domisotaka68のブログ

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沖縄 琉球 歴史 音楽



昭和の終わり頃、沖縄から上京した。長渕剛の「とんぼ」が流れていた、1988年10月。それから間もなく、1990年にはビギンがデビューし、JALのCMで「沖縄=楽園」というイメージが全国に広がっていった。米米CLUBの陽気なリズムに乗せて映る海と空は、まるで夢の国のようにまぶしかった。同じ時期、徳永英明さんの「壊れかけのRadio」が流行り、1992年には宮沢和史さんの「島唄」がヒットした。安室奈美恵さんがデビューし、林賢バンドさんが都会のステージでスポットライトを浴びていた。平成の初め、東京の片隅の三流大学で、自分の居場所を見失いながら、その光景を遠くから眺めていた。

「沖縄」というだけで、心のどこかがざわついた。誇らしさというよりも、どこか置き去りにされたような寂しさに近かった。沖縄音楽が「郷愁」や「癒し」や「ワールドミュージック」として消費されていくなかで、自分の中の「沖縄」はどこにも居場所を見つけられなかった。音楽は売れ、島唄は癒しとなり、沖縄は商品になった。けれど、その過程で私の中の「島」は、ますます遠くなっていった。「癒し」と「消費」が同居し、「ふるさと」が再構築されて認知されていった時代。あの頃の街角で聴いた島唄の残響は平成という時代のひとつの風景だったのかもしれない。いまでもどこか胸の奥で、静かに揺れている。