浜村淳「話上手で心をつかめ」 | 昔の日本映画 勉強会

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古い日本映画を知らないので、これから一本一本観て記録してゆこうと思います。その他。

浜村淳の話上手で心をつかめ


私が関西の人を羨ましいと思うひとつは

関西には浜村淳がいることだ。

 


子供の頃 私は 大阪に住んでいたが大病をして

2年くらい学校へ行けず寝たきりだった。

寝たきりの毎日

朝から夜までラジオを聴いていた。

黒いトランジスタラジオを枕の横に置いて。

その中で 浜村淳が司会する番組が 何より楽しみだった。

浜村淳が解説する映画の話しに

寝たきりの子供だった私はどれほど魅了されたろう。

いつ治るとも知れない病気が いつか快復する日が来たら

浜村淳さんが紹介してくれた映画を 

自分の眼で ぜひ見たい と祈ったものだ。

 

浜村淳の映画解説は

まるで自分が映画を観ているような臨場感がある。

いや場合によっては

映画より 浜村淳の話し自体が面白いこともあるのだ。

ウイキで浜村淳を調べると 芸風 という欄に

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新聞からの記事を紹介する時には、芝居の節回しを使い

(「さてみなさん(聞いて下さい)」(みにアクセント)、

「スゴいんです、スゴいんです。何がスゴイかと言いますと…」など)、

捲くし立てるような連呼の後に

「…と、いうような」と、巧みな緩急をつけるのが特徴。

同時にその話題のキーワードにちなんだ雑学(映画に関するものが多い)

を織り込むなど、豊富な教養と大仰な煽りを駆使した

「遠回りしながら」の解説である。

また、「○○でしょうか? いえ、そんな事はありません!」

などという反語的言い回しも多用する。

映画に極めて詳しく、また落語などの古典芸能にも精通する

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読んでいて浜村淳さんの声が聴こえてくるようだ。

 


その後、わたしは病気が治らぬまま家族の事情で関東に引っ越した。

移ってからは浜村淳の話しを聴く機会は激変した。

(わたしは子供の頃 引っ越しが多かったが、

 その時のことを思い出そうとすると 

 山田洋二監督の「家族」(1970年公開)の引っ越しシーンと

 重なって頭に思い浮かぶ。全然関係ないが)

 

 

先日 澤登翠 の本を図書館で借りた際

浜村淳の「話上手で心をつかめ」も借りた。

浜村淳の名前に懐かしさもあったが 

これも日本映画の勉強になればと思ったからである。

 


印象に残ったことを記録しておく。

●黒沢明「姿三四郎」で映画の面白さを知った。

●高倉健「唐獅子牡丹」は当たり役。

●うまい会話 ゆきつくところ心くばり。ユーモア。

●婚礼のスピーチ聞いていられるの3分が限度。

●自分だけのネタをお持ちになること。

●「ある愛の詩」会話がしゃれていた。軽妙、テンポ、楽しい。

●夢にみるよじゃ惚れよがうすい しんから惚れたら眠られぬ

●失礼ですがおいくつですか?松坂慶子と同い年です

●太閤人たらし石川数正の話し。人は己を知るもののために死すという。

●京都人の言葉使い。京のお茶ずけ。明智のちまき笹。

 私にも通ずるものがあり驚く。京都で暮らしたこと無いのに。

●男はつらいよ。北海道の街はずれ。腰を下ろして休んでる寅さんに車を止めて桃井かおりが聞く

 「おじさん、ここ、なんていうところ?」
 「北海道というところだよ」

●「ひろわるる親は闇から手を合わせ」「迷い子の親はしゃがれて礼をいい」
 「かぎっ子にママ平仮名の走り書き」

●寅次郎の科白(浪速の恋の寅次郎)、詩歌、川端康成、井上靖。

最後のチャップリンの話しもよかった。

「独裁者」の恋人の名前はチャップリンの母親と同じ名前にしたこと。

「独裁者」の最後の演説は 死を意識したチャップリンが「母」へ送ったメッセージでもあったこと

だからこそ浜村淳は

チャップリンの話しを 幼児期から話しを始めていたこと など。