第1401号/「この世を去っていく人の人生の旅路で出逢えたという奇跡」 | 自分の信念がすべての現実を引き寄せる法則〜一日ひとつ気づきで、年間365回の成長方程式が生まれる

自分の信念がすべての現実を引き寄せる法則〜一日ひとつ気づきで、年間365回の成長方程式が生まれる

出逢ってきた魅力的な方々から、日常の事象まで様々な気づきの視点をお送りして、ここで出逢った方々の人生に「何か一歩踏み出す変化のきっかけ」になるヒントを。クリエイティブディレクターの気づきの視点。

▲それでは、今日の

<日刊配信/自分の信念がすべての現実を引き寄せる法則
/選ばれる5%のハイパフォーマーズになるための方程式
~変化成長していく自分になるための気づきの視点~>

をどうぞ。

 


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<第1401号/自分の信念がすべての現実を引き寄せる法則
/選ばれる5%のハイパフォーマーズになるための方程式>
~変化成長していく自分になるための気づきの視点~

 

「この世を去っていく人の人生の旅路で出逢えたという奇跡」


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▲若い頃ですが、

一緒に暮らし、

ずっと私のそばにいて

支えてくれていた人が、

急に病に倒れ、

あっという間に天国に旅立っていってしまう、

という経験をしました。

 

▲肉親以外で、

最期まで人を看取る経験をしたことは、

人に対する接し方や、

時間の大切さ、

人生という時間の有限さなど、

今生きている私の中で、

人生観を大きく変えてきたように思います。]

 

 

▲いつも一緒にいて元気だった彼女が、

突然急に倒れて、

最初に入院した時は、

一体どこが悪いんだろう?というくらい、

元気だったのですが、

入院して1週間くらいの間に

日々状況が変わっていき、

別人のようになっていく中で、

病の進行が深刻化していくにつれて、

「もしかしたら長くないかもしれない」と

なんとなく感じた瞬間、

思ったのです。

 

「仕事や他のこともすべてやめて、

何よりも優先して、一分一秒でも長く、

この人のそばにいてあげよう」と。

 

▲病気が進行するにつれて、

とても綺麗好きだった彼女が、

身なりのことも

まったく気にしなくなっていく。

 

すごくオシャレだった彼女が、

オシャレすることにも、

衣服が少し汚れても、

まったく興味を示さなくなっていく。

 

私のことはわかるとは言っていても、

本当にわかっているかどうかはわからない。

今、自分がどこにいるかは、

理解していない。

 

彼女が、変わっていくスピードは、

私の心の壊れていくスピードと、

同じだったのでしょう。

 

▲自分が想っていた人の姿形が、人格が、

入院してから、

少しずつ変わっていく現実を目の当たりにして、

またそれを本人が知らないところで

どんどん進んでいく状況を、

私が見守っていかなくてはいけない現実に、

胸が張り裂けそうな想いでしたが、

だからこそ、そんな彼女を

「自分が守ってあげなくてどうする?」と、

何もできない無力な自分とわかってはいても、

そんな信念を持って、

そばにいてあげたい、

と感じていました。

 

▲病院にいく前は、

彼女のことを考えるだけで涙が止まらない。

 

病院にいるときは、

返答が曖昧になっていく

彼女に精一杯の笑顔で接し、

病院から帰ってきてからは、

切なさと悲しさと、虚しさとで、

何も、本当に何も手につきませんでした。

 

▲彼女は途中から意識障害も強くなり、

記憶も断片的な会話になったり、

意思の疎通が、

きちんとできなくなってきたことを

感じ始めた時、

 

「彼女はどうなってしまうのか。。。」

 

そんな様々な想いが、

浮かんでは消え、

浮かんでは消えて、の繰り返しの中で、

私自身、心が壊れかけていましたが、

24時間、時間に関係なく、

毎日のように

手術や投薬許可を求める

担当ドクターからの電話は、

「症状がもっと悪化したのではないか」

という恐怖と同時に、

彼女を生かそうとするドクターを通して、

生きようとする彼女の、

生きることへの執念を見せてくれている

矜持のようにも感じ、

私も一緒に闘わなければ、と

何度も何度も心を

整えていかねばなりませんでした。

 

 

▲そんなある日、

病院の担当ナースの方が、

「これ書いていましたよ」と

一枚のメモ書きを渡してきました。

 

 

そこには、

記憶障害が起こりつつも、

過去の自分を一生懸命に想い出そうとする、

必死に書いたであろうメモ書きが、

元気な頃と変わらない

達筆で几帳面な字で書いてあったのです。

 

▲そのメモ書きには、

 

私と一緒にバーベキューした。

私と夏祭りに行った。

私に引っ越し手伝ってもらった。

私と一緒に旅行した。

 

etc...

 

自分の過去を思い出せなくなっていく中で、

自分の過去を思い出していく作業は、

どんなに悔しく、切なく、

つらかったことだろう、と考えると、

涙が止まらなくなりました。

 

そして、そのメモには、

そんな私との想い出が、

たくさん書いてあったのですが、

私自身のことも書かれていました。

 

いつも一緒にいる人は、

○○(私のことを呼んでいた愛称)、

そこに職業は、映像カメラマン、と。

 

▲それを見た時、衝撃を受けたのです。

 

「この人の中では、

記憶障害が起きつつある中でも、

俺の名前をきちんと覚えていて、

俺の職業までも、

きちんと認識してくれているのか」と。

 

▲フリーランスなので、

様々なクリエイティブ業をしてきましたが、

彼女の中では(たまたまかもしれないけれど)、

映像カメラマンという認識が強いんだなぁ、と。

 

ならば、彼女の中で、

記憶障害が起きて、

いつか自分のことも忘れてしまう時が

やってきたときに、

 

あるいは、

(こんなふうに思いたくはなかったですが)

もし彼女がいなくなってしまうことがあった場合、

一緒にいた自分が

その職業をしていると認識しているなら、

たとえ別離が来ることがあっても、

自分が、この仕事は続けていくことが、

彼女との人生を、

また彼女の人生を、

一緒に生きていくことになるのではないか、

と思ったのです。

 

▲その後、ドクターから、

「鎮静剤を打つので、

眠ってしまう形になるので、

その前に逢いますか?」

そんな連絡がやってきました。

 

私は、鎮静剤が切れて目が覚めた時に、

また逢いに行こうと思ったのですが、

なんとなく

「今から逢いにいきます」と伝え、

短い時間でしたが、

ICUで二人きりでいろいろ話しました。

 

▲酸素マスクをしていたので、

目で会話する形で、

私から一方的話しかける感じでしたが、

 

今後のこと。

 

必ず治るから、

全く心配しなくて大丈夫ということ。

 

ずっと自分がそばにいるから、

何もしないで、

毎日楽しく暮らしていこうなど…

 

そんなことを話したように思います。

 

 

▲この時の目と目で会話した時が、

意識がある時の彼女との、

実質的な最期の別れになりました。

 

この時の私のことを見つめる

彼女の視線は、

一生涯忘れることはないでしょう。

 

今思うと、

彼女が、この世から去る前の意識ある時に、

最後に話をできたのが、自分でよかった、と。

 

そして、長く長く続く、

寝たきりの生活。

 

話しかけても、

名前を読んでも、

目を開けることも、

一度も返事が返ってくることはなく…

 

変わっていく姿を見届けていく日々は、

苦しい日々でした。

 

 

▲そんな状況の中で、数ヶ月して、

改めて担当ドクターから呼ばれ、

面談したドクターからの言葉は、

 

「〇〇さんは(彼女の名前)、

もう目が覚めることはありません」。

 

「いつか目を覚まして、

笑ってくれるかもしれない」

そんな淡い想いも、

一気に飛び散ってしまったような

重く悲しい、

切ない言葉でした。

 

なんとなく覚悟していたことでしたが、

言葉になって伝えられた時、

目の前が真っ暗になり、

堪えても堪えても、

涙が溢れ出てしまい、

その場でしばらく

泣いているしかありませんでした。

 

そして、そのことを

彼女の親や、

彼女の親しい方々には

どうしても伝えることが、

ひとりで抱え込んで

苦しむしかありませんでした

 

 

▲それから、

わずかな期待を持ちつつも、

ただただ眠る彼女の姿を見るたびに、

1ヶ月後なのか、

5年後なのか、

10年先なのか、

そんなことを考えて、

ケアしていかなければならない運命に、

やりきれない想いと、

今、自分ができることは何か、を考えると、

眠れない日が続きました。

 

 

▲知人がお見舞いに来たら、

すごくオシャレだった彼女が、

恥ずかしくないように、

ナースの方に無理を言って、

意識はなくても、

髪を整えてもらって、

新しい入院着に着替えさせ、

精一杯のオシャレをさせて、

身支度を整えてあげました。

 

 

▲そして、数ヶ月経つと、

今度は転院の話をされます。

 

「こんな状況なのに、なぜ転院なのか?」

そんな疑問も、

ドクターの話を聞いているうちに

見えてきました。

 

要は、今できる

最先端のあらゆる治療をやってみたが、

もう治っていく見込みが見えないから、

あとは経過観察していくだけしかない…

そんな話だったように思います。

 

そして、さらに

「症状が重いので、

受け入れてくれる病院が本当に少なくて、

かなり遠くの病院に

なってしまうかもしれない」と。

 

 

▲「自分でなりたくてなった

病気じゃないのに、

完治もしていないのに、

転院先も遠方に勝手に限定されてしまうのか。

しかも治療というより、

命の炎が消えていくのを待って

過ごしていく入院生活なんて、

それじゃ、あまりにも彼女が可哀想じゃないか」

 

そう思うと、

転院先の候補に当たる遠方の病院を

自力で探して、

一日に何件もかけ回りました。

 

担当者にしっかり話を聞いて、

少しでも彼女が快適に過ごせるような病院を、

私が自分で選んであげよう、と思ったのです。

 

▲愛する人の命の炎が消えていくのを、

一緒にいた自分が

ただただ見守っていくしかないなんて、

こんなことがあっていいのか。

 

悔しくて、切なくて、

彼女を守ってあげられない、

何もできない自分の無力さに、

心が張り裂けそうでしたが、

彼女がどうなることになっても、

私が最後まで

やってあげなくてはいけないことのように

思えました。

 

そして、若くして亡くなった

私の父親も、天国で、

 

「男のお前が、

最期の最期までできることをして、

彼女を守ってやるんだ

 

そんなふうに

言われているように感じたのです。

 

 

一方通行の会話の中で、

一緒にいさせてもらった者が、

できることは何か。

 

やはり、

「こうして欲しい」という

彼女の気持ちを慮り、

それを自分が全部してあげることだ、と。

 

それは、

今この瞬間だけではない。

 

元気でいたら、

こういうことをしたかった、

ということも、

自分が代弁者としてやっていくべきだろう、と。

 

 

▲そして、古い小さな田舎の病院でしたが、

「ここなら少しでも彼女は、

快適に過ごしていけるかな…」

と転院先がやっと決まった頃、

 

「もう大丈夫だよ…」

 

そんな彼女の無言のメッセージが

聞こえたような気がしたのですが、

程なくして、

彼女は私の目の前で静かに、

天国に旅立ちました。

 

 

▲その前日は、

病院に泊まり込み、

ずっとそばで過ごしていた時間が、

二人で過ごした最期の夜に。

「きっとこの夜のことは、永遠に忘れない」

そんなふうに思いながら、

過ごしました。

 

 

 

 

▲そして「少し時間をおいて」くれたのは、

彼女が、

自分がいなくなっても大丈夫なように、と

私に心を整理する時間を

残してくれたのでしょう。

 

 

彼女の姿は、

こんなにも儚く、

でも穏やかで、

まるで眠っているような

美しい表情でした。

 

「転院も本当に嫌だったんだろうなぁ」と思うし、

「そんな遠くの病院なんか行きたくない」

とも思っただろうし、

私が遠方まで自分のケアをしてくることが、

彼女にとって

迷惑をかけたくないと思ったのでしょうか、

最後まで思い遣り忘れない、
本当に彼女らしい気遣いだったなぁと。

 

 

▲当時、涙が枯れるほど、

本当に枯れるほど泣きました。

 

元気な時は、

いつも一緒にいた彼女が、

1分でも1秒でも多く、

近くにいて欲しかった彼女の身体が、

棺に入って、

いわゆる旅支度の姿になった時には、

その姿にショックを受け、

火葬されるときには、

 

「彼女が一人で、

熱い中に入っていったら、

孤独で、苦しくて辛いから、

俺がずっとそばに一緒にいて

熱さを、孤独を、寂しさを、

俺の力で、和らげてあげなければ」

 

と、彼女の眠る棺を力いっぱいに抱きしめ、

火葬する中に、

一緒に飛び込むくらいの気持ちでした。

 

 

▲私の人生で、父親に続き、

二度経験した、

今まで当たり前にいた人が、

突然いなくなるということ。

 

最愛の人と死別するということ。

 

時を経て、

その喪失感に

潰されそうになる瞬間が、

今でもあります。

 

彼女の肉体は、

すでになくなっているのに、

彼女の衣服や持ち物は、

そこに確かに存在していて、

ビデオや写真を見返せば、

そこに彼女は、

きちんと存在している。

 

 

その現実との激しいギャップに、

思わず遺影や

クローゼットの中にあった

彼女のたくさんの洋服を

ずっと抱きしめ続けることも、

一度や二度ではなかった。

 

 

▲また自分自身が至らない男だったから、

こうなってしまったのではないか?

 

自分自身みたいな男と一緒にいたから、

こうなってしまったんじゃないのか?

 

そんな風に、

自分自身の存在を責めて、

否定したくなるときも

たくさんありました。

 

▲一緒に歩いた場所を通れば、

いつも当時一緒に歩いたときと

同じ気持ちになるし、

一緒に入ったレストランで、

オーダーした料理は、

同じ料理でも、

一人で食べても、

二人で食べた時より美味しい時はなく、

一緒に話した会話は、

今でも目を閉じれば、

ありありと蘇ってくる。

 

▲そこから感じる

想い出という名の残り香は、

いつも彼女と一緒にいた

かけがえのない時間を想い出させ、

彼女が私に残していってくれた大切なものに

改めて気づかせてくれる時間でもありました。

 

 

・人生がいつも有限であるということ。

 

・今思っていることを

 今きちんと伝えることが

 本当に大切ということ。

  

・人生は、二度と戻らない

一度限りの旅であること。

 

・心の底から想える人に出逢えることは、

 人生の奇跡であり、

 お金で決して買うことのできないものであること。

 

・縁があって出逢い、

 全力で人を愛することが、

 自分の人生を

 深く意味のあることにするということ。

 

etc...

 

 

▲そして今、思うのです。

 

 どういう形になろうと、

相手をずっと想い続け、

その人のやりたかったことを

ひとつでもいいから、

形にしてあげることで、

きっと自分の心にも、

その人の縁がある方々の心にも、

永遠に生き続けるのだろう、と。

 

 

彼女と最期に話した日が、
冬の寒さとともに、

もうすぐ近づいてきます。

 

 

 

※福山さんの作詞作曲された「ひまわり」は、

この時の私の心境を代弁し、

 

 

 

 

福山さんの作詞作曲された

「ヒトツボシ」の方の歌詞は、

天国に旅立った彼女の気持ちを

代弁しているようで、
今でも涙が止まらなくなります…

 

 

 

 

 

 

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<今日の自分の信念がすべての現実を引き寄せる法則
/選ばれる5%のハイパフォーマーズになるための方程式1401条>

 

この世を去っていく人の、

その方の人生の旅路で出逢えたという奇跡。

きっとまた出逢えるときがやってくる。

その日までに、その人の分まで生きて人生を味わい尽くす。

 

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<メッセージ>
人生=命の時間です。
「自分の人生」という一瞬の限りある時間、

自分の命に花を咲かせ
毎日起こる自分の心が揺さぶられるような人、出来事、
素晴らしいもの、新しい自分自身との出逢い、に、
心から感謝し、たった一度の自分の人生を去る時がきた時に、
「やることを思いっきりやったので、もう一切悔いはないです」と

笑顔で言い切れる人生にしていきましょう。

物事を始めるのに、早い遅いはありませんが、
果物にも旬があるように、「やりたい時がやる時」。
誰もが「自分の人生=命の持ち時間」は、

決まっています。

今日もこの文章を読んでくださった方の一日が、
どんな喜怒哀楽があっても、
結果的に「あの日があったから」と思える
人生の変化の再スタートのきっかけになる
最高の1日になりますように。

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発行責任者

クリエイティブディレクター/映像クリエイター

尾又 大輔

 

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