【98】雨の喫茶店 | 〈 追 憶 の 向 こ う 側 〉

〈 追 憶 の 向 こ う 側 〉

筆者のリアル体験物語。「社内恋愛」を題材にした私小説をメインに、創作小説、詩を綴っています。忘れられない恋、片思い、裏切り、絶望、裏の顔―― 全てが入った、小説ブログです。


会社を出る時、雨が降っていた。
夜の空は暗くて、窓からはその姿が確認出来ず、一歩外に出て気付いた。

幸い、ロッカーに置き傘があったので、それを差して待ち合わせ場所まで歩いた。

残業をしている人は少なかったし、それほど警戒しなくても大丈夫だとは思ったが、待ち合わせは、念を入れて駅から少し離れた店。
改札前を通り、反対側の出口を抜ける。

私は、駅周辺に土地勘がないから、店を決めるのは浅尾くんに任せていた。
だって、この土地には愛着が無いし、寄り道するにしても駅前か、その周辺に限られていたから、近くの美味しいお店とか、全然知らない。
そもそも、一刻も早く帰りたい派になってしまった私としては、会社を出たら真っ直ぐに電車へ乗るのが理想。
寄り道をするならば、大きなターミナル駅が最適だし。少なくとも、この周辺ではない。


『反対側に出て、左に真っ直ぐ行くと花屋があるから、そこを右に曲がって』

――小さい店だけど、可愛らしい雰囲気の喫茶店があった。
店先にはポインセチア飾ってあり、ガラス越しに見える店内には、小さなポットに入れられた観葉植物が、いくつも置かれている。
名前は言っていなかったけど…この並びに喫茶店は一件しかないから、きっと此処の事だろう。

傘の雨粒を払い、扉を開けた。



先に飲み物を注文して、テーブルに置かれた温かいおしぼりで手を包むと、寒さが和らいでいく。

駅近くにこんなに素敵な店があったとは知らず、自分好みの店内の装飾を興味深く見ている。
ケーキが並べられたケースなんて、家に欲しいくらい。
小さめに切り分けられたケーキが、ただ並んでいるだけだが、それさえも絵になる。アクセントに、フェイク・グリーンが飾られているからなのかな。

いつもとは少しだけ違った日常に、短い時間でも気が紛れている事は確かだった。


(浅尾くん、雨…大丈夫かな?)


さっきよりも、強めに降り出した雨。
窓から外を眺め、暗い路面に雨が弾く様子を見ていた。
―― 一瞬、視界が遮られた。

次の瞬間、息を切らせた浅尾くんが、店の扉を開けてビックリ。
…思った通り、頭から雨に濡れている。

コートを脱ぐ浅尾くんと目が合った。
私を見つけるなり、すぐに笑顔になった彼に、少し…胸が痛む。


「椎名さん、雨は大丈夫だった?」


向かいの椅子に座るなり、そう聞いてくる。
私は咄嗟に頷き、ビニールに入れた傘を軽く持ち上げて見せた。


「うん。置き傘があったから…」
「なら、良かった。急に強くなりだしたから、大丈夫かと思ってさ」


ハンカチで濡れた髪を押さえ、ニコニコと私を見てくる。
“大丈夫か”なんて、岩田さんからも聞かれることは無くなった言葉。

ほんの些細なことでも、優しくされると弱くなる。
気持ちが緩むから、あまり優しくしないで欲しい…。


「ここ、食べ物も美味いんだよ。あっ、ケーキもね」
「よく来るの?」
「昼とか、たまにだけどね。――あっ。飲み物だけでも何だし、ケーキも食べる?」
「えっ? 私はいいよ」
「…そうだよな。食事の前に、ケーキも変か」


そう言うけれど、浅尾くんはきっと、ケーキが食べたいのだろう。
もしや、甘党?
ケースが気になるようで、チラリと横目で見ている。


「何食べる? んーと…私は、チーズケーキが良いかな」


一人だけ頼むのは気が引けるだろうし、大きさもそれほどない。
“食べる”と返した私に、浅尾くんは少年のように笑う。
ちょっぴり、可愛いかも。

優しくされるのは困る…と思いながら、柔らかい雰囲気に、頬を緩めていた。




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