昔の日本映画 勉強会 -26ページ目

昔の日本映画 勉強会

古い日本映画を知らないので、これから一本一本観て記録してゆこうと思います。その他。

最近 

佐藤泰治さんという 昭和の洋画家・挿絵画家に興味があります。

 

大正4年に生まれ昭和35年に亡くなってる方だそうです。

インターネットで調べてもあまり情報が見つけられません。

こんな画像見つけました。

 

先日図書館で佐藤さんがカットを描いてる書籍をようやく見つけました。

「主婦の作文」 東京六興社

昭和26年発行されています。

その当時の 一般の主婦から「作文」を募集して集めた本のようです。

吉川英治が 選考したのか 序文を寄稿しています。

 

主婦の書いた作品ごと タイトルの上あたりに 佐藤さんの カットが入っていました。

 

どの作品を読んでも 昭和20年代のあの頃の日本(とっていっても私は想像するしかないのですが)

が 肌で感じられるような作品でした。

貧乏だけどどこか明るい。

まるで成瀬巳喜男監督の映画を観てるような面白さがありました。

 

 ここでは私の備忘録のために 私が面白いと思った2作の作文を抜き書きしてみます。

(本当は関係者の方にお断りして掲載すべきでしょうが、もう消息も何もわからないので)

 

昭和20年代という背景を想像してお読みください。

本当は難しい漢字で印刷されてましたが私のパソコンでは変換できないので現代漢字を使いました。

この作品に登場する少年少女も いまや後期高齢者でしょうか

しかし本作の中で 彼、彼女らは あの当時のまま 生き生きとしています。

 

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大木谷子

 あと一週間で学期試験だという或日、娘がこんなことをいい出した。
「今度は、どうしても可が一つあると思うの」
「可ですって、冗談じゃない、まだ、試験はこれからじゃないの」
 私は、びっくりして娘の顔を見る。
「だって、不可抗力なんですもの、良子、数学の本、配給なかったんですもの」
「ほかの人たち、どうしているんですの?」
「みんな、もう三年生に借りたんですって。良子借りようと思ったら、もう誰も持っていないんだもの仕方がないわ」
「仕方がないって、済ますつもりなの、この人は。ぐずぐずしているからじゃない。だからいわないことじゃない。常々から勉強なさいってあれほどいったじゃないの。
早く借りて写しておくとか、なんとかすればよかったのに」
どうやら形成不利と見て、良子はあわてて「どうにかするわ」と逃れるように立ってしまったが、二日たち三日たつても一向本を借りた様子がない。
私の方が良子よりがっかりしてしまって、やれやれ、この分ではほんとに不可抗力かな、、、と思いはじめた。
 あと二日という日の朝、弟の方が新聞受に新聞と一緒にこんなものが入っていたと、一冊の本を差出した。
「あ、来た、来た」と良子はニヤリとして、「ほらね、お母さん、日ごろの心がけがいいんですもの、この通りよ。ほら、数学の本」
「どうしたの一体?」
一寸、きまり悪そうに良子はいった。
「上級生の誰にたのんでも持ってないでしょう、もうあきらめたーーーと思ったら新聞配達の学生ね、あの人きっと良子より1年位上かと思ったの
福田さんっていう人なんだけど、、、、。『僕もう、いらないから持ってきましょう』つていつてくれて、とても助かっちゃった、ああ、よかった、うれしいな」
私は、半ばあきれ、半ばほつとして、言葉も出なかった。その日娘が学校へ行ってしまってから、私は机に頬杖ついて考えこんでしまった。
「私、PTAの会で、あんなこと、はっきりいつてしまったけど、さて、、、」
五、六日前の学校の会で、男女間の交際ということで意見まちまち、どれもどれもコツケイなものばかり。神経質だと私は思ったので、
「Kさんは」と指名された時、ついうつかり、自信ありげに、
「私、子供を信じることが一番だと思います。子供は自分は親から信じられているのだと思えば、そんなに無責任なこと出来ないと思います。自分の行動は自分で批判もし、
責任も持つものではありませんかしら」
といってしまったのだけれど。
「いいかな、大丈夫かな」と私は、やや不安な気持ちで、自問自答してみるのだった。
それから二週間後、成績の発表があつた。
「おかげさまで、、、、なんて、あんまり、いわないけれど」
と良子は、やつと数学が可をまぬがれて良になったことを告げた。そして、
「百円頂戴、福田さんに本のお礼するの、あの本、借りたんじゃなくつてもらつちゃったの、もういらないんだつて。ねえお母さん何がいい?」
「さあ、何がいいかしらねぇ」
「あのね、良子、実用的なものがいいと思うのよ。学生の実用品といえばノートどうかしら、ね、いいでしょう」
と良子は、こともなげに簡単である。少なくとも見たところでは、非常に簡単、、、
「信用すること、信用すること」
心の中で私は、お念仏のようにつぶやいた。紙につつんで用意したノートが、その後数日間か、良子の机の上にのっていた。それは、毎日毎日、寝坊の良子はなかなか朝早く来る福田さんに会えなかったらしい。

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或る中学生

村山智枝子

「先生。この家は仲々いい借家ですね」
「おいおい。これは借家じゃないよ、僕の家だぜ」
「はーん、そうですか。それじゃア何時頃建てました?」
「そうだな。えーっと一昨年の暮れだつたかな」
「ここと次の間と二間ですね。先生どの位かかりましたか」
「どの位?さあ困ったな。僕は知らんよ。親父に建てて貰ったんだから」
「ふーん。十万円位かな。それとも、もっとかな?」
夕暮大きなロイド眼鏡をかけた生徒がひとり、ひよつこり訪ねて来たので、ようこそ、さあどうぞ、と座布団をすすめたばかりなのに、いきなりその子が、家のことを言い出したので、私は驚いてしまった。主人もいささか、たじたじとなった形で、私の顔をちらりと見て苦笑いしながら
「受持ちの生徒でね、大橋守君。クラスで優秀な生徒の一人だよ、大橋君よく来たね。何か用かい」とたずねた。中学二年にしては小柄な方で、洗いざらしのシャツの衿から、ほっそりとした首が妙に長く見える子である。
眼鏡を指先でつき上げつき上げ、仔細らしくまだ天井から畳から丁度まで、ぐるぐる見廻している恰好が、あんまり分別臭いので、ついおかしくなって来る半面、何てひねこびた風変りな子なんだろうと注目しないでは、いられなかった。
二学期から弁論部に入ると言うので主人がどんな事でもいいから原稿を書いて来るように、それから先生は普通の日は課外やらアルバイトで晩迄不在だが日曜日は家にいるから、又遊びにおいでと言うと
「先生。日曜日は僕はダメです。教会へ行かねばなりませんから、お断りします」
とあつさり言ってのける。
「それじゃあ仕方がない。君の家は遠いんだから、教会の方を少々早く切り上げて来たまえよ」
「そんな事は出来ません。僕の信仰が許しませんから」
およそ信仰の心のない私達夫婦は、その言葉を聞くと、吃驚したように目を見合わせて、又まじまじとその生徒の顔を眺めた。如何にも、神経質そうに眼を絞って、唇をピクピクさせながら喋る少年である。私は思わず好奇心にかられて尋ねてみた。
「あなた、おうちはどこ?」
「O町の母子寮です」
「ではお父さんはいらつしゃらないの」
「ええ。現地召集したつきり、もう分からなかったのです。戦友の人からは、死んだって通知を貰ったんだけど、広報は未だにありません」
「シベリヤの方にでもいられると違うの」
「もう死んでいるのだと思います。その時の状況を戦友が知らせてくれましたから、、、」
「お気の毒だこと。あなた御兄妹は」
「僕の下に妹が三人います。終戦後満州から引き揚げて来て、お母さんとお祖母さんと六人が六畳一間に暮らしています。だから僕、、、」
ふっと声が聞こえなくなって、濃い夕闇の中に白い開襟シャツの肩が侘しげなのを見ると、先程の家の事を根堀り葉堀り聞いた少年の思いがたまらない程、胸にしみるようである。
幼い子供を抱えて、日々の生活を支えているお母さんの姿も目に見える気がして、「お母さま、大変でしょうねえ」と言うと、
「今迄色々な目に遭って来ました。苦しい事も沢山ありましたけれど、これからは、今迄程苦しい事はないだろうと思います。ソ連の様なずるい国にいくら頼んだって、言うことなんか聞いてくれるもんか。今更お父さんは、帰って来やしない。ですから先生、僕は人に頼らないで生きて行きたいと思います」
「ああ、君は真面目だし意志も強いからね。うんと勉強するんだね」
主人が働いてくれる家庭でも随分暮らしにくい世の中に、女手で然もたつた一人の男の子であれば、この子がどの様に頼りだろうか。大人びた言動も、この少年の環境から来る必然的なものなのであろうと思うと、痛々しいとさえ、感じられた。
どもこんな子が、えらくなるのかも知れない。などと考えていると、
「おい。電気をつけろよ」と主人が思い出したように、蚊をばたばたうちわで追いながら言った。部屋を明るくして、お茶を入れかえ、丁度、子供の誕生日に作った御萩と稲荷ずしを出すと、はじめて子供っぽい笑顔になって、
「先生、僕は将来、きっとアメリカへ行くつもりです」と元気よく言った。

 

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以上です。

なぜか成瀬監督の「お母さん」を鑑賞したくなりました。

 

映画よ 今夜もありがとう