▲それでは、今日の
<日刊配信/自分の信念がすべての現実を引き寄せる法則
/選ばれる5%のハイパフォーマーズになるための方程式
~変化成長していく自分になるための気づきの視点~>
をどうぞ。
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<第1401号/自分の信念がすべての現実を引き寄せる法則
/選ばれる5%のハイパフォーマーズになるための方程式>
~変化成長していく自分になるための気づきの視点~
「この世を去っていく人の人生の旅路で出逢えたという奇跡」
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▲若い頃ですが、
一緒に暮らし、
ずっと私のそばにいて
支えてくれていた人が、
急に病に倒れ、
あっという間に天国に旅立っていってしまう、
という経験をしました。
▲肉親以外で、
最期まで人を看取る経験をしたことは、
人に対する接し方や、
時間の大切さ、
人生という時間の有限さなど、
今生きている私の中で、
人生観を大きく変えてきたように思います。
▲いつも一緒にいて元気だった彼女が、
突然急に倒れて、
最初に入院した時は、
一体どこが悪いんだろう?というくらい、
まだ元気だったのですが、
入院して1週間くらいの間に
日々状況が変わっていき、
別人のようになっていく中で、
病の進行が深刻化していくにつれて、
「もしかしたら長くないかもしれない」と
なんとなく感じた瞬間、
思ったのです。
「仕事や他のこともすべてやめて、
何よりも優先して、一分一秒でも長く、
この人のそばにいてあげよう」と。
▲病気が進行するにつれて、
とても綺麗好きだった彼女が、
身なりのことも
まったく気にしなくなっていく。
すごくオシャレな人だった彼女が、
オシャレすることにも、
衣服が少し汚れても、
まったく興味を示さなくなっていく。
私のことはわかるとは言っていても、
本当にわかっているかどうかはわからない。
今、自分がどこにいるかは、
理解していない。
彼女が、変わっていく姿のスピードは、
私の心の壊れていくスピードと、
同じだったのでしょう。
▲自分が想っていた人の姿形が、人格が、
入院してから、
少しずつ変わっていく現実を目の当たりにして、
またそれを本人が知らないところで
どんどん進んでいく状況を、
私が見守っていかなくてはいけない現実に、
胸が張り裂けそうな想いでしたが、
だからこそ、そんな彼女を
「自分が守ってあげなくてどうする?」と、
何もできない無力な自分とわかってはいても、
そんな信念を持って、
そばにいてあげたい、
と感じていました。
▲病院にいく前は、
彼女のことを考えるだけで涙が止まらない。
病院にいるときは、
返答が曖昧になっていく
彼女に精一杯の笑顔で接し、
病院から帰ってきてからは、
切なさと悲しさと、虚しさとで、
何も、本当に何も手につきませんでした。
▲彼女は途中から意識障害も強くなり、
記憶も断片的な会話になったり、
意思の疎通が、
きちんとできなくなってきたことを
感じ始めた時、
「彼女はどうなってしまうのか。。。」
そんな様々な想いが、
浮かんでは消え、
浮かんでは消えて、の繰り返しの中で、
私自身、心が壊れかけていましたが、
24時間、時間に関係なく、
毎日のように
手術や投薬許可を求める
担当ドクターからかかってくる電話は、
「症状がもっと悪化したのではないか」
という恐怖と同時に、
彼女を生かそうとするドクターを通して、
生きようとする彼女の、
生きることへの執念を見せてくれている
矜持のようにも感じ、
私も一緒に闘わなければ、と
何度も何度も心を
整えていかねばなりませんでした。
▲そんなある日、
病院の担当ナースの方が、
「これ書いていましたよ」と
一枚のメモ書きを。
そこには、
記憶障害が起こりつつも、
過去の自分を一生懸命に想い出そうとする、
必死に書いたであろうメモ書きが、
元気な頃と変わらない
達筆で几帳面な字で書いてあったのです。
▲そのメモ書きには、
私と一緒にバーベキューした。
私と夏祭りに行った。
私に引っ越し手伝ってもらった。
私と一緒に旅行した。
etc...
自分の過去を思い出せなくなっていく中で、
自分の過去を思い出していく作業は、
どんなに悔しく、切なく、
つらかったことだろう、と考えると、
涙が止まらなくなりました。
そして、そのメモには、
そんな私との想い出が、
たくさん書いてあったのですが、
私自身のことも書かれていました。
いつも一緒にいる人は、
○○(私のことを呼んでいた愛称)、
そこに職業は、映像カメラマン、と。
▲それを見た時、衝撃を受けたのです。
「この人の中では、
記憶障害が起きつつある中でも、
俺の名前をきちんと覚えていて、
俺の職業までも、
きちんと認識してくれているのか」と。
▲フリーランスなので、
様々なクリエイティブ業をしてきましたが、
彼女の中では(たまたまかもしれないけれど)、
映像カメラマンという認識が強いんだなぁ、と。
ならば、彼女の中で、
記憶障害が起きて、
いつか自分のことも忘れてしまう時が
やってきたときに、
あるいは、
(こんなふうに思いたくはなかったですが)
もし彼女がいなくなってしまうことがあった場合、
一緒にいた自分が
その職業をしていると認識しているなら、
たとえ別離が来ることがあっても、
自分が、この仕事は続けていくことが、
彼女との人生を、
また彼女の人生を、
一緒に生きていくことになるのではないか、
と思ったのです。
▲その後、ドクターから、
「鎮静剤を打つので、
眠ってしまう形になるので、
その前に逢いますか?」
そんな連絡がやってきました。
私は、鎮静剤が切れた目が覚めた時に、
また逢いに行こうと思ったのですが、
なんとなく
「今から逢いにいきます」と伝え、
短い時間でしたが、
ICUで二人きりでいろいろ話しました。
▲酸素マスクをしていたので、
目で会話する形で、
私から一方的話しかける感じでしたが、
今後のこと。
必ず治るから、
全く心配しなくて大丈夫ということ。
ずっと自分がそばにいるから、
何もしないで、
毎日楽しく暮らしていこうなど…
そんなことを話したように思います。
▲この時の目と目で会話した時が、
意識がある時の彼女との、
実質的な最期の別れになりました。
この時の私のことを見つめる
彼女の視線は、
一生忘れることはないでしょう。
今思うと、
彼女が、この世から去る前の意識ある時に、
最期に話をできたのが、自分でよかった、と。
そして、長く長く続く、
寝たきりの生活。
話しかけても、
名前を読んでも、
目を開けることも、
一度も返事が返ってくることはなく…
変わっていく姿を見届けていく日々は、
苦しい日々でした。
▲そんな状況の中で、数ヶ月して、
改めて担当ドクターから呼ばれ、
面談したドクターからの言葉は、
「〇〇さんは(彼女の名前)、
もう目が覚めることはありません」。
「いつか目を覚まして、
笑ってくれるかもしれない」
そんな淡い想いも、
一気に飛び散ってしまったような
重く悲しい、
切ない言葉でした。
なんとなく覚悟していたことでしたが、
言葉になって伝えられた時、
目の前が真っ暗になり、
堪えても堪えても、
涙が溢れ出てしまい、
その場でしばらく
泣いているしかありませんでした。
そして、そのことを
彼女の親や、
彼女の親しい方々には
どうしても伝えることが、
ひとりで抱え込んで
苦しむしかありませんでした。
▲それから、
わずかな期待を持ちつつも、
ただただ眠る彼女の姿を見るたびに、
1ヶ月後なのか、
5年後なのか、
10年先なのか、
そんなことを考えて、
ケアしていかなければならない運命に、
やりきれない想いと、
今、自分ができることは何か、を考えると、
眠れない日が続きました。
▲知人がお見舞いに来たら、
すごくオシャレだった彼女が、
恥ずかしくないように、
ナースの方に無理を言って、
意識はなくても、
髪を整えてもらって、
新しいパジャマを着せて、
精一杯のオシャレをさせて、
身支度を整えてあげました。
▲そして、数ヶ月経つと、
今度は転院の話をされます。
「こんな状況なのに、なぜ転院なのか?」
そんな疑問も、
ドクターの話を聞いているうちに
見えてきました。
要は、今できる
最先端のあらゆる治療をやってみたが、
もう治っていく見込みが見えないから、
あとは経過観察していくだけしかない…
そんな話だったように思います。
そして、さらに
「症状が重いので、
受け入れてくれる病院が本当に少なくて、
かなり遠くの病院に
なってしまうかもしれない」と。
▲「自分でなりたくてなった
病気じゃないのに、
完治もしていないのに、
転院先も遠方に勝手に限定されてしまうのか。
しかも治療というより、
命の炎が消えていくのを待って
過ごしていく入院生活なんて、
それじゃ、あまりにも彼女が可哀想じゃないか」
そう思うと、
転院先の候補に当たる遠方の病院を
自力で探して、
一日に何件もかけ回りました。
担当者としっかり話を聞いて、
少しでも彼女が快適に過ごせるような病院を、
私が選んであげよう、と思ったのです。
▲愛する人の命の炎が消えていくのを、
一緒にいた自分が
ただただ見守っていくしかないなんて、
こんなことがあっていいのか。
悔しくて、切なくて、
彼女を守ってあげられない、
何もできない自分の無力さに、
心が張り裂けそうでしたが、
彼女がどうなることになっても、
私が最後まで
やってあげなくてはいけないことのように
思えました。
そして、若くして亡くなった
私の父親も、天国で、
「男のお前が、
最期の最期までできることをして、
彼女を守ってやるんだ」
そんなふうに
言われているように感じたのです。
一方通行の会話の中で、
一緒にいさせてもらった者が、
できることは何か。
やはり、
「こうして欲しい」という
彼女の気持ちを慮り、
それを自分が全部してあげることだ、と。
それは、
今この瞬間だけではない。
元気でいたら、
こういうことをしたいということも、
自分が代弁者としてやっていくべきだろう、と。
▲そして、古い小さな田舎の病院でしたが、
「ここなら少しでも彼女は、
快適に過ごしていけるかな…」
と転院先がやっと決まった頃、
「もう大丈夫だよ…」
そんな彼女の無言のメッセージが
聞こえたような気がしたのですが、
程なくして、
彼女は私の目の前で静かに、
天国に旅立ちました。
▲その前日は、
病院に泊まり込み、
ずっとそばで過ごしていた時間が、
二人で過ごした最期の夜に。
「きっとこの夜のことは、永遠に忘れない」
そんなふうに思いながら、
過ごしました。
▲そして「少し時間をおいて」くれたのは、
彼女が、
自分がいなくなっても大丈夫なように、と
私に心を整理する時間を
残してくれたのでしょう。
穏やかで、
まるで眠っているような
美しい表情でした。
「転院も嫌だったんだろうなぁ」と思うし、
「そんな遠くの病院なんか行きたくない」
とも思っただろうし、
私が遠方まで自分のケアをしてくることが、
彼女にとって
迷惑をかけたくないと思ったのでしょうか、
最期まで思い遣り忘れない、
本当に彼女らしい気遣いだったなぁと。
▲当時、涙が枯れるほど、
本当に枯れるほど泣きました。
元気な時は、
いつも一緒にいた彼女が、
1分でも1秒でも多く、
近くにいて欲しかった彼女の身体が、
棺に入って、
いわゆる旅支度の姿になった時には、
その姿にショックを受け、
火葬されるときには、
「彼女が一人で熱い中に入っていったら、
孤独で、苦しくて辛いから、
俺がずっとそばに一緒にいて、
熱さを、孤独を、寂しさを、
俺の力で、和らげてあげなければ」
と、彼女の眠る棺を力いっぱいに抱きしめ、
火葬する中に、
一緒に飛び込むくらいの気持ちでした。
▲私の人生で、父親に続き、
二度経験した、
今まで当たり前にいた人が、
突然いなくなるということ。
最愛の人と死別するということ。
時を経て、
その喪失感に
潰されそうになる瞬間が、
今でもあります。
彼女の肉体は、
すでになくなっているのに、
彼女の衣服や持ち物は、
そこに確かに存在していて、
ビデオや写真を見返せば、
そこに彼女は、
きちんと存在している。
その現実とのギャップに、
思わず遺影や
クローゼットの中にあった
彼女のたくさんの洋服を
ずっと抱きしめ続けることも、
一度や二度ではなかった。
▲また自分自身が情けない男だったから、
こうなってしまったのではないか?
自分自身みたいな男と一緒にいたから、
こうなってしまったんじゃないのか?
そんな風に、
自分自身の存在を責めて、
否定したくなるときも
たくさんありました。
▲一緒に歩いた場所を通れば、
いつも当時一緒に歩いたときと
同じ気持ちになるし、
一緒に入ったレストランで、
オーダーした料理は、
同じ料理でも、
一人で食べても、
二人で食べた時より美味しい時はなく、
一緒に話した会話は、
今でも目を閉じれば、
ありありと蘇ってくる。
▲そこから感じる
想い出という名の残り香は、
いつも彼女と一緒にいた
かけがえのない時間を想い出させ、
彼女が私に残していってくれた大切なものに
改めて気づかせてくれる時間でもありました。
・人生がいつも有限であるということ。
・今思っていることを
今きちんと伝えることが
本当に大切ということ。
・人生は、二度と戻らない
一度限りの旅であること。
・心の底から想える人に出逢えることは、
人生の奇跡であり、
お金で決して買うことのできないものであること。
・縁があって出逢い、
全力で人を愛することが、
自分の人生を
深く意味のあることにするということ。
etc...
▲そして今、思うのです。
どういう形になろうと、
相手をずっと想い続け、
その人のやりたかったことを
ひとつでもいいから、
形にしてあげることで、
きっと自分の心にも、
その人の縁がある方々の心にも、
永遠に生き続けるのだろう、と。
彼女と最期に話した大切な日が、
冬の寒さとともに、
もうすぐ近づいてきます。
※福山さんの作詞作曲された「ひまわり」は、
この時の私の心境を代弁し、
福山さんの作詞作曲された
「ヒトツボシ」の方の歌詞は、
天国に旅立った彼女の気持ちを
代弁しているようで、
今でも涙が止まらなくなります…
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<今日の自分の信念がすべての現実を引き寄せる法則
/選ばれる5%のハイパフォーマーズになるための方程式1401条>
この世を去っていく人の、
その方の人生の旅路で出逢えたという奇跡。
きっとまた出逢えるときがやってくる。
その日までに、その人の分まで生きて人生を味わい尽くす。
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<メッセージ>
人生=命の時間です。
「自分の人生」という一瞬の限りある時間、
自分の命に花を咲かせ
毎日起こる自分の心が揺さぶられるような人、出来事、
素晴らしいもの、新しい自分自身との出逢い、に、
心から感謝し、たった一度の自分の人生を去る時がきた時に、
「やることを思いっきりやったので、もう一切悔いはないです」と
笑顔で言い切れる人生にしていきましょう。
物事を始めるのに、早い遅いはありませんが、
果物にも旬があるように、「やりたい時がやる時」。
誰もが「自分の人生=命の持ち時間」は、
決まっています。
今日もこの文章を読んでくださった方の一日が、
どんな喜怒哀楽があっても、
結果的に「あの日があったから」と思える
人生の変化の再スタートのきっかけになる
最高の1日になりますように。
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発行責任者
クリエイティブディレクター/映像クリエイター
尾又 大輔
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