自分として生き始めた時に起こることは、
「え!あれだけ苦労して努力して身につけた
生きる術が、
全く要らないんですか?」
と思うようなことです。
例えば、
出る杭は打たれる世界で生きてきて、
うまく自分を小さく目立たないように見せることで
周囲とうまくやって来た人が
ドヤ顔でニコニコでいることを求められる
とか
相手の意見に耳を傾けて、相手の意向や意思を
尊重して喜ばれて来た人が、
自分の意向や意思を強く主張することを求められる
とか
そういう感じです。
もちろん逆バージョンもあります。
もしあなたが今こういう段にいるなら、
どうか、
「今までの自分は無駄で間違っていたのか?」
「これからの私はもしかして、
あの大嫌いなアイツみたいになっちゃうんじゃないの?」
と勘違いなさらないで下さい。
(誰でも一度はハマるとこなんで)
自分を出すことと、相手も大切にすること。
目立つことと、好かれること。
この相反するように思えることを
両立させるためには、
「詳細な違い」
を感じ取れ、区別出来る力が必要なんですね。
卑屈と謙虚の違い
自己中と自分で居ることの違い
相手に迎合することと尊重することの違い etc
自分なりに、自分の心の辞書に
違いを明確に記していますか?
で、きちんと区別するには
「区別出来てないとどんなしんどい状況になるか」
を、体験を通じて知る必要がありました。
それが、今までのあなたの人生です。
今までは、良かれと思ってやってきて
うまくいったことが
これからの人生では、ことごとく裏目に出ます。
それはもう、えー!これも!?って驚く位に。
「良かれと思う」その優しさはそのままに、
安易に自己犠牲をするのではなく
「これは自分にとって喜べることなのか?」
という視点を抜かさないこと。
そして、自分にとって喜べることなのであれば
思いきってリスクをとって行動すること。
(ほとんどの場合、
思うような悪いことは起こりません。
逆に、周りに受け入れられ祝福されるという
「信頼してなくてごめんね、エヘヘ」
「不精私、無事戻って参りました!」と
ちとお恥ずかしい、でも嬉しい気持ちに
なるような事がほとんどです。)
リスクと思ってたのは自分だけだった、と
気づいたときはかなり恥ずかしいです。(笑)
(裸の自分を出したら嫌われる!と
思ってた人が思いきって裸になったら、
実はそこは銭湯で、誰も気にも止めなかった、
ていう現実に気づいた、みたいな。
今まで否定されてたのは、
銭湯の湯船で服来てたから
だったんだー!そりゃ嫌われるわなー!って
府に落ちたときの恥ずかしさね(笑))
なんか話色々なりましたが
ともあれ、自分を生きるときには
常識が180度変わるモンなんで
色々あるけど、それも想定内にしといて
何起こっても面白がってこなして
楽しめばいいよーってことです。
頭使う大人の遊びを楽しんでいきましょ
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