ふとワイドショーを観ていてたまに耳にする「妊婦への嫌がらせ」についての考察がなされていた。

要は「羨望」言い換えれば「妬み嫉み」によるものなんですね。

資本主義にはあらゆる光と影が必ず存在するもので、例えば満たされている方もいればそうでない方もいらっしゃる。

ある時は劣等感という負のパワーが転じて成功の糧になることもあれば、こうした妊婦への嫌がらせの様にまんま負の現象が起きてしまうこともある。

あおり運転の厳罰化が本日から施行されますが、罰則を強化するだけで社会の様々な負のパワーが解決する話でもなさそうです。


ある時電車で子連れの若い女性が年配の女性から「子供まで座らせるな!」という攻撃を受けていて、近くにいた年配の男性が「それはあなたがおかしいですよ」と年配女性を諭しているシーンに出くわしました。

日本には罰則や警察だけでなく、こうした社会の目というか声がもっと必要だと思います。かつてはあったのでしょうが、現代の価値感に合わせたもので。

そうでないと個人が「マスクを着けない権利」を主張してみたり、社会は望まない人間を撃ち殺してみたりというどこぞの国みたいになってしまいますからね。

少なくとも自分はさり気無く負のパワーを解消してやれる様な人でありたい。