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BWV589 

アラ・ブレーヴェ ニ長調

 

■http://blogs.yahoo.co.jp/tiento_antiguo/51972201.html より引用

きょうは、バッハのオルガン曲「アラ・ブレーヴェ ニ長調」BWV589を聴いています。
「アラ・ブレーヴェ」とは、難しいことを抜きにして言えば(ボクもよくわかってない〈恥〉)、4/2あるいは2/2拍子のことらしいです。東京書籍『バッハ事典』によると、本曲はアルンシュタット時代(1703-07年)に成立したのではないかとされ、「イタリアのモデル(フレスコバルディ、あるいはコレッリ?)による、古様式ポリフォニーの
作品」とのことです。イタリアらしく明るい曲調ながら、古様式ポリフォニーを想起させる四声の重厚な展開がいかにもオルガンに相応しいですね。演奏は、トン=コープマンのオルガンで(アルヒーフ・レーベル、1983年録音)。実に輝かしく熱い演奏で、胸がすくような気分になります。



■http://www.yung.jp/yungdb/op.php?id=784 より引用

普通、<アラ・ブレーヴェ>というのは「二分音符を1拍と数える」ことを示す言葉ですが、バッハの時代には古い様式で書かれていることを示すためにこの<アラ・ブレーヴェ>という言葉が使われることもあったようです。この古い様式というのは<アラ・ブレーヴェ>と言う言葉から想像される速いテンポではなくて、ゆったりとした荘重な音楽をイメージしていました。ですから、この作品も音楽の切れ目がハッキリとしないで、音が次から次へとつながっていきます。それがいわゆる「荘重な雰囲気」を醸し出しているといえます。また、4声からなるこの作品は、それぞれの声部に主題を構成している動機が顔を出すために、帰って主題が浮かび上がりにくいという不思議な雰囲気を持っていて、その事が作品全体に「荘重な雰囲気」をただよわせる一因ともなっています。
と、ここまで書いておきながら、実は最近の研究ではこの作品はバッハの真作ではないという見方が有力になってきています。もちろん、ヴァイマール時代の若き日の作品のと言う見方も否定されてはいないのですが、何とも言えない取り留めのなさゆえにか、偽作派が最近は有力なようです



■http://www.geocities.jp/hukuhuku_pii_623/gakugo2.htm より引用

アラ・ブレーヴェ alla breve (伊)
2分の2拍子のことです。 ¢ でかかれること多いです。ブレーヴェはもともと全音符の2倍の長さを持つ音符のことです。


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BWV592-697 

協奏曲


■ヘルマン・ケラー「バッハのオルガン作品」p.121~ より引用

◇BWV592
この曲は、ある手稿譜によれば、若きヨハン・エルンスト公の作品ということになっている。この人は1715年にすでに19歳で死んでおり、この作品が15歳以前に作曲されたものとは思えないので、このことからバッハの編曲の成立は、ほぼ1711~14年とされる。この青年作曲家エルンスト公はJ. G. ヴァルターの弟子であり、テーレマンとマッテゾーンによって高く評価された。彼の協奏曲は、愛らしい、そして自然な旋律をもち、ヴィヴァルディよりもむしろヴァルターの特徴を示している。そして終楽章は陽気な喧騒以外のなにものでもない。
 バッハは第1楽章で、トゥッティの個所をオーバーヴェルクに、ソロをリュックポジティフに割り当てている。第2楽章ではリュックポジティフは<forte>の旋律を、オーバーヴェルクは伴奏を受けもつ。第1楽章中の2重足鍵盤書法は、本来、不必要である。というのは、左手が楽にテノールを弾くことができるからである。おそらくこの声部は、便宜上の理由から足鍵盤パートに記譜されたのであろう。

演奏: テンポは第1楽章は四分音符=96、第2楽章は四分音符=76、第3楽章は四分音符=104がよい。両端楽章は明るく、かるいプレーヌムで、第2楽章はフルー・ストップからなる定旋律用レジストレーションで演奏するとよい。



http://www.geocities.jp/choka_lute/bwv592-596.972-987.htm より引用

オルガン独奏のための編曲協奏曲 BWV592-596

成立年代 1713-14


解説 

バッハにとってイタリア音楽の影響は極めて大きいものですが、ヴィヴァルディの音楽ほど決定的なものは他にないでしょう。

若い頃、バッハが仕えていたヴァイマール宮廷の分家、直接の雇い主の甥に、ヨハン・エルンストという公子がいました。バッハはその音楽教師を務めていましたが、その期間、公子はグランド・ツアー(貴族がよくやるヨーロッパ諸国巡り)を行い、オランダはアムステルダムで触れたイタリア音楽に感激して帰ってきます。公子はイタリア音楽の楽譜を大量に持ち帰ったのみならず、イタリア式の協奏曲がアムステルダムにおいて、オルガンなどの鍵盤楽器に編曲して弾かれている、という実態の証言もしています。そして、持ち帰った楽譜をバッハに示し、同様の試みを命じました

こうして生まれた、ヴィヴァルディのコンチェルトを中心とした、編曲協奏曲はクラヴィーア、オルガンによるものを含め、実に22曲にのぼり、バッハがイタリア式のコンチェルトを、いやおう無く自家薬籠中にしていったことが伺えます。

そのもととなった協奏曲のほとんどは、急--急の3楽章形式で、両端はトゥッティとソロの交代がある、典型的なリトルネッロ形式、俗に「ヴィヴァルディタイプ」と呼ばれるものです。(これを理解するには、ヴィヴァルディの「調和の霊感 作品3」を聴くのが一番よいと思います。)ちなみに、その編曲の内訳はオルガン用が5曲(ヴィヴァルディ3、エルンスト公子2)クラヴィーア用が17曲(ヴィヴァルディ6、エルンスト公子3、A.マルチェッロ1、B.マルチェッロ1、トレッリ1、テレマン1、原曲不明3)と」なっています。

 

この中でも、特にA.マルチェッロのオーボエ協奏曲は、緩徐楽章が映画などにも用いられており有名で、

同曲がバッハの手になる編曲で聴けるのは嬉しいことです。


 

Wikipedia: オルガン協奏曲 (バッハ) より引用

オルガン協奏曲は、ヨハン・ゼバスティアン・バッハが作曲したオルガンのための独奏曲。全6曲が存在する。オルガンとオーケストラのための協奏曲ではなく、本来他者が作曲した協奏曲をバッハがオルガン独奏曲として編曲したものである。


 本 "These are not really organ music."


概要 [編集]

1708年にバッハはヴァイマルの宮廷にオルガニストとして就職し、1714年にはその宮廷楽長に迎えられ、この地で長く活動を続けた。バッハは主に教会音楽の作曲や演奏を仕事としていたが、一方では宮廷も他のドイツの宮廷の多くがそうであったように、イタリア音楽を非常に愛好し、深く親しんだ。この頃のバッハは当時広くもてはやされていたイタリア音楽に大きな関心を示して熱心に研究し、その影響を採り入れながら自己の作風をはぐくんでいった。そしてバッハは、イタリアの協奏曲のしなやかで、優美な様式にすっかり魅了され、同時にヴァイオリンをはじめとするその旋律楽器のイディオムが、鍵盤楽器と意外に近親性を有している事実にも着目した


バッハは、何曲もの器楽協奏曲を独奏オルガンのために編曲するというユニークな創意を抱いたが、6曲のオルガン協奏曲は、その成果として世に送り出された作品である。原曲は、第1番、第4番がザクセン=ヴァイマル公子ヨハン・エルンストの、第2番、第3番、第5番がアントニオ・ヴィヴァルディの協奏曲である。


なお、ヨハン・エルンスト(1696 - 1715年)という人物は、ザクセン=ヴァイマル公国(en)の君主ヴィルヘルム・エルンスト公(en)の甥にあたり、19歳で死去したが、少年時代から非凡な楽才を発揮し、天才貴公子としてもてはやされた。

 

◇第1番 ト長調 BWV592 [編集]

ヨハン・エルンストの協奏曲を編曲したもの。変化に富んだリズムや明るい旋律などを特色としており、快い魅力を湛えたヴィヴァルディ風の作品になっている。3楽章からなる。

 1楽章 (アレグロ)

 2楽章 グラーヴェ

 3楽章 プレスト

 

◇第2番 イ短調 BWV593 [編集]

ヴィヴァルディの「2つのヴァイオリンのための協奏曲 イ短調」作品38を編曲したもの。原曲のヴァイオリンの特徴が熱した手法でオルガンに移されている。3楽章からなる。

 本 note: ヴィヴァルディ作曲「調和の霊感(幻想の調和)第11番」をバッハがオルガンに編曲した、「オルガン協奏曲 二短調 BWV596


 1楽章 (アレグロ)

 2楽章 アダージョ

 3楽章 アレグロ

 

◇第3番 ハ長調 BWV594 [編集]

ヴィヴァルディの作品75を編曲したもの。原曲はほとんど演奏される機会がない。3楽章からなる。

 1楽章 (アレグロ)

 2楽章 レチタティーヴォ(アダージョ)

 3楽章 アレグロ

 

◇第4番 ハ長調 BWV595 [編集]

ヨハン・エルンストの作品を編曲したもの。単一楽章で、ソロとトゥッティの交付が非常に華やかに行なわれている。

 (速度指定なし)

 

◇第5番 ニ短調 BWV596 [編集]

ヴィヴァルディの作品311を編曲したもの。以前はバッハの長男であるヴィルヘルム・フリーデマン・バッハの作品と考えられていたが、後にJS・バッハの作品と判明した。4楽章からなる。

 1楽章 (アレグロ―グラーヴェ)

 2楽章 フーガ

 3楽章 ラルゴ

 4楽章 フィナーレ(アレグロ)

 

◇第6番 変ホ長調 BWV597 [編集]

原曲が不明である他、偽作の疑いももたれている作品である。2楽章からなる。

 1楽章 (速度指定なし)

 2楽章 ジーグ



http://blogs.yahoo.co.jp/tiento_antiguo/52926522.html より引用

きょうは、バッハのオルガン編曲作品『協奏曲 ト長調』BWV592を聴いています。

演奏はブリリアント盤155CDボックス『Bach Edition(バッハ大全集)』の収められたハンス=ファギウス

によるものです(CD -3)。

 

本曲はバッハのヴァイマル時代(171314年ころ、2829歳ころ)に、他の作曲者の手になる協奏曲をオルガン独奏用に編曲したもので、BWV593596(オルガン独奏による協奏曲編曲)、BWV972987(チェ ンバロ独奏による協奏曲編曲)と同時期に成立しました。バッハが仕えたヴァイマルの領主の甥に当たるヨーハン=エルンスト公子が留学先のオランダからヴァ イマルに帰ってきた際、ヴィヴァルディの『調和の霊感』(アムステルダムで出版)などイタリアの作曲家が書いた独奏楽器と弦楽のための協奏曲の楽譜を持ち 帰ったのですが、公子はアムステルダム新教会のオルガン奏者ヤン=ヤーコプ=デ=グラッフ(1702/371)の演奏に接したことがきっかけとなり、協奏曲を鍵盤の独奏で演奏することに強い興味を覚え、自身の師匠に当たるバッハとヨーハン=ゴットフリート=ヴァルター(16841748)に持ち帰った協奏曲と公子自作の協奏曲の編曲を依頼したことが、これら一連の協奏曲編曲作品が成立したいきさつです。このことについては、また以前のBWV972の記事を参照下さい。

 

本 曲はヨーハン=エルンスト公子の自作である『ヴァイオリン協奏曲』の編曲です。第一楽章(テンポ指示なし、あるいはアレグロ)は総奏による主題がリトル ネッロ形式により繰り返され、その間を縫って三連を主とする独奏が現れる、明るくて快活な曲調です。ペダルがダブルになることも注目すべきでしょうか。第 二楽章(グラーヴェ)はフランス風の付点リズムと装飾のトリルが印象的。第三楽章(プレスト)はリズミカルで、16分を主とする独奏の激しく活発な動きがもともとヴァイオリンの独奏パートであったことを思い出さずにはいられません。

楽譜はコチラから(DL面倒くさいです)。

 

 本 note: そういえば、この曲は調性の問題だけでなくBWV541にとても似ている。この極にもイタリアの影響があるらしい


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BWV564 

トッカータ、アダージョとフーガ ハ長調


 

http://blogs.yahoo.co.jp/tiento_antiguo/51779572.html より引用

きょうは、バッハのオルガン曲『トッカータ、アダージョとフーガ ハ長調』BWV564を聴いています。

演奏はトン=コープマン(アルヒーフ・レーベル、1983年録音)です。

ヴァイマル時代の1713-17年(28-32歳)に書かれた三つの部分から成る大曲で、中間部に置かれた

「アダージョ」に象徴されるように、いかにもイタリア的な協奏曲の薫りを芬々と感じさせる楽曲ですよね。

東京書籍『バッハ事典』によれば、この作品は「北ドイツの伝統的様式と、新しいイタリア協奏曲様式の融合」とのことです。

 

技巧的な手鍵盤による速いパッセージにペダルによる重厚なソロ、そして手鍵盤とペダルが絡みつく

豪快な「トッカータ」、叙情的でカンタービレな「アダージョ」、終始活発な動きを見せる「フーガ」、

いずれをとっても素晴らしい内容です。



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BWV579 

フーガ ロ短調(コレルリの主題による)


http://blogs.yahoo.co.jp/tiento_antiguo/52860285.html より引用

「フーガ ロ短調」BWV579

 

きょうは、バッハのオルガン曲「フーガ ロ短調(コレッリの主題による)」BWV579を聴いています。

演奏はブリリアント盤155CDボックス『Bach Edition(バッハ大全集)』に収められたハンス=ファギウス

によるものです(CD -12)。

 

本曲はバッハのヴァイマル時代(170817年、2332歳ころ)に成立し、イタリアのヴァイオリン奏者で

作曲家のアルカンジェロ=コレッリ(16531713の手になる『12のトリオ・ソナタ集』作品31689年出版)

4曲の第二楽章「ヴィヴァーチェ」の二重フーガに基づく作品です。原曲は短い(39節)ですが、本曲は

倍以上に拡大されています(102小節)。ヴァイマル時代における「イタリア体験」の産物のようです。

インパクトはあまり感じられない曲ですが、「充実したオルガン曲に仕上げられている」(東京書籍『バッハ

事典』)のだそうです。





http://www.geocities.jp/mani359/2mei0612bachhuge.html より引用

バッハはオルガンのための独立したフーガを数曲書きましたが、そのほとんどはヴァイマー

ル時代およびそれ以前の作品です。そのなかには、レグレンツィの主題によるもの(BW

V574)やコレルリの主題に基づく曲(BWV579)が含まれるだけでなく、全体として当

時のイタリア様式を研究したあとが見られます。そして、この曲(BWV578)もその一つなのです。




http://blog.goo.ne.jp/aeternitas/e/cd28e5fd94eb927fcba0895e75e44506 より引用

これからきくBWV579は、アルカンジェロ・コレッリの主題によるフーガ。「ヴァイマル時代におけるイタリア音楽研究の成果を示すもの」(『バッハ事典』)とされていますが、偽作説もあるようです。演奏はいつものようにヴァルヒャで、このBWV579をきくと、「BACH The Organ Works」の5枚目も終了です。



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BWV548

前奏曲とフーガ ホ短調 

 


Wikipedia: 前奏曲とフーガ BWV548 より引用


前奏曲とフーガ ホ短調(Präludium und Fuge e-MollBWV548は、ヨハン・ゼバスティアン・バッハが作曲したオルガン曲。『楔(くさび)』という渾名が与えられている。


概要 [編集]

ライプツィヒ時代の1725年から1728年にかけて作曲されたオルガン曲で、またバッハの後期における最もすぐれたオルガン曲の一つとしても知られる。ヴァイマール時代以降、バッハはオルガン曲を作曲する際にイタリア・バロックの巨匠らの様式を取り入れているが、前奏曲では協奏曲のような華やかな効果を出す手法が巧みに織り込まれ、イタリア風協奏曲の構成原理を含ませている。それゆえ前奏曲は厳格な書法で書かれている。4声で進行するフーガはジグザグした主題が次第に音程を拡大していく(E-D#-F#-D-G#-C#-A-C-A#)が、イギリスではこのフーガを『楔(The wedge)』と呼んでいる。






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BWV532

プレリュードとフーガ ニ長調


■http://musicarena.exblog.jp/7404099/ より引用

前奏曲はファンファーレ調のペダル音階で始まるが、これは当時は稀で、この種のパッセージはN.ブルーンスの「前奏曲とフーガ ト短調」に見られる程度。続くペダルのFisによるオルゲルプンクト上にロ短調の情熱的な旋律が表れ、再びニ長調のパッセージからアラ・ブレーヴェに続 く。コレルリを想起させる南方的な明朗さ、平静さを持つ進行が2重ペダルのレチタティーボ風終結部によってフーガに繋がる。このフーガはバッハが調律上探 求したとされるシャープ調での転調が見られ、ニ長調からロ短調へ、更には当時ではまず用いられなかった嬰へ短調、嬰ハ短調にまで達する。またホ長調からニ 長調への復帰にイ長調を経由する。燦然たるペダルのカデンツァがこの荘厳な曲の最後を飾る。




■http://www.geocities.jp/choka_lute/bwv532.htm より引用
ヴァイマール時代の作品で、若きバッハの代表作の一つです。
ペダルの凄まじい足捌きが有名だったバッハですが、この曲のペダルの豪快な使用法は確かに常軌を逸したものがあります。
当時の聴衆の感嘆する姿が目に浮かぶようです。

プレリュードは、その大胆なペダルの上昇音階で始まります。
これはいかにも北ドイツ風ですが、構成はフランス様式そのもの。
「アラ・ブレーヴェ」と題された中間部はイタリア、フレスコバルディのカンツォーナを彷彿とさせる書法です。
20歳台前半のバッハが、ヨーロッパ諸国のオルガン音楽をすでに自家薬籠中のものにしていたことを窺わせます。
パッヘルベル(中部ドイツ)の作品を基にしたフーガも、また非常に風変わりなものです。
音符の細かい、音階的な主題とその追走は、とてもスピード感、推進力のあるもので、
一般的にはあまり認識されていない、
バッハの音楽の魅力の大きな一端を担う「心地良いリズム感」が最もよく表れていると思います。
ここでも、オブリガート声部を担うペダルの役割は驚嘆すべきもので、一度弾いている姿を横から見てみたいですね。
プレリュード、フーガともに技巧的で明朗快活なこの曲をぜひ聴いてみてください。


・・・・

ジャック・ファン・オールトメルセン

プレリュードの中間部は思い切ってストップを管楽器風の大人しいものにしていますが、
いかにもフレスコバルディという感じ




■http://blogs.yahoo.co.jp/tiento_antiguo/52672723.html より引用
きのうは、バッハのオルガン曲「プレリュードとフーガ ニ長調」BWV532を聴いていました。
演奏はブリリアント盤155CDボックス『Bach Edition(バッハ大全集)』の収められたハンス=ファギウス
によるものです(CD Ⅵ-3)。

本曲はバッハのヴァイマル時代の初期(1710年ころ、25歳ころ)に成立しただろうと推測され、若きバッハの代表的作品の一つに数えられるそうです(東京書籍『バッハ事典』)。
「プレリュード」は豪壮で重厚な冒頭部、フレスコバルディ風の速くて軽快な「アラ・ブレーヴェ」、転じて速度を落として荘厳な「アダージョ」の三つの部分に分かれています。パッヘルベルの作品を手本としたとされる「フーガ」は、16分音符の細かいフレーズが左手で奏されたのち、右手やペダルで模倣されていく、やや速いテンポ運びの展開で進行します。ちなみにフレスコバルディはフローベルガーがその学風を受け継いだことから、南ドイツ(・オルガン)楽派の始祖とされますが、パッヘルベルも同じく南ドイツ楽派に属するということで、バッハのこのBWV532はその影響下に作られたのでしょうか?
ともあれ、BWV531同様、若きバッハの熱気を感じさせるカッコ良い楽曲なのは疑いないところです。



■http://blog.goo.ne.jp/kalkant/c/f55f8f1b1bc5dd0617aa0c5309e3dade より引用

本公演で使用されるポジティフオルガン
Giovanni Pradella Bottega Organara2010年製作 北イタリアバロック様式ポジティフオルガン
(Carlo Prati17世紀半ば製作の楽器に基づく)
5ストップ(Principale, Ottava, Decimaquinta, Flauto XII, Fiffaro)
音域:CDEFGA-c’’’
石井賢所有

17世紀当時の建造法による、日本では極めて希少な歴史的イタリア様式のオルガン。
風圧が低く開管主体の笛から繰り出されるイタリアのオルガンの音はヨーロッパの他の地域の楽器に比べて非常に明るく、その「歌い回し」は豊かな魅力に溢れている
その特性ゆえに、独奏曲のみならずイタリア語やラテン語をテクストとした声楽曲の演奏に特に相応しい



■ヘルマン・ケラー「バッハのオルガン作品」p.126~ より引用
イタリア音楽の模範による習作
バッハは、同時代のイタリアの管弦楽の研究をしていた時期とほぼ同じころに、フランス音楽とより古い時代のイタリア音楽の研究を進めていた。彼はグリニイGrignyの「オルガン曲集」を自分自身のために書き写した(それがすでにリューネブルクでなされたであろうというテリーの推測は支持できない。というのは、「オルガン曲集」は1712年にはじめて出版されたからである)。そして、ミサのさいにカトリックのオルガニストが使うために1635年に出版されたフレスコバルディの有名な「音楽の花々」を、バッハは1714年ごろに手に入れている。これらの音楽をバッハが研究したことから生まれた直接の産物とみなされるのが次の曲である。(BWV588、589、579、578、572、590)

イタリア様式の変遷の影響を受けた作品
以下の部分では、形式構造と音楽語法の点でイタリア音楽の影響がみられるが、同時に、伝統的なドイツの様式上の要素を捨ててはいない作品をまとめることにする。したがって、各局の細部では、しばしば相矛盾した印象を受けることになろう。これは、とくにつぎの曲(BWV564)に感じられる。




http://www.g-note.org/note/index.php?itemid=4412&catid=9 より引用

日本でよく見かけるパイプオルガンという楽器に関するステレオタイプの一つは、華麗で荘厳、圧倒的な響きといった印象ではないだろうか。大聖堂の豊かな残響とともに聞かれる、キリスト教音楽文化の一つの典型。響き渡る金属質の高音とブガブガというラッパのような低音。オペラ座の怪人が夜な夜な即興でパッサカリアを奏でる楽器、等々。こうしたイメージは、当然繊細な耳を持った音楽好きを、この楽器から遠ざける契機ともなるだろう。

 

このようなステレオタイプの要因の一つは、19世紀ヨーロッパにおけるオルガン近代化にある。パイプオルガンの歴史は非常に古く、ルネッサンス音楽発祥の地イタリアの諸都市、ミラノ、ヴェネツィア、ボローニャ、フィレンツェ、シエナ、パドヴァなどには、すでに1400年代からパイプオルガンが存在していたという記録が残されている。16世紀から17世紀にかけて、イタリアだけでなく、イベリア半島、フランス、スイス、オーストリア、ドイツ、ベルギー、オランダ、デンマーク、スカンディナビア半島、イギリス、ロシアなど、ヨーロッパ中にこの楽器は広がっていった。19世紀に入って、規格化された工業製品になってしまう以前のパイプオルガンは、響きの点でその地方特有の個性を持っていただけでなく、ルネッサンス、バロック期の音律(ミーントーンに代表される不均等音律)に従って調律されていた。中世以来、パイプオルガンが教会に設置されるものであり、教会の典礼と切り離せないことは事実だが、たとえば1617世紀に制作されたイタリアのオルガンの中には片田舎のごく小さな教会のために作られたものも多く、幸いにも現存するそれらの響きを聴くと、素朴な村の人々の、少人数の歌のために設計された楽器であることがよくわかる。大伽藍に朗々と響き渡る音というイメージとはまったく別物である*1


椎名氏が奏でるアーレント・オルガンは、テノール・ソロを圧することはまったくなく、対等に調和するのである。かと思えば、マニフィカート・フーガやハ長 調の前奏曲とフーガでは、鮮烈きわまりない色彩感に富んだ音色を響かせる。しかしこれも大合唱でなく、マドリガーレのような少人数の歌を思わせる、柔らか く、にもかかわらず芯の通った響きである。この音を何としても絶やしてはならないと私は思った。



http://organvita.exblog.jp/14482328/ より引用

もう一台はこちらのポジティフ・オルガン。

ウワサに聞いていた気になる工房の楽器。

ウワサどおり、素晴らしいオルガンでした。オルガンが自由に歌ってくれてる感覚。

小さいオルガンの制作って、とても難しいんですよ。

少ないストップ、狭い箱の中で、色んな要素を持っていたいですからね

なかなかこういう素晴らしいポジティフには出会えません。

Bordone 8がプリンシパルみたいな音を出してくれます。

 

オルガン:

W.キナリア Walter Chinaglia di Cermenate (CO) 2007年制作

3ストップ(Bordone 8', Flauto 4', Decimaquinta 2'

 

 

 

http://organvita.exblog.jp/9683591/ より引用

このザニン・オルガンの左側の方の楽器は、12フィートが基準。

どういうことかというと、オルガンは普通、下のドの音から始まるが、この楽器は更に5度下のファから始まっている。(写真でみてください)

これだけのことだけど、それによって、一段しかない小さなこういう楽器でも、手の位置を一オクターブ上げ下げしたり、選ぶストップによって使える音色と音域がぐっと広がるから便利。古いオルガンにたまに見られる。

 

 

http://www.tokyo.catholic.jp/text/cathedral/organcathe.htm より引用

東京カテドラルのオルガン マショーニ・オルガン Op.1165

2004年に新設されたイタリア製のマショーニ・オルガン

 現代建築の記念碑ともいえるこの大聖堂に2004年に新しいオルガンが設置されたことで、聖堂内部は完全なものになったといえるだろう。オルガンは、日本では珍しく信者席の後方のバルコニーに設置されている。ここでは、オルガンはコンサートホールとは異なる空間のもとに本来の宗教的かつ霊的な音楽が奏でられる。音色はクリアで濁りがなく、聖堂の長い残響の中でも美しく響く。歴史的なオルガン建造の伝統を反映しつつ、典礼だけでなく演奏会でも使用されることを考慮に入れた楽器である。

 ポジティフ鍵盤にはイタリア独特のストップが備わっており、これはアンテニャーティ(訳註・北イタリアで15001650年頃活躍したオルガン製作家一族)の寸法を参考に設計されたもので、整音には特別な注意を払った。

 

Grand Organo
第二鍵盤 グランドオルガノ

1. Principale 16’
2. Principale 8’
3. Ottava 4’
4. Quinta 2.2/3’
5. Ottava 2’
6. Mistura Ⅴ 2’
7. Cimbalo Ⅲ 2/3’
8. Flauto a camino 8’
9. Flauto a cuspide 4’
10. Nazardo 2.2/3’
11. Terza 1.3/5’
12. Tromba 8’ 26. Tremolo
13. カプラー Ⅲ―Ⅱ  
14. カプラー Ⅰ―Ⅱ


Positivo
第一鍵盤 ポジティーボ(リュック型)
(15-20はイタリア独特の音栓)

15. Principale italiano 8’
16. Ottava 4’
17. Decimaquinta 2’
18. Decimanona 1.1/3’
19. Flauto in ottava 4’
20. Voce Umana (DO25~) 8'

21. Bordone 8’
22. Principale 4’
23. Sesquialtera Ⅱ 2.2/3’
24. Ripieno Ⅲ 2’
25. Cromorno 8’

 

http://www.keiko-i.com/msg/127.html より引用

清里聖アンデレ教会。

こうしたこの地を開拓した人々のことや歴史を感じる会堂の正面右手に設置されている オルガンは、辻宏さん製作のイタリアン・バロック・オルガン。1段鍵盤で6ストップ、ペダルは1オクターブしかない。 とても小さい可愛らしいオルガンだが、この会堂にとてもマッチしている。 見たところ短い鍵盤でさぞかし弾きにくいだろうと思ったが、リハーサルをしているうちに、 オルガンと呼吸が合い歌うオルガンに変わっていく。辻さんのオルガンはいつも裏切ることなく奏者に答えてくれる 楽器だ。2005年に亡くなられたが、辻さんのお姿を想像し、またオルガンへ込められたポリシーを 感じながら演奏する私でした。高原に響くオルガンの音は爽やかに澄んで美しく、私もエンジョイ♪。

 


 

■http://www.okadamakiko.jp/essay/essay_18.html より引用

岐阜県美術館オルガンコンサート

 岐阜県は、フィレンツェ、ピストイアと姉妹都市の関係があることから、イタリア式オルガンが設置されている数少ない県です。

 オルガンを製作したのは、岐阜県に工房を持つ辻宏氏です。この美術館が開館したのが1982年、この美術館にオルガンが設置されたのが1984年とのこ とです。ヨーロッパの古いオルガンの修復を数多く手がけている辻氏が、ピストイアにあるサンタ・マリア・デレ・グラーツィエのオルガンを原型として、綿密 な調査、測定を重ね、オルガンの外側の彫刻に至るまで、丁寧に複製したものなのだそうです。

 

 そもそも、イタリア式のオルガンとは、どういうものなのかという疑問をお持ちの方がおられるでしょう。オルガン製作上の詳しいことはとても説明できませんので、一般的なことだけ申し上げますと、まず、写真をご覧頂いてもおわかりのように、規模が小さいということです。殆ど1段鍵盤で、ストップはプリンツィパル系が中心です。このプリンツィパルの音が特徴があり、また美しいので、他のストップが必要ないと思われるほどです。また、ペダル(足鍵盤)で一つの声部を演奏してしまうドイツのオルガン曲とはまるで異なり、低音をさらに深く彩るように補強する役目としてペダルを用いる曲が多いので、鍵盤の左側に1オクターブだけペダルが付いているオルガンもあります。美術館のはそうですし、私がイタリアで接したオルガンもそのタイプが多かったです。

 オルガンが設置してあるのは、美術館の多目的ホールで、オルガン以外の三つの壁面にはミケランジェロの彫刻のレプリカが一体ずつ置かれています。天井高く、オルガンの響きが心地よく鳴りわたる空間でリハーサルをしている時、2月に弾いたイタリアの教会での響きを思い出しました。その響きには及ばなくとも、これだけのイタリアオルガンとその響きを味わえる空間が日本にあったことを大変嬉しく思いました。と同時に、大オルガンがゴロゴロ存在する東京に、このような空間のないこと(私が知らないだけ?)が残念に思われました。イタリアオルガンの響きと、イタリアの古い音楽がどんなに素晴らしくとも、それを味わえる空間がなければ、聴いたことのない方に、ご存知ない方に、ふれていただくことができないわけですから。




http://organvita.exblog.jp/12386235/ より引用

典型的なイタリアオルガンの演奏台。(↑)

1段鍵盤+ペダル。

ペダルボードは、奥がぐっとせり上がった形。1オクターブ半しかありませんが、

実際にはもっと少ない。何故かというと・・・この先、オタクの方は読んでください。

でなければ、読み飛ばしてね(^^)

 

この「ファ」のペダルは、音が鳴るのではなく、「テルツァ・マーノ(3つ目の手) terza

mano」というスイッチ。これを踏み込むと、手鍵盤で弾いている音の1オクターブ上が

勝手に連動して弾いてくれる。F.リストのオクターブの超絶技巧なんか、このスイッチがピアノに付いてれば楽チンなのに。


 本 note: 11/06 Bach CanzonaでNazarのかわりとしてTerzをつかった

 

こちら(↓)はストップ。音色を選ぶところ。

普通ストップは、手前に引っ張る鍵型が一般的だけど、イタリアにはこういう、左に移動させるストップシステムが多い。移動させてから溝にカクっと、はめ込みます。




http://19255985.at.webry.info/ より引用

ヨーロッパでは国民国家が成立し、お国柄の反映した特徴的なオルガンが発達しました。また音楽も地域によりさまざまな特徴を持つ曲が書かれるようになり、オルガン音楽もその影響を受けました。
一般的にアルプスの北の諸国は比較的相互に交流がありましたが、、それを取り巻くイタリア、スペイン、イギリスなどでは交流がとぼしかったと言え、作曲家たちにもその影響がみられます。

また、宗教改革の結果、宗派によるオルガンの使用についての見解や礼拝で用いる音楽に違いが生じ、ラテン系のカトリック諸国とルター派を中心とするプロテスタント諸国では、用いられる音楽が大きく異なることとなりました
今回はカトリック諸国であるフランス、スペイン、イタリア
のオルガン音楽を探っていきます。


■http://www.minakotsukatani.com/toribia2.pdf より引用

パイプオルガンのトリビア

 今回は、バッハとアムステルダムの素敵なトリビアを紹介します。
 若き日のバッハがドイツのワイマールで宮廷楽長と教会オルガニストを務めていた頃(1708~1717)の話です。若きバッハの雇い主だったヨハン・エルンスト公がこの不思議な縁をつくりました。自ら演奏・作曲も手がけたヨハン・エルンスト公は音楽好きが高じて、1711年から1713年までユトレヒト大学に留学してしまった人物でした。ユトレヒトは既にありとあらゆる音楽文化が堪能できる都市だったのですね。留学生エルンスト公も、ユトレヒトからアムステルダムへも馬車で出かけたことでしょう。

 ここで予備知識。バッハが活躍した18世紀の流行の最先端といえば「イタリア」。当然音楽もイタリアものが格好良かったわけで、ヴィヴァルディの協奏曲や管弦楽曲が超お洒落だったのです。ワイマールにもこんな洒落た音楽が欲しい、自分でも演奏してみたい…!早馬でワイマールの宮廷のバッハのもとにエルンスト公から熱烈な手紙が届くのです。「(アムステルダムで流行っている)パイプオルガンのための協奏曲を作曲して欲しい」と。

 私たち日本人が西洋の文化やファッションに憧れるように、ドイツだけでなくヨーロッパ中の人々がイタリアに憧れを抱いたのですね。当時は飛行機でちょっと観光に…とはいきません。バッハはヴィヴァルディや自作、そしてエルンスト公が作曲した協奏曲を20曲余りオルガン曲に仕立て直ししました。私もバッハのオルガン協奏曲をCDに収録しましたし、演奏会でもよく弾く曲なのですが軽やかな聴き心地とは裏腹に超絶技法が…(苦笑)。でもバッハの協奏曲は私のお気に入りの曲のひとつです。

 閑話休題。バッハの協奏曲の例に見るように、パイプオルガンではいろんなジャンルの音楽を表現することが出来ます。アフリカの音楽にジャズのリズムを取り入れた楽しいオルガンの曲が沢山作曲されています。

 読者のみなさんは少し不思議に思うかもしれませんが、耳慣れた旋律やノリのいい音楽をパイプオルガン作品として「仕立て直し」することによって、パイプオルガンそのものの魅力を、聴いて下さる皆さんにより深く(かつ気軽に)味わってもらうことができるからでしょう。

 オランダ国歌を写真のような壮大なパイプオルガンをつかってストリートオルガンのような音色で演奏することも出来るし、バースデーソングでもいいし、ビートルズでもABBAでもポニョでもいいのです。ちなみに私なら日本の旋律をパイプオルガンの演奏に取りこみたいところ。



■http://www.city.habikino.lg.jp/lic/info/org_kikou/kikou18.html より引用

パイプオルガン紀行 No.18 「オルガン音楽4

 

イタリアのヴェネツィアには「サン・マルコ寺院」があり、そこの教会には2台のオルガンが備え付けられています。

16世紀後半、C.メルーロ、A.ガブリエリ、G.ガブリエリがそこの教会オルガニストとして活躍していました

当時、ヴェネツィアがヨーロッパ音楽の中心地で、各国から優秀な音楽家が集まってきていました。

他には、理論家としても重要なG.ディルータ、そしてローマの「サン・ピエトロ寺院」のオルガニストを務めたG.フレスコバルディは、イタリア・オルガン音楽の最高峰に位置付けられます。

1635年に出版された彼の「音楽の花束」という曲集は、グレゴリア聖歌に基づくミサ曲ですが、単純な形の中にすばらしい色彩と変化をもった傑作です。

彼以降、イタリアのオルガン音楽は衰退していきますが、16世紀にイタリアで創られたトッカータやリチュルカーレなどの形式は、近隣諸国に伝わって発展していきました。

 

情報誌「びっくりっく」 平成1510月号に掲載



■http://www.hmv.co.jp/artist_%E3%83%90%E3%83%83%E3%83%8F%EF%BC%881685-1750%EF%BC%89_000000000002339/item_%E3%80%8E%E3%83%90%E3%83%83%E3%83%8F%E3%81%A8%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%80%9C%E3%82%AA%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%B3%E4%BD%9C%E5%93%81%E9%9B%86%E3%80%8F%E3%80%80%E5%90%89%E7%94%B0%E6%84%9B_3835893 より引用

実力派オルガニスト吉田愛

トッカータ、アダージョとフーガを含む

イタリア音楽に感化されたJ.S.バッハのオルガン曲集

 

生涯ドイツを離れることのなかったバッハですが、海外からドイツを訪れる芸術家との交流や、ヨーロッパ各地で出版、写譜された楽譜を手に入れることにより、同時代の様々な国の作品を研究し、自ら音楽に積極的に取り入れ発展させていきました。とりわけバッハが強く感化されたのはイタリアの音楽でした。そのイタリアらしい明るい音楽をバッハは絶妙に作曲・編曲されております。このCDには、バッハがヴァイマール時代に作曲した数多くの鍵盤作品を中心にイタリアに繋がる曲を収録されております。

 バッハは様々な作曲家の曲の編曲を残しておりますが、ただ編曲するのではなく、基の素材を上手く調整し直し、新たな作品を生み出しました。例えば、前奏曲とフーガ ト長調のフーガはヴィヴァルディ作曲『調和の霊感』作品3-11/IIIの主題をもとに作曲され、またヨハン・エルンスト公子[1696-1715]作曲の合奏協奏曲をオルガン編曲した協奏曲ト長調では原曲での合奏とソロの部分の対比を、オルガンの2段の鍵盤を使い分けることで模倣しております。




http://www.janjanblog.com/archives/53599 より引用

吉田愛のオルガン演奏会を聴く:ドイツとイタリアを対比

 

◇第2部ではイタリア人作曲家5人の作品が

プログラム第2部では、16世紀から18世紀にわたるイタリア人作曲家5人の作品8曲が演奏された。演奏者の解説によれば、ドロミテ(北イタリアの山岳景勝地)をドイツからイタリアへ一つ越えただけで、こうも人が違うのかと思うほどイタリア人は明るく陽気で、それが音楽にも反映されているという。今回の作曲家5人については、イタリア各地からご登場願ったとのこと。面白い趣向(プログラム構成)である。

 

ロンバルディア風ガイアルダ           A.ヴァレンテ(ca.1530-ca.1600

カンツォン 第12番                    


「きれいなオルガニストのお姉さん」エコーで     A.バンキェーリ(1568-1634


舞曲/戦いの舞曲(の2曲)               B.ストラーチェ(1637-1707

エルヴァツィオーネ               D.ズィポリ(1688-1726

ソナタ ハ長調 アレグロ・アッサイ/ソナタ 変ロ長調 アレグロ/ソナタ へ長調 アレグロ(の3曲)          A.ルケージ(1741-1801

 

最初に演奏された「ロンバルディア風ガイアルダ」の「ガイアルダ」とは、当時流行していた3拍子の舞曲だという。第2部のどの曲もさすがはイタリアの曲、明るく華麗な旋律で、何とも快い響きであった。プログラムが作曲家の時代順になっていることも、観賞の手引きとしてあり難かった。そのお陰でイタリアにおける音楽の変遷を感じ取ることができたようである。

 

◇イタリア人作曲家5人の出身地は

A.ヴァレンテ(ca.1530-ca.1600)はナポリの人、

A.バンキェーリ(1568-1634)はボローニアの人、

B.ストラーチェ(1637-1707)はシチリアの人、

D.ズィポリ(1688-1726)はフィレンツェの人、

A. ルケージ(1741-1801)はヴェネチアの人だという。

作曲家をイタリア各地から採り上げた点は、なんとも心憎い構成である。



D.ズィポリ(1688-1726)は、フィレンツェの人でもともとは宣教師であったが、アメリカ大陸に渡り、司祭になろうとした。しかし不幸にもそうなる(筈の)直前に亡くなった人物であるという。最近、現地での作品が発見され、注目を集めているのだそうである

 

A.ルケージ(1741-1801)は、15歳のモーツアルトがイタリアを訪れた時に、彼にピアノコンチェルトを献呈したとのこと。また1774年にはドイツのボンへ。そこではベートーベンが11歳から21歳まで彼のアシスタントをしていたのだそうである。私は、この解説を聞きながら、ベートーベンの中ではオルガンと交響曲が誰よりも重なりあっていたのだと思った。

 

「舞曲/戦いの舞曲(の2曲)」では、私にはパンフルートやドラムの音が聞こえたように感じられた。「ソナタ ハ長調 アレグロ・アッサイ」ではホルンの音、「ソナタ 変ロ長調 アレグロ」ではオーボエやピッコロの音、「ソナタ へ長調 アレグロ」ではオーケストラの響きが聞こえたように感じられた。



■www.lib.geidai.ac.jp/MPHD/hakuon67.pdf より引用

15世紀末から、イタリアにおける盛期ルネサンスの芸術文化の拠点はヴェネツィアであった。

音楽においては、ヴィラールトやザルリーノ、ドナーティといったサン・マルコ寺院の楽長や、

ビュース、パドヴァーノ、メールロ、アンドレアおよびジョヴァンニ・ガブリエリといったオル

ガニスト達の働きによって大きな変革を遂げた時代である。彼らのオルガン作品はヴェネツィア

で出版され、今日もしばしば演奏されている。それらの作品は、イタリアオルガン音楽史を語る

上で重要な位置を占めることから、初期イタリア鍵盤曲集として出版される楽譜に、必ずと言っ

ても過言ではないほど数曲含まれる。しかしそれらの曲集は、1500年から1600年代中頃のフレス

コバルディの作品までを包含してしまっており、解説などでは音楽様式の変化の経緯や地域的な

特徴に触れられることが少ない。



■ http://www.city.habikino.lg.jp/lic/info/org_kikou/kikou17.html より引用
パイプオルガン紀行 No.17 「オルガン音楽3」

イタリアはルネサンスの中心地であり、そのオルガン音楽は15~16世紀にかけて栄えました。
ドイツやフランスのオルガンが17世紀~18世紀に全盛期を迎える1世紀以上も前のことです。
オペラやカンツォーネの国であるイタリアでは、オルガンも声楽的な性格を持っています。
ローマカトリック教会は、合唱音楽の中心地でもあり、そこで用いられる楽器としても声と調和する音色が望まれました。
イタリアのオルガンは、あくまで教会の典礼から離れなかったこと、そして地方の特色を大切にしたことから、純粋ではあるが保守的であり、オルガン音楽の中心地はドイツ・フランスへと移行していきました。
イタリアには戦禍を免れた楽器が比較的多く残っています。
歴史的に重要なオルガン製作者の一族としては「アンテニャティ家」(16~17世紀)と「セラッシ家」(18~19世紀)があります。
両家は共に、ロンバルディア地方のブレッシァを中心に活躍した一族です。

Girolamo Frescobaldi(1583~1643)
ジローラモ・フレスコバルディ


IMSLP , Wikipedia [J] , Wikipedia [E]


■http://blog.goo.ne.jp/ogawa_j/e/04e196a4fa3b429e6a0697b0840af0b1 より引用
ヨーロッパ各国のオルガン音楽を聴く:(4)ジロラーモ・フレスコバルディのリチェルカーレとカンツォーネ

Girolamo Frescobaldi: Ricercari, et Canzoni Francese
TACTUS TC 58608
演奏:Francesco Tasini (Organo)

ジ ロラーモ・フレスコバルディ(Girolamo Frescobaldi, 1583 - 1643)は、オランダのスウェーリンクとともに、17世紀前半に多くの音楽家に影響を与えたオルガニストである。フェラーラで生まれ、ルッツァスコ・ ルッツァスキに教えを受けた。フレスコバルディは1604年までにはローマに行き、1607年にローマのトラストヴェーレ地区のサンタ・マリア教会のオル ガニストに任命されたが、同年にグイド・ベンティヴォーリオ枢機卿に随行してブリュッセルに行き、1年間滞在した後ローマに戻り、枢機卿の推薦でサン・ピ エトロ聖堂のオルガニストに任命された。その職務とともに、ピエトロ・アルドブランディーニ枢機卿など、ローマの貴顕達の音楽家として活動した。1615 年に1年間マントゥアのオルガニスト、1628年から1633年までフィレンツェの宮廷オルガニストをした後、1634年に再びローマのサン・ピエトロ聖 堂のオルガニストに就任した。
 フレスコバルディは、生前に多くの作品集を出版しており、鍵盤楽器のための作品集では1608年から1635年ま でに6つを数える。そのほかにも声楽曲や器楽曲の作品集も出版していた。出版された鍵盤楽器のための作品集の中で特に有名なのは、1635年に出版された 「音楽の花束(Fiori musicali)」である。この作品集は、いわゆる「オルガン・ミサ」の形態を採っており、出版当時には希な存在であったが、その後多くの作曲家がこれ に習うようになった。その影響は、その後の世紀にもおよび、バッハは1714年にこれを筆写しており(この写譜は第2次大戦末期に失われてしまった)、 1725年に出版されたヨハン・ヨーゼフ・フックスの「グラドゥス・アド・パルナッスム」にも引用された。
 フレスコバルディは、多くの弟子を持っていたが、その中で最も重要なのは、ドイツ人のヨハン・ヤーコプ・フローベルガーである。ほかにも多くのドイツ人がフレスコバルディのもとで教えを受けに来ていた。

  今回紹介するCDは、フレスコバルディが1615年に出版した2つの作品集のひとつ、「リチェルカーレとフランス風カンツォーナ(Recercari et canzoni franzese)」を、フランチェスコ・タシーニがボローニャのサン・プロコーロ教区教会のオルガンで演奏したタクトゥス盤である。この作品集は、教会 旋法によるリチェルカーレ10曲と、カンツォーナ5曲からなっている。教会旋法は、グレゴリオ聖歌の基礎となっているもので、当初は4つの正格旋法と4つ の変格旋法からなっていたが、16世紀になってスイスの音楽理論家、ハインリヒ・グラレアン(Heinrich Glarean <Glareanus>, 1488 - 1563)によってさらに2つの正格、変格旋法を加えて12の旋法にすることが提案され、イタリアのジオゼッフォ・ツァルリーノ(Gioseffo Zarlino, 1517 - 1590)などによって広く受け入れられるようになった。この教会旋法の内、第6正格旋法からハ長調が、第5正格旋法からイ短調が生まれたと言われてい る。フレスコバルディは、教会旋法の1から順に1曲ずつのリチェルカーレを作曲しているが、その数は10曲である。これは、16世紀から17世紀にかけて 実践的に確かめられた、第5旋法と第11旋法、第6旋法と第12旋法が同一であるという考え方がその後理論化されたものに基づいている。したがって、リ チェルカーレは第1旋法から第10旋法までの10曲になったのである。
 ボローニャのサン・プロコーロ教区教会のオルガンは、1580年にフェ ラーラのバルダッサッレ・マラミーニ・ディ・チェントによって建造されたもので、その後17世紀、18世紀そして19世紀に改造が加えられた。この録音に 用いられたのは、2009年に修復されたもので、18世紀にガッティ一族によって改修された状態を主として復元されているようだ。62鍵からなる鍵盤は、 修復時に復元されたもので、第1オクターヴはショート・オクターヴである。ペダルは同じくショート・オクターヴの18音である。レギスターはペダル用も併 せて18,ピッチは a” = 440 Hz、中全音音律に調律されている。
 演奏しているフランチェスコ・タシーニは、ボローニャとミラノの音 楽学校で学び、オルガン、チェンバロ、作曲の学位を獲得し、奏者で活動するとともに、17世紀から18世紀のイタリアの作曲家の鍵盤音楽の楽譜の編纂も 行っている。現在フェラーラ-のG. フレスコバルディ音楽院の教師でもある。
 タクトゥスは、イタリアのレーベルで、グレゴリオ聖歌から現代音 楽まで、幅広いレパートリーを有するが、オルガン音楽はその中でも主要な分野になっている。イタリアという地の利を生かして、イタリアの作曲家の作品をイ タリア各地の歴史的オルガンで演奏したCDを多く販売している。今回紹介するCDもその1枚で、現在も購入可能である。

発売元:Tactus

注)この項記述に際しては、CD添付のフランチェスコ・タシーニの解説や、ウィキペディア英語版のGirolamo FrescobaldiやList of Compositions by Girolamo Frescobaldiを参考にした。



http://fiori3.exblog.jp/15318406/ より引用

音楽の花束   Fiori Musicali

 

2012 05 16

「音楽の花束」(Fiori Musicali)は、イタリアの作曲家、ジローラモ・フレスコバルディ(Girolamo Frescobaldi)の晩年の傑作(1635年)で、オルガンとグレゴリア聖歌によるミサの曲集の名前です。

このフィオーリ・ムジカーリと言う曲集を、私は、イタリアオルガンアカデミーで、ピネスキー教授から、お教えいただいてきました。

 

フレスコバルディは、イタリアのフェラーラで、1583年に生まれ、1604年以降ローマで、オルガニストを務めて、1608年にはオランダに行き北方鍵盤楽派の作曲家たちと、出会いました。

そして、イタリアに戻り、ローマのサン・ピエトロ大聖堂のオルガニストに就任し、1643年に没するまで、生涯この地位にとどまりました。

その就任演奏会には、3万人もの市民が集まったと言われています。

 

この「音楽の花束」は、<主日のミサ><使徒のミサ><聖母のミサ>からなる3部作です。

それぞれのミサ曲は、聖歌隊のキリエ・クリステの聖歌を交えて演奏される、10数曲からなる荘厳な大作です。

 

私が特にフレスコバディから学んだのは、楽譜に書かれた通りの平板な演奏ではなく、彼がトッカータ集の序文で述べているように、トッカータの最初は、ゆっくりと、そして次第にテンポを上げる…など、とても自由で、しかもファンタジックな演奏をすすめていることです。

 

J.S.バッハもこの、「フィオーリ・ムジカーリ 音楽の花束」の写しを持っていて、対位法の技法を学んだと伝えられています。

J.S.バッハは、最晩年(1747年)に「音楽の捧げもの」という作品をフリードリヒ大王に献呈しました。

その中に、「求めよ、さらば見いだされん」というイエス・キリストの御言葉を記したそうです。


■ http://www.yamaha.co.jp/plus/person/?ln=ja&id=91 より引用

Girolamo Frescobaldi
1583~1643 イタリア人 バロック初期 作曲家 オルガン奏者

フレスコバルディはバロック初期のイタリアでオペラ作曲家のモンテヴェルディ(1567~1643)と肩を並べた鍵盤楽器の大作曲家/名オルガン奏者である。また、彼弟子のフローベルガー(1616~1667 ドイツ人のウィーン宮廷オルガン奏者)を通してJ.S.バッハを含むドイツ・バロックの鍵盤楽器奏者たちに多大な影響を与えたことで知られている。
フレスコバルディはイタリアのフェラーラに生まれ、ルツァスキに師事し、1604年以降はローマの教会のオルガン奏者を務め、07年にオランダに旅行し、最初の「マドリガル集」をアントワープで出版した。08年からはローマの聖ペテロ大聖堂のオルガン奏者に就任し、1628~34年にフローレンス宮廷のオルガン奏者の仕事で大聖堂を抜けた以外は、43年に没するまで聖ペテロ大聖堂の職にあった。
フレスコバルディは鍵盤楽器用のトッカータ、リチェルカーレ、カンツォーナの形式を確立して、後のトリオ・ソナタやフーガへの発展に寄与した。また、フレスコバルディはオルガンの演奏面で"曲を几帳面に弾くと退屈に聴こえるから曲の始めはゆっくり弾き、続くセクションが生き生きするように"と言い、1627年に出版された「トッカータ集」の序文には"トッカータの冒頭はゆっくり、アルペジオのように弾き・・・・片方の手がトリルで、もう片方の手がパッセージを弾く場合は、トリルは速く弾き、もう片方の手は表情ゆたかに弾くこと・・・"とルバート奏法をバロック期に指導したことで注目されている。
(参考資料:中村菊子著 『ピアノレパートリーガイド』)


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Giovanni Gabrieli (1554?-1612)
  ジョヴァンニ・ガブリエリ

Andrea Gabrieli (1510?-1586)
アンドレア・ガブリエリ

http://blog.goo.ne.jp/ogawa_j/e/f4272930e4c9db15a7cc786650c30fcd より引用

ルネサンス、イタリアのオルガンで聴くガブリエリの作品 

 

Gli Organi della Basilica di S. Petronio in Bologna - Vol. II: Andrea & Giovanni Gabrieli

Tactus TC 510001

演奏:ルイジ・フェルディナンド・タリアヴィーニ、リウウェ・タッミンガ

 

イタリアのボローニャにある聖ペトロニオ教会は、特異な外観を持った教会である。多くのカトリック教会のように石の彫刻で飾り立てたものではなく、上部はまだ建設中のように見える。しかし、その内部は堂々としたバジリカ様式の会堂である。そして祭壇を挟んだ両側にそれぞれ1基ずつのオルガンがある。祭壇に向かって右側にあるオルガンは、1471年から1475年にかけてロレンツォ・ダ・プラト、1531年にG. バッティスタ・ファッチェッティが建造したもので、現存する最古のオルガンといわれている。左側のオルガンは、1596年にバルダッサッレ・マラミーニによって建造された。いずれも1段鍵盤とペダルのオルガンで、パイプの構成も共通しているところが多い(写真は筆者が撮影)。

 

 それも当然で、当初あったオルガンに加え、本来ミサにおける詩篇唱の交唱に由来する、二つの合唱隊が交互に歌う形式が発展した曲が多く演奏されるようになって来たことに対応して、もう一台のオルガンが増設されたといういきさつがある。ドイツのバロックオルガンのように多様な音色を持つパイプで構成されている楽器とは異なって、いずれもフルート系の上下オクターブを主体としたパイプを持つオルガンである。興味深いのは、いずれの楽器にも分割された鍵があることで、左側のオルガンでは、Gis/Asgis/asgis/as’、右側のオルガンでは、Dis/Esdis/esgis/as’の鍵がある。これは、和音によっては、非常に不快な響きを発する、いわゆるウルフを回避するために設けられたものである。この様な15世紀中頃から16世紀にかけての音楽の状況を忠実に伝えている楽器が、現在も演奏可能な状態で、本来設置されたままの状態で存在していることは、非常に貴重である。これらのオルガンは、1977年から1982年にかけて、建造当時の状態に忠実に修復された。ピッチは a = 470 Hz、中全音調律である。

 このCDに収められている作品は、ヴェネツィアの聖マルコ教会のオルガニストであった、アンドレア・ガブリエリ(Andrea Gabrieli, 1510 - 1586)とその甥、ジオヴァンニ・ガブリエリ(Giovanni Gabrieli, 1556 - 1612)の曲である。聖マルコ教会では、16世紀の初め頃から、当時のオルガニスト、アドリアン・ウィレールトによって、2つあるいはそれ以上の声楽、器楽グループによって交互に演奏される様式が導入され、これが次のジオセッフォ・ツァルリーノに引き継がれ、さらにアンドレア・ガブリエ、ジオヴァンニ・ガブリエリへと展開していった。ルネサンスの多声音楽から、通奏低音上に旋律を展開するバロック様式への移行段階の音楽様式である。

 特にジオヴァンニ・ガブリエリは、明確に楽器を指定した伴奏に独唱を配した複数のグループにより奏される、ピアノとフォルテの強弱表現と、エコー効果を導入したことで知られている。この様式は、彼の弟子であるハインリヒ・シュッツ等に引き継がれた。

 演奏されている曲は、リチェルカーレ、トッカータやカンツォーネなどの鍵盤楽器のための作品の他、モテットやマドリガーレと言った声楽曲の編曲も含まれている。ジオヴァンニ・ガブリエリの第1旋法による8声のカンツォンなど4曲と、アンドレア・ガブリエリのモテット1曲は2台のオルガンで奏されている。独奏曲は、アンドレア・ガブリエリの作品は古い方のオルガンで、ジオヴァンニ・ガブリエリの作品は大半が新しい方のオルガンで奏されている。

  ヴェネツィアの聖マルコ教会で活動していたこの二人の作品は、本来ならその教会で演奏して録音されるべきであろうが、聖マルコ教会の当時のオルガンは現存 しないため、ボローニャの聖ペトロニオ教会のオルガンが起用された。聖マルコ教会は、複雑な内部構造を持っており、その点では、広大な身廊と両側の側廊を 持つ聖ペトロニオ教会とは異なった響きを持っていると思われるが、それよりも15世紀から16世紀に建造され、そのまま残っているオルガンの響きを重視して選ばれた。ヴァチカンの聖ペテロ教会より大きな教会を意図して建てられ、そのため未完成の外観を持つこととなった聖ペトロニオ教会の長く豊かな残響が、この中全音調律の美しいオルガンの響きを引き立てている。



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Johann Jakob Froberger (1616-1667)
ヨハン・ヤーコプ・フローベルガー


■http://blog.goo.ne.jp/ogawa_j/e/79828a67a729f47f089f1ac7864f8609 より引用
ヨーロッパ各国のオルガン音楽を聴く:(6) ヨハン・ヤーコプ・フローベルガーのファンタージアほか

Johann Jacob Froberger: Complete Fantasias - Complete Canzonas - Toccatas
Aeolus AE 10501
演奏:Bob van Asperen (Organ)

ヨハン・ヤーコプ・フローベルガー(Johann Jakob Froberger, 1616 – 1667)の父はハレの出身で、シュトゥットガルトに移り、1621年に宮廷楽団の楽長に任命された。ヨハン・ヤーコプの成長期は、ちょうど30年戦争の最中で、その混乱で両親を失っている。ヨハン・ヤーコプ(以後フローベルガーと記す)は、21歳の1637年にヴィーンの宮廷オルガニストに採用され、その年の11月から3年半の間、イタリアのジロラーモ・フレスコバルディのもとで学んだ。ヴィーンに戻ったフローベルガーは、1641年4月から1645年10月まで、再び宮廷オルガニストをつとめた。1645年から1653年の間については記録が残っていない。しかしその間の1549年より前にフローベルガーは再びイタリアを訪れ、イタリア人の作曲家、ジアコモ・カリッシーミ(Giacomo Carissimi, 1605 – 1674)やローマで活動していたドイツ人のイエズス会員で学者のアタナジウス・キルヒャー(Athanasius Kircher, 1602 – 1680)に会っている。ローマからの帰路には、フィレンツェ、マントゥア、レーゲンスブルクに立ち寄り、1594年にはドレースデンで宮廷オルガニストのマティアス・ヴェックマンと競演をし、その縁で親交を結ぶこととなった。1549年8月に行われたマリア・レオポルディーネ皇妃の葬儀で、オラニエ候の大使であったウィリアム・スワンの知己を得て、その縁で詩人のコンスタンティン・ホイヘンスと知り合い、親交を結ぶこととなった。コンスタンティン・ホイヘンスは、天文学者クリスティアーン・ホイヘンスの父親である。その後もフローベルガーは、ユトレヒトやブリュッセル、パリなど、オランダ、ドイツ、フランス各地を訪れ、パリではデニス・ゴルティエや若きルイ・クープランにも出会っている。1653年4月には、再びヴィーンの宮廷オルガニストに就任したが、1657年に皇帝フェルディナントIII世の後を継いだレオポルトI世は、宮廷楽団を縮小し、フローベルガーもその地位を失うこととなった。その後1662年頃から、フローベルガーは音楽を愛するヴュルテンベルク=メムペルガルトのシビラ公妃の庇護を受けて、ヴュルテンベルク公領のメムペルガルト(現在フランスのモンベリア<Montbéliard>)にあるエリコー城に住んでいた。そしてフローベルガーは、1667年5月6日か7日に城内で卒中発作のため死亡した。
 フローベルガーの作品の全体像は、未だに完全には把握されていない。ヴュルテンベルク公家に残されたはずの手稿は、行方不明になっており、時折現れる手稿によって、作品は増え続けている。2006年にロンドンのサザビーズで競売に付された自筆譜は、20曲を含み、その内15曲は未知の作品である*。しかし、この自筆譜の詳細は、落札者が非公開になっており、究明されていない。フローベルガーは、もっぱら器楽曲、特に鍵盤楽器のための作品を作曲した。それらの曲が、オルガン、チェンバロあるいはクラヴィコードのいずれで演奏されるのかは、しばしば判定が難しいその作品に最も大きな影響を与えたのはイタリアのジロラーモ・フレスコバルディであるが、何度か訪問したフランスのパリやドイツ、オランダなどで出会った音楽家や作品の様式も取り入れて、独自のスタイルを生み出した。新しく見つかった自筆譜には、ルイ・クープランやフランソア・ロベルディ(François Roberday, 1624 – 1680)の影響が強く表れている曲が含まれている。特にフーガ、そして組曲やトッカータは、 ベーム、ラインケン、ヴェックマン、ブクステフーデ、パッヒェルベル、そしてバッハに至るドイツの音楽家達の作品に大きな影響を与えた。

 今回紹介するCDは、エオルス・レーベルがボブ・ファン・アスペレンの演奏で、”Froberger edition”と題してシリーズで発売しているものの第5巻である。第1巻から第4巻までは、主に組曲をチェンバロで演奏しており、この第5巻は、ファンタージアとカンツォーナの全曲およびトッカータ4曲をオルガンで演奏している。現在第7巻まで発売されているが、第6巻はリチェルカーレ全曲、第7巻はカプリッチョ全曲を収録している。トッカータはこれまで20曲有ったので、残りの16曲は、いずれ録音されると思われる。なお、これらの曲数の中には、2006年に存在が分かった前述の自筆譜に含まれる今まで未発見の15曲は含まれていない。
 アスペレンが演奏しているのは、イタリア、ボローニャの聖マルティノ教会にある、1556年にフェラーラのジオヴァンニ・チプリによって建造されたオルガンである。チプリの当初の構想では、ピッチ a’ = 465 Hz、音域はショートオクターヴを含むFF - c”、10のレギスターを有するものであったが、建造1年後に”Cornamuse over Corneti”という、おそらくはレガ-ルのようなリードパイプを追加した。2世紀後の1752年から1755年にかけて、フィリッポとフランチェスコ・ガッティが鍵盤を5オクターヴに拡大し、”Voce Umana”を追加し、ピッチを約半音下げた。さらに1817年に、ヴィンツェンツォ・マツェッティが3つのレギスターを付け加えた。1979年から1995年にかけて全体的は修復が行われ、オリジナルの構想をもとに復元された。現在のオルガンは、音域C - c”’ の57鍵(ショートオクターヴを含む)、12のレギスター、音域C - Gisの17鍵盤のペダル(ショートオクターヴ)を有し、ピッチはa’ = 435 Hz、中全音音律に調律されている。このオルガンは、すでに紹介したボローニャの聖ペトロニオ教会やサン・プロコーロ教区教会のオルガンと建造時期やパイプの構成に大きな相違はないが、演奏しているファン・アスペレンのレギスター設定のよるのか、場合によって非常に輝かしい響きがする。特にこの楽器の基礎となるプリンシパル系のパイプの積極的採用が、そのような響きを生み出しているのだろう。
 エオルスは1997年にクリストフ・マルティン・フロムメンとウルリヒ・ローァシュナイダーによって創立されたドイツのレーベルで、拠点をケルン近郊のノイスに置いている。そのレパートリーは、バロック音楽、特にオルガンとチェンバロの曲を中心とし、すべてオリジナル楽器による演奏によっている。今回紹介したCDは、現在も入手可能である。

発売元:Aeorus
* この2006年にサザビーズで競売に付されたフローベルガーの自筆譜については、ファン・アスペレンによる総括的な報告が、イリノイ大学が刊行している”Journal of Seventeenth-Century Music”, Volume 13, No. 1に掲載されている。Bob van Asperen, ”A New Froberger Manuscript”

注)フローベルガーの生涯と作品については、CDケースに綴じ込まれた小冊子のファン・アスペレンによる解説と、ウィキペディアドイツ語版の”Johann Jacob Froberger“を参考にした。



■Wikipedia: フローベルガー より引用
ヨハン・ヤーコプ・フローベルガー(Johann Jakob Froberger, 1616年5月18日? シュトゥットガルト - 1667年5月7日)は、ドイツ人の初期バロック音楽の作曲家。フレスコバルディ門下の鍵盤楽器演奏の達人。ヨハン・ゼバスチャン・バッハに先行する重要な鍵盤曲作曲家の一人とされる。

生涯 [編集]
1616年、シュトゥットガルトに生まれたフローベルガーは、音楽の手ほどきを父親から受けたと考えられている。1634年にウィーンに移り、1637年に当地の宮廷オルガニストとなっている。そして同じ年、イタリアはローマに遊学し、フレスコバルディの門下に入る。1641年にウィーンに戻ると、1657年までこの地に居を構えたが、その間フェルディナント3世の外交官として、各地を歴訪した。ブリュッセル、ドレスデン、アントウェルペン、ロンドンなどを訪れているが、フローベルガーの生涯にとって中でも重要なのはパリで暮らした3年間(1650年 - 1653年)である。ここで彼はフランス風の作曲技法を学んだ。フェルディナントの死後はアルザスに移り、1667年、エリクールに没した。このような人生をたどったフローベルガーはコスモポリタンであり、そして自らの作曲にもフランス語の題名や、フランス語風のフロベルグ(Frobergue)というサインを好んだ。

作品 [編集]
英語版に作品リストがあります。

フローベルガーの現存作品は、大量の鍵盤楽器(オルガン、チェンバロ、クラヴィコード)のための作品、数十のチェンバロ用組曲と、2つのモテットである。幾つかの聖体奉挙のためのトッカータとモテットのみが宗教曲で、多くは世俗曲である。

フローベルガーの作品は、現在、主に次の3つの形で伝わっている。
・ウィーン写本。フェルディナント3世に献呈された、豪華な装飾本の『第2巻』(Libro Secundo, 1649年)と『第4巻』(Libro Quarto, 1656年)それぞれ4章に分かれており、24の作品を収める。
『第2巻』:6つのトッカータ、6つのファンタジア、6つのカンツォーナ、6つの組曲。
『第4巻』:6つのトッカータ、6つのリチェルカーレ、6つのカプリッチョ、6つの組曲。
・『カプリッチョとリチェルカーレ集』(Libro di capricci e ricercate, 1658年ころ)。6つのカプリッチョと6つのリチェルカーレを収める。