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BWV589
アラ・ブレーヴェ ニ長調
■http://blogs.yahoo.co.jp/tiento_antiguo/51972201.html より引用
きょうは、バッハのオルガン曲「アラ・ブレーヴェ ニ長調」BWV589を聴いています。
「アラ・ブレーヴェ」とは、難しいことを抜きにして言えば(ボクもよくわかってない〈恥〉)、4/2あるいは2/2拍子のことらしいです。東京書籍『バッハ事典』によると、本曲はアルンシュタット時代(1703-07年)に成立したのではないかとされ、「イタリアのモデル(フレスコバルディ、あるいはコレッリ?)による、古様式ポリフォニーの
作品」とのことです。イタリアらしく明るい曲調ながら、古様式ポリフォニーを想起させる四声の重厚な展開がいかにもオルガンに相応しいですね。演奏は、トン=コープマンのオルガンで(アルヒーフ・レーベル、1983年録音)。実に輝かしく熱い演奏で、胸がすくような気分になります。
■http://www.yung.jp/yungdb/op.php?id=784 より引用
普通、<アラ・ブレーヴェ>というのは「二分音符を1拍と数える」ことを示す言葉ですが、バッハの時代には古い様式で書かれていることを示すためにこの<アラ・ブレーヴェ>という言葉が使われることもあったようです。この古い様式というのは<アラ・ブレーヴェ>と言う言葉から想像される速いテンポではなくて、ゆったりとした荘重な音楽をイメージしていました。ですから、この作品も音楽の切れ目がハッキリとしないで、音が次から次へとつながっていきます。それがいわゆる「荘重な雰囲気」を醸し出しているといえます。また、4声からなるこの作品は、それぞれの声部に主題を構成している動機が顔を出すために、帰って主題が浮かび上がりにくいという不思議な雰囲気を持っていて、その事が作品全体に「荘重な雰囲気」をただよわせる一因ともなっています。
と、ここまで書いておきながら、実は最近の研究ではこの作品はバッハの真作ではないという見方が有力になってきています。もちろん、ヴァイマール時代の若き日の作品のと言う見方も否定されてはいないのですが、何とも言えない取り留めのなさゆえにか、偽作派が最近は有力なようです。
■http://www.geocities.jp/hukuhuku_pii_623/gakugo2.htm より引用
アラ・ブレーヴェ alla breve (伊)
2分の2拍子のことです。 ¢ でかかれること多いです。ブレーヴェはもともと全音符の2倍の長さを持つ音符のことです。
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BWV592-697
協奏曲
■ヘルマン・ケラー「バッハのオルガン作品」p.121~ より引用
◇BWV592
この曲は、ある手稿譜によれば、若きヨハン・エルンスト公の作品ということになっている。この人は1715年にすでに19歳で死んでおり、この作品が15歳以前に作曲されたものとは思えないので、このことからバッハの編曲の成立は、ほぼ1711~14年とされる。この青年作曲家エルンスト公はJ. G. ヴァルターの弟子であり、テーレマンとマッテゾーンによって高く評価された。彼の協奏曲は、愛らしい、そして自然な旋律をもち、ヴィヴァルディよりもむしろヴァルターの特徴を示している。そして終楽章は陽気な喧騒以外のなにものでもない。
バッハは第1楽章で、トゥッティの個所をオーバーヴェルクに、ソロをリュックポジティフに割り当てている。第2楽章ではリュックポジティフは<forte>の旋律を、オーバーヴェルクは伴奏を受けもつ。第1楽章中の2重足鍵盤書法は、本来、不必要である。というのは、左手が楽にテノールを弾くことができるからである。おそらくこの声部は、便宜上の理由から足鍵盤パートに記譜されたのであろう。
演奏: テンポは第1楽章は四分音符=96、第2楽章は四分音符=76、第3楽章は四分音符=104がよい。両端楽章は明るく、かるいプレーヌムで、第2楽章はフルー・ストップからなる定旋律用レジストレーションで演奏するとよい。
■http://www.geocities.jp/choka_lute/bwv592-596.972-987.htm より引用
オルガン独奏のための編曲協奏曲 BWV592-596
成立年代 1713-14年
解説
バッハにとってイタリア音楽の影響は極めて大きいものですが、ヴィヴァルディの音楽ほど決定的なものは他にないでしょう。
若い頃、バッハが仕えていたヴァイマール宮廷の分家、直接の雇い主の甥に、ヨハン・エルンストという公子がいました。バッハはその音楽教師を務めていましたが、その期間、公子はグランド・ツアー(貴族がよくやるヨーロッパ諸国巡り)を行い、オランダはアムステルダムで触れたイタリア音楽に感激して帰ってきます。公子はイタリア音楽の楽譜を大量に持ち帰ったのみならず、イタリア式の協奏曲がアムステルダムにおいて、オルガンなどの鍵盤楽器に編曲して弾かれている、という実態の証言もしています。そして、持ち帰った楽譜をバッハに示し、同様の試みを命じました。
こうして生まれた、ヴィヴァルディのコンチェルトを中心とした、編曲協奏曲はクラヴィーア、オルガンによるものを含め、実に22曲にのぼり、バッハがイタリア式のコンチェルトを、いやおう無く自家薬籠中にしていったことが伺えます。
そのもととなった協奏曲のほとんどは、急-緩-急の3楽章形式で、両端はトゥッティとソロの交代がある、典型的なリトルネッロ形式、俗に「ヴィヴァルディタイプ」と呼ばれるものです。(これを理解するには、ヴィヴァルディの「調和の霊感 作品3」を聴くのが一番よいと思います。)ちなみに、その編曲の内訳はオルガン用が5曲(ヴィヴァルディ3、エルンスト公子2)クラヴィーア用が17曲(ヴィヴァルディ6、エルンスト公子3、A.マルチェッロ1、B.マルチェッロ1、トレッリ1、テレマン1、原曲不明3)と」なっています。
この中でも、特にA.マルチェッロのオーボエ協奏曲は、緩徐楽章が映画などにも用いられており有名で、
■Wikipedia: オルガン協奏曲 (バッハ) より引用
オルガン協奏曲は、ヨハン・ゼバスティアン・バッハが作曲したオルガンのための独奏曲。全6曲が存在する。オルガンとオーケストラのための協奏曲ではなく、本来他者が作曲した協奏曲をバッハがオルガン独奏曲として編曲したものである。
"These are not really organ music."
概要 [編集]
1708年にバッハはヴァイマルの宮廷にオルガニストとして就職し、1714年にはその宮廷楽長に迎えられ、この地で長く活動を続けた。バッハは主に教会音楽の作曲や演奏を仕事としていたが、一方では宮廷も他のドイツの宮廷の多くがそうであったように、イタリア音楽を非常に愛好し、深く親しんだ。この頃のバッハは当時広くもてはやされていたイタリア音楽に大きな関心を示して熱心に研究し、その影響を採り入れながら自己の作風をはぐくんでいった。そしてバッハは、イタリアの協奏曲のしなやかで、優美な様式にすっかり魅了され、同時にヴァイオリンをはじめとするその旋律楽器のイディオムが、鍵盤楽器と意外に近親性を有している事実にも着目した。
バッハは、何曲もの器楽協奏曲を独奏オルガンのために編曲するというユニークな創意を抱いたが、6曲のオルガン協奏曲は、その成果として世に送り出された作品である。原曲は、第1番、第4番がザクセン=ヴァイマル公子ヨハン・エルンストの、第2番、第3番、第5番がアントニオ・ヴィヴァルディの協奏曲である。
なお、ヨハン・エルンスト(1696年 - 1715年)という人物は、ザクセン=ヴァイマル公国(en)の君主ヴィルヘルム・エルンスト公(en)の甥にあたり、19歳で死去したが、少年時代から非凡な楽才を発揮し、天才貴公子としてもてはやされた。
◇第1番 ト長調 BWV592 [編集]
ヨハン・エルンストの協奏曲を編曲したもの。変化に富んだリズムや明るい旋律などを特色としており、快い魅力を湛えたヴィヴァルディ風の作品になっている。3楽章からなる。
第1楽章 (アレグロ)
第2楽章 グラーヴェ
第3楽章 プレスト
◇第2番 イ短調 BWV593 [編集]
ヴィヴァルディの「2つのヴァイオリンのための協奏曲 イ短調」作品3の8を編曲したもの。原曲のヴァイオリンの特徴が熱した手法でオルガンに移されている。3楽章からなる。
note: ヴィヴァルディ作曲「調和の霊感(幻想の調和)第11番」をバッハがオルガンに編曲した、「オルガン協奏曲 二短調 BWV596」
第1楽章 (アレグロ)
第2楽章 アダージョ
第3楽章 アレグロ
◇第3番 ハ長調 BWV594 [編集]
ヴィヴァルディの作品7の5を編曲したもの。原曲はほとんど演奏される機会がない。3楽章からなる。
第1楽章 (アレグロ)
第2楽章 レチタティーヴォ(アダージョ)
第3楽章 アレグロ
◇第4番 ハ長調 BWV595 [編集]
ヨハン・エルンストの作品を編曲したもの。単一楽章で、ソロとトゥッティの交付が非常に華やかに行なわれている。
(速度指定なし)
◇第5番 ニ短調 BWV596 [編集]
ヴィヴァルディの作品3の11を編曲したもの。以前はバッハの長男であるヴィルヘルム・フリーデマン・バッハの作品と考えられていたが、後にJ・S・バッハの作品と判明した。4楽章からなる。
第1楽章 (アレグロ―グラーヴェ)
第2楽章 フーガ
第3楽章 ラルゴ
第4楽章 フィナーレ(アレグロ)
◇第6番 変ホ長調 BWV597 [編集]
原曲が不明である他、偽作の疑いももたれている作品である。2楽章からなる。
第1楽章 (速度指定なし)
■http://blogs.yahoo.co.jp/tiento_antiguo/52926522.html より引用
きょうは、バッハのオルガン編曲作品『協奏曲 ト長調』BWV592を聴いています。
演奏はブリリアント盤155CDボックス『Bach Edition(バッハ大全集)』の収められたハンス=ファギウス
によるものです(CD Ⅵ-3)。
本曲はバッハのヴァイマル時代(1713~14年ころ、28~29歳ころ)に、他の作曲者の手になる協奏曲をオルガン独奏用に編曲したもので、BWV593~596(オルガン独奏による協奏曲編曲)、BWV972~987(チェ
ンバロ独奏による協奏曲編曲)と同時期に成立しました。バッハが仕えたヴァイマルの領主の甥に当たるヨーハン=エルンスト公子が留学先のオランダからヴァ
イマルに帰ってきた際、ヴィヴァルディの『調和の霊感』(アムステルダムで出版)などイタリアの作曲家が書いた独奏楽器と弦楽のための協奏曲の楽譜を持ち
帰ったのですが、公子はアムステルダム新教会のオルガン奏者ヤン=ヤーコプ=デ=グラッフ(1702/3~71)の演奏に接したことがきっかけとなり、協奏曲を鍵盤の独奏で演奏することに強い興味を覚え、自身の師匠に当たるバッハとヨーハン=ゴットフリート=ヴァルター(1684~1748)に持ち帰った協奏曲と公子自作の協奏曲の編曲を依頼したことが、これら一連の協奏曲編曲作品が成立したいきさつです。このことについては、また以前のBWV972の記事を参照下さい。
本
曲はヨーハン=エルンスト公子の自作である『ヴァイオリン協奏曲』の編曲です。第一楽章(テンポ指示なし、あるいはアレグロ)は総奏による主題がリトル
ネッロ形式により繰り返され、その間を縫って三連を主とする独奏が現れる、明るくて快活な曲調です。ペダルがダブルになることも注目すべきでしょうか。第
二楽章(グラーヴェ)はフランス風の付点リズムと装飾のトリルが印象的。第三楽章(プレスト)はリズミカルで、16分を主とする独奏の激しく活発な動きがもともとヴァイオリンの独奏パートであったことを思い出さずにはいられません。
楽譜はコチラから(DL面倒くさいです)。
note: そういえば、この曲は調性の問題だけでなくBWV541にとても似ている。この極にもイタリアの影響があるらしい-----------------------------------------------------------------------------
BWV564
トッカータ、アダージョとフーガ ハ長調
■http://blogs.yahoo.co.jp/tiento_antiguo/51779572.html より引用
きょうは、バッハのオルガン曲『トッカータ、アダージョとフーガ ハ長調』BWV564を聴いています。
演奏はトン=コープマン(アルヒーフ・レーベル、1983年録音)です。
ヴァイマル時代の1713-17年(28-32歳)に書かれた三つの部分から成る大曲で、中間部に置かれた
「アダージョ」に象徴されるように、いかにもイタリア的な協奏曲の薫りを芬々と感じさせる楽曲ですよね。
東京書籍『バッハ事典』によれば、この作品は「北ドイツの伝統的様式と、新しいイタリア協奏曲様式の融合」とのことです。
技巧的な手鍵盤による速いパッセージにペダルによる重厚なソロ、そして手鍵盤とペダルが絡みつく
豪快な「トッカータ」、叙情的でカンタービレな「アダージョ」、終始活発な動きを見せる「フーガ」、
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BWV579
フーガ ロ短調(コレルリの主題による)
■http://blogs.yahoo.co.jp/tiento_antiguo/52860285.html より引用
「フーガ ロ短調」BWV579
きょうは、バッハのオルガン曲「フーガ ロ短調(コレッリの主題による)」BWV579を聴いています。
演奏はブリリアント盤155CDボックス『Bach Edition(バッハ大全集)』に収められたハンス=ファギウス
によるものです(CD Ⅵ-12)。
本曲はバッハのヴァイマル時代(1708~17年、23~32歳ころ)に成立し、イタリアのヴァイオリン奏者で
作曲家のアルカンジェロ=コレッリ(1653~1713)の手になる『12のトリオ・ソナタ集』作品3(1689年出版)
第4曲の第二楽章「ヴィヴァーチェ」の二重フーガに基づく作品です。原曲は短い(39節)ですが、本曲は
倍以上に拡大されています(102小節)。ヴァイマル時代における「イタリア体験」の産物のようです。
インパクトはあまり感じられない曲ですが、「充実したオルガン曲に仕上げられている」(東京書籍『バッハ
事典』)のだそうです。
■http://www.geocities.jp/mani359/2mei0612bachhuge.html より引用
バッハはオルガンのための独立したフーガを数曲書きましたが、そのほとんどはヴァイマー
ル時代およびそれ以前の作品です。そのなかには、レグレンツィの主題によるもの(BW
V574)やコレルリの主題に基づく曲(BWV579)が含まれるだけでなく、全体として当
■http://blog.goo.ne.jp/aeternitas/e/cd28e5fd94eb927fcba0895e75e44506 より引用
これからきくBWV579は、アルカンジェロ・コレッリの主題によるフーガ。「ヴァイマル時代におけるイタリア音楽研究の成果を示すもの」(『バッハ事典』)とされていますが、偽作説もあるようです。演奏はいつものようにヴァルヒャで、このBWV579をきくと、「BACH The Organ Works」の5枚目も終了です。
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BWV548
前奏曲とフーガ ホ短調
■Wikipedia: 前奏曲とフーガ BWV548 より引用
前奏曲とフーガ ホ短調(Präludium und Fuge e-Moll)BWV548は、ヨハン・ゼバスティアン・バッハが作曲したオルガン曲。『楔(くさび)』という渾名が与えられている。
概要 [編集]
ライプツィヒ時代の1725年から1728年にかけて作曲されたオルガン曲で、またバッハの後期における最もすぐれたオルガン曲の一つとしても知られる。ヴァイマール時代以降、バッハはオルガン曲を作曲する際にイタリア・バロックの巨匠らの様式を取り入れているが、前奏曲では協奏曲のような華やかな効果を出す手法が巧みに織り込まれ、イタリア風協奏曲の構成原理を含ませている。それゆえ前奏曲は厳格な書法で書かれている。4声で進行するフーガはジグザグした主題が次第に音程を拡大していく(E-D#-F#-D-G#-C#-A-C-A#)が、イギリスではこのフーガを『楔(The wedge)』と呼んでいる。
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BWV532
プレリュードとフーガ ニ長調
■http://musicarena.exblog.jp/7404099/ より引用
前奏曲はファンファーレ調のペダル音階で始まるが、これは当時は稀で、この種のパッセージはN.ブルーンスの「前奏曲とフーガ ト短調」に見られる程度。続くペダルのFisによるオルゲルプンクト上にロ短調の情熱的な旋律が表れ、再びニ長調のパッセージからアラ・ブレーヴェに続 く。コレルリを想起させる南方的な明朗さ、平静さを持つ進行が2重ペダルのレチタティーボ風終結部によってフーガに繋がる。このフーガはバッハが調律上探 求したとされるシャープ調での転調が見られ、ニ長調からロ短調へ、更には当時ではまず用いられなかった嬰へ短調、嬰ハ短調にまで達する。またホ長調からニ 長調への復帰にイ長調を経由する。燦然たるペダルのカデンツァがこの荘厳な曲の最後を飾る。
■http://www.geocities.jp/choka_lute/bwv532.htm より引用
ヴァイマール時代の作品で、若きバッハの代表作の一つです。
ペダルの凄まじい足捌きが有名だったバッハですが、この曲のペダルの豪快な使用法は確かに常軌を逸したものがあります。
当時の聴衆の感嘆する姿が目に浮かぶようです。
プレリュードは、その大胆なペダルの上昇音階で始まります。
これはいかにも北ドイツ風ですが、構成はフランス様式そのもの。
「アラ・ブレーヴェ」と題された中間部はイタリア、フレスコバルディのカンツォーナを彷彿とさせる書法です。
20歳台前半のバッハが、ヨーロッパ諸国のオルガン音楽をすでに自家薬籠中のものにしていたことを窺わせます。
パッヘルベル(中部ドイツ)の作品を基にしたフーガも、また非常に風変わりなものです。
音符の細かい、音階的な主題とその追走は、とてもスピード感、推進力のあるもので、
一般的にはあまり認識されていない、
バッハの音楽の魅力の大きな一端を担う「心地良いリズム感」が最もよく表れていると思います。
ここでも、オブリガート声部を担うペダルの役割は驚嘆すべきもので、一度弾いている姿を横から見てみたいですね。
プレリュード、フーガともに技巧的で明朗快活なこの曲をぜひ聴いてみてください。
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ジャック・ファン・オールトメルセン
プレリュードの中間部は思い切ってストップを管楽器風の大人しいものにしていますが、
いかにもフレスコバルディという感じ。
■http://blogs.yahoo.co.jp/tiento_antiguo/52672723.html より引用
きのうは、バッハのオルガン曲「プレリュードとフーガ ニ長調」BWV532を聴いていました。
演奏はブリリアント盤155CDボックス『Bach Edition(バッハ大全集)』の収められたハンス=ファギウス
によるものです(CD Ⅵ-3)。
本曲はバッハのヴァイマル時代の初期(1710年ころ、25歳ころ)に成立しただろうと推測され、若きバッハの代表的作品の一つに数えられるそうです(東京書籍『バッハ事典』)。
「プレリュード」は豪壮で重厚な冒頭部、フレスコバルディ風の速くて軽快な「アラ・ブレーヴェ」、転じて速度を落として荘厳な「アダージョ」の三つの部分に分かれています。パッヘルベルの作品を手本としたとされる「フーガ」は、16分音符の細かいフレーズが左手で奏されたのち、右手やペダルで模倣されていく、やや速いテンポ運びの展開で進行します。ちなみにフレスコバルディはフローベルガーがその学風を受け継いだことから、南ドイツ(・オルガン)楽派の始祖とされますが、パッヘルベルも同じく南ドイツ楽派に属するということで、バッハのこのBWV532はその影響下に作られたのでしょうか?
ともあれ、BWV531同様、若きバッハの熱気を感じさせるカッコ良い楽曲なのは疑いないところです。