならない場面が出てくるだろう。

 そこで私が大事にしたいのは
「出来ない自分を責めない」
ということだ。

 私はとにかく人間関係が苦手だ。色々と気配りができず、意図しない場面で嫌われてしまうことが多かった。幸い、「憎めない奴」ではあるようで、心の底から嫌われるようなことはあまりなかった?ように思う。イメージとしては狩野英公のような感じが近いのかもしれない。

 しかし、私はどうしてもそういうことができない自分を責めてしまっていた。何故普通の人はこういうことができるのだろう?大学に入学してからはこのようなことばかり考えていた。

 コミュ障な自分を変えようと色々と自分なりに努力もした。相手のことをもっと理解しようと努めた。自己啓発本から話し方のテクニック本的なものまで読み漁った。そうして、それを実践していく中で気付いたことがあった。仲間と和気藹々と過ごせる彼らと私では何が違うか。

「この人達は努力して一緒にいるわけではない。(それでもそれなりに苦労はしてるんだろうけど)基本的には人が好きなのだ。」

 ということだ。だから、「人を好きになる才能」みたいなものが備わっていたのだ。
 
 その点、私にはそれが決定的に欠けていた。
根本から間違っていたのだ。
 
 人は一人では生きていけない。それは当たり前のことだ。一人で生きてる!誰にも頼らない!と言ってる人がいても(本当の仙人みたいな人で無い限り)誰かの助けがあって、文明社会のお世話になって生きているのだ。
だから、人のことをもっと好きになろうという努力は決して間違ってはいないはずだ。
ベストセラーの「嫌われる勇気」にも、悩みの8割は人間関係、であるという記述があってなるほどと思った。
いずれぶち当たる問題なら、その問題のことをよく考えることは無駄ではないはず。

 しかし、私は逆に人間関係に「消耗」していた。
普通にできない自分が悪い、と思い込み、人間と接触するときは全て好きになる修行だ!と勝手に思い込んでいた時期もあった。
 
 林先生流に言わせれば、これは無駄な努力だっただろう。結果として、私のコミュ障は治らず、周りの人にも自分の努力の痕跡など伝わりはしなかった。

続く




続く。