■ Handel - The Cuckoo & The Nightingale, HWV 295
第1楽章にカッコーのモチーフ。第4楽章はよくわからなかった。

Handel - The Cuckoo & The Nightingale, HWV 295/Part 1
http://www.youtube.com/watch?v=Tdo8Ai9THGA

Handel - The Cuckoo & The Nightingale, HWV 295/Part 2
http://www.youtube.com/watch?v=nruaBTQzgB4

■ Johann Kaspar Kerll: Capriccio Sopra Il Cucco

JOHANN CASPAR KERLL - Capriccio sopra il Cucu
http://www.youtube.com/watch?v=W7brRoP0Mfs

■ Bernardo Pasquini (7 December 1637 – 22 November 1710) : Toccata con lo Scherzo del Cucco

pasquini Toccata con lo scherzo del cucco
http://www.youtube.com/watch?v=fOUmRysV4uU

http://en.wikipedia.org/wiki/Bernardo_Pasquini

■ Frescobaldi: Capriccio (on the cuckoo's call)
http://www.onlinesheetmusic.com/capriccio-on-the-cuckoos-call-p272351.aspx

<<番外編>>
◇ 歌
Mentre il cuculo - G. Caimo - Ensemble Vocale "Secolo XXI"
http://www.youtube.com/watch?v=LkFdXEps0rY

◇ ピアノ
Le Coucou by D'Aquin
http://www.youtube.com/watch?v=LkFdXEps0rY
http://homepage3.nifty.com/utremi/Records/Records_Writing0904_1.htm

ルイ=クロード・ダカン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%82%A4%EF%BC%9D%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%80%E3%82%AB%E3%83%B3

サン=サーンス:動物の謝肉祭より 09.森の奥のカッコウ:Le coucou au fond des bois
http://music.i-dur.com/index.php?pg=mlist&am=224&bm=play&em=ls&dm=&sm=#?anQls224

◇ ポーランドの民謡
PSIDE 1997 - Polish - Kukuleczka Kuka
http://www.youtube.com/watch?v=xdGmOLCEq1o
http://www.asahi-net.or.jp/~hb9t-ktd/music/Japan/Studio/Midi/Traditional/utauyo.html

◇ オーケストラ・弦楽
玩具交響曲 Toy Symphony
http://www.youtube.com/watch?v=YF_oyRqL-wo
水笛も使われています。

A. Vivaldi RV 335 The Cuckoo [Il Cucù] - Concerto for violin, strings b.c. in A major
http://www.youtube.com/watch?v=cnsbhFYq0X0

Delius: On Hearing the First Cuckoo in Spring
http://www.youtube.com/watch?v=bHaZ0rxdxnI

Mahler - Symphony No. 1 'Titan' (complete)
http://www.youtube.com/watch?v=05TC9crm7eo








■「北イタリアのオルガン音楽」解説より

・ イタリアのオルガン製作家の多くは北イタリアで活躍し,したがって北イタリアに名器と呼ばれる楽器が多い。


・ アンテニャーティ(1549-1624)の時期に,イタリアのオルガンはすでに完成したものとなり,その後のオルガンは,常にこの時代の考え方を踏襲し,基本線を守った上で,それを拡大していく,という方向をとった。ドイツもフランスも,ルネサンス型のものから更に発展して,17世紀の終りにようやく独自のスタイルの楽器を完成させたことと比べると,楽器完成の時期が非常に早いルネサンス時代であることと,その後,2世紀以上も本質的変化をみせなかったことが,イタリアのオルガン制作の歴史の特徴といえる。

 楽器の特徴として第一に挙げられるのが,非常に声楽的な性格が強いことである。楽器としての完成の時期が,まだ声楽ポリフォニー全盛の時期で,人間の声を最上のものとして,それを模範とした楽器が生まれたわけである。楽器の基本となるプリンツィパル8'は,細めのメンズールで,独特の甘さと,豊かに歌う性質をもっている。C. アンテニャーティはこれを,delicatissimo(最高に優雅で甘い)と表現している。このプリンツィパルに代表される「豊かに歌う」特色は,独特のヴォイシング(整音)の議ずつに裏付けられたもので,この技術は19世紀頃までイタリアの伝統的なものとして保持されていた。このプリンツィパル8'のうえに重ねられるプリンツィパル族のストップは,倍音系列にオクターヴと5度の順に並び(8',4',2',1 1/3',1',1/2',1/3'),これらはまとめて"Ripieno"(一杯つまったの意)と呼ばれた。これはイタリアのオルガノ・プレノであり,当時は"Registrid'organo"とも呼ばれ,フルート族の"Registeida concertato"と対置された。リピエノは,ドイツやフランスのオルガンにおける勾配音の集まりであるミクスチュアのように,ひとまとめのストップをもたず,最後の列まで1個ずつのストップで操作できるように分離されている。また,この音域が高くなりすぎないように,そして不自然な繰り返しを行わないようにと,実音のC5に達するとオクターヴ下に下がるよう「天井」がもうけられていて規則的な繰り返しが行われている。


・ Fiffaroというストップもイタリアのオルガンに固有のもので,これは,プリンツィパル8'よりも,ほんの少し低めに(18世紀ヴェネツィアでは高めに)調律したストップで,Voce Umana(人間の声)とも呼ばれ,ピッチの差によって生じるゆるやかなヴィブラートが,人間の声のヴィブラート



■http://blog.goo.ne.jp/kalkant/e/3c0c23519fd06d4a8012f11780e3299b

今の仕事を始めてしばらく経った頃に、あるイタリア初期バロック音楽のプログラムの演奏会にポジティフオルガンを提供したことがあり、その時の会場がまさにこの、東京カテドラル。で、

その時の演奏自体はもちろん、このお御堂の残響の長さも相俟って大変素晴らしいコンサートとなったが、ただ一点、その中で鳴る自分のポジティフの音のキャラクターがどうしてもその残響の多い会場でのイタリア音楽のテイストにぴったり合わないことにどうも居心地の悪さを感じていた。

~そう思ったことが、自分が持ち運びができるイタリアンオルガンを手に入れようとした出発点だった、というのはいろいろなところで既にお話をしてきたことですが、今回まさにぐるりと話が巡り巡って、言ってしまえばその数年前に自分がこうしたい、と考えた思いが、本当に正しかったのかを検証できる場面を迎えることになったわけです。

図体はバカでかいが、ポジティフと同じくらいの低い風圧(水柱46mm)から繰り出されるイタリアンの音は決して大きいわけではない一方、どこまでも音が伸びてゆき、そしてわずかに人の声のような「ノイズ」が聴こえるプリンチパーレ8ftで弾かれる通奏低音は、今までどこでも聴くことができなかったと言えるくらいの魅惑的なもの。そしてリピエーノストップを加えたレジストレーションでは明るく煌めくような音色を獲得し、そのレジストによるソロ曲はこれぞイタリアンオルガンの真骨頂というべきものを聴かせることができたのでした。そうそう、この音の世界こそあの何年前かの現場で追い求めようと考えたもの、そのものだったよと思い至った瞬間、この楽器のプロジェクトパートナーのジョヴァンニと、とにもかくにもああだこうだと彼の工房で話をした日々を思い出していましたね。いやあ、この現場に彼を呼びたかったなあ。

休憩中にわざわざ「あなたのような働きをする人がいるからこそ、こういう演奏会を作ることができるのですよね」とお声掛けくださったお客様がいらっしゃり、いやはやその言葉に光栄な思いでいっぱいの現場でございました。しかし、この楽器がそう機能したのは、もちろん名手の手にかかったから。実はこの楽器、誰もが十全に操ることのできる楽器では決してありませんで、昨日の素晴らしい現場は楽器に相応しい演奏者を得たからこそもたらされたのだったのでした。上尾さん、本当にありがとうございました。是非また使ってやってくださいねー。




■http://www.d1.dion.ne.jp/~organ/meridional/merid.j/fr.st-anne.j.html

サンタン礼拝堂のタンブリーニ・オルガン (トゥールーズ)
  サン・テチエンヌ・カテドラル付属サンタン礼拝堂 (Chapelle Ste-Anne) は十九世紀後半に建てられた比較的新しい聖堂だが、そこで 1902 年以来使われてきた空気アクションのプジェ・オルガンは傷みがひどく、聖務日課や結婚式等の行事にもしばしば支障を来していた。対策を検討したカテドラル のオルガン友の会は楽器の新製を決意。プジェの楽器は Cologne (当地の北西 50 km) の教会へ売却された。匿名の寄付も寄せられ、これが新オルガン購入の財源となった。

  どのような楽器を設置するかに関しては、大変すんなり話がまとまった。バラエティーに富むオルガンを多数抱えるこの街にまだない様式となると、選択肢はス ペインとイタリアの二つに絞られるが、当礼拝堂の内部がイタリア・ルネッサンス様式の装飾であることから、イタリア古典様式の楽器が妥当とされ、製作家の 選定の方はイタリア・オルガン音楽の第一人者タリアヴィーニ氏の肝いりで、ミラノ南東 Crema のタンブリーニ社 (TAMBURINI) と決定。1978 年に作業が開始された。

  イタリア・オルガンの特徴の一つであるスプリング・チェストの風箱は十九世紀初頭のロンバルディア様式に倣い、リピエーノの繰り返しパターンとフルートは 同様式の中心的存在であるセラシ一族 (SERASSI) の作品に範を求めた。個性的なリード・ストップである Tromboncini は、十八世紀ヴェネチア派の製作家マキーニ (MACHINI) のものを参考にしている。工事は二年間で終了し、1980 年 6 月 2 日、ルネ・サオルジャン (Rene SAORGIN) の演奏会で落成を祝った。180,000 フランに上る工事資金は国庫によらず全て浄財で賄われている。

  ここでイタリア・オルガンの特徴について少し説明しよう。まずスプリング・チェストの風箱だが、我々になじみ深いスライダー・チェストのそれと比べて、パ イプの重量を風箱本体で直接受け止められるため、オルガン各部の中でもとりわけ重要なこの風箱を堅牢に造ることが可能となる。更に各ストップの出し入れに 関して、解放用バネを活用したメカニカル・コンビネーションを構築することが出来る。

  次に鍵盤。概ねイタリア・オルガンは一段鍵盤であるが、これは C3 付近を境に高音域側と低音域側とに鍵盤領域を二分して、それぞれを二つの異なる鍵盤として平等に扱えるよう (各々2オクターブ半の音域)、特に低音側に鍵盤を延長してある (しばしばショート・オクターブ)。この合理的アイデアは十九世紀に登場するハーモニウム (リードオルガン) にも採用されることになる。

  最後はストップについて。室内楽の分野で 『協奏曲様式』 を生み出したイタリアのこと。ストップの機能的分類にも独特の理念が存在する。協奏曲で楽曲の進行を支える弦楽伴奏部 (Ripieno) と同じ役割を担うオルガンのストップといえば、やはり各フィート律のプリンシパルであろう。したがってイタリア・オルガンでは Mixture 的役割を果たすミューテイションを含めて、プリンシパルを 「リピエーノ」 と呼んで他と区別する。前述の鍵盤分割時の使用を考慮して 16'、8'、4' の各フィート律では、一列を高音と低音の二つに分けているが、2' は分割なしで、それ以外は Mixture 的に途中でフィート律の繰り返しを伴いながら一列を構成する。この繰り返しのパターンはイタリア独特のもので、イタリア・オルガンの澄んだ響きの源となっ ている。リピエーノに対抗するのはコンチェルト。オルガンでも Registri da concerto と呼ぶ一群のストップが Ripieno に対峙している。フルート系・ストリングス系のフルー管、リード管がそれで、鍵盤分割をフルに活用するために、高・低音域通し一列を構成しない 「高音域専用 (の 32'、16')」、「低音域専用 (の 4'、2')」 といった特殊なフィート律構成のストップが目白押しである。リピエーノのプリンシパルに関して付け加えておくと、フィート律の呼び方がイタリアは独特であ るということ。これには、通常の 8'、4' 云々という呼称が鍵盤左端 (C1) におけるパイプ実効長に由来するところに、イタリアでは鍵盤左端が低音側に延長され必ずしも 8'、4' とならないという事情もある。イタリアでのフィート律呼称は、「基音 (Principale :8') から何度高い音か」 というシステムになっている

Ex. * 4' → Principale の8度 (Octave) 上: "Ottava"
   * 2' → Principale の15度上: "Quintadecima"

という具合である。

■Wikipedia: パストラール より引用
バロック音楽においてパストラールとは、イタリアのピッフェラーリによる伝統的なクリスマス音楽を連想させる、バスのドローンに合わせて奏でられる牧歌的な旋律をいう。このようなパストラールは通常6/8拍子か12/8拍子を採る。有名なパストラールに、コレッリの《クリスマス協奏曲》作品6-8、ヴィヴァルディの《四季》より「春」の終楽章、ヘンデルの《メサイア》のピッファロ楽章、バッハのオルガン曲《パストレッラ》BWV.590より第1楽章といった例がある。アレッサンドロ・スカルラッティのクリスマス・オラトリオには、パストラール楽章が含まれており、息子のドメニコ・スカルラッティはパストラール様式のソナタをいくつか遺した。



■Wikipedia: リピエーノ より引用
リピエーノ(イタリア語:ripieno, 「詰め物・埋め草」)とは、合奏協奏曲においてトゥッティから大小に別れたアンサンブルのうち、より大きな集団を指す音楽用語である。リピエーノの反対語が、複数の独奏者からなるコンチェルティーノ(concertino)である。リピエーノとコンチェルティーノの関係は、バロック音楽特有の対比の原理に基づいており、主題の性格や音型、テクスチュアに相違が見られる。また音量の面から、リピエーノとコンチェルティーノの対比を、ジョヴァンニ・ガブリエーリ以来のフォルテとピアノの対比になぞらえることも可能であり、バッハが《イタリア協奏曲》において、フォルテをリピエーノ、ピアノをコンチェルティーノの意味で用いたこともそこから理解される。

なお、数字付き通奏低音を演奏する際に付け足される音のこともリピエーノという。


■Wikipedia: 奇想曲 より引用

奇想曲(きそうきょく)は、カプリッチョ (伊: capriccio, 仏: caprice) の訳語である。綺想曲(きそうきょく)とも書かれる。狂想曲とも訳されるが、近年では音楽形式の意味で用いられることは少ない。

カプリッチョはイタリア語で「気まぐれ」を意味する。カプリッチョと呼ばれる音楽に特定の音楽技法や形式があるわけではなく、むしろ形式に縛られない例外的で気まぐれな性格を表している。



■Wikipedia: トッカータ より引用

トッカータ(伊 toccata)とは、主に鍵盤楽器による、速い走句(パッセージ)や細かな音形の変化などを伴った即興的な楽曲で、技巧的な表現が特徴toccataは動詞toccare(触れる)に由来しており、オルガンやチェンバロの調子、調律を見るための試し弾きといった意味が由来である。最初期の鍵盤用トッカータは16世紀中ごろに北イタリアで現れた

 

発生~ルネサンス期 [編集]

16世 紀までの器楽音楽は、声楽アンサンブル用のポリフォニー楽曲の即興的転用あるいは編曲であった。オルガンは教会典礼における声楽ポリフォニーの伴奏楽器と して用いられていたが、これは合唱の音程を安定させることも目的のひとつであった。最初期のトッカータ的な特徴を持った楽曲は、教会で宗教曲を演奏するの に際して音を提示する(いわゆる「音取り」)行為を音楽的に発展させ、ある種の和声的進行に音階的走句をともなった簡単な即興曲であった。これらの楽曲は初期の段階ではプレリューディウム (Praeludium)、リチェルカーレ (Ricercare)[1]等と呼ばれていた

 

リュートやビウエラ等の撥弦楽器でも声楽ポリフォニーの編曲演奏は盛んであり、これらに対してもその導入部分として即興的な楽曲を演奏することが行われた。これらはRicercareと呼ばれる一方でTastar de Corde(伊)、Tiento(西)などと呼称されることもあった。これらはそれぞれ、「弦に触れる」「感触」の意味で、トッカータ Toccataと同様の意味を持っている。

 

オルガン用トッカータもこの系譜に属する楽曲である。トッカータの名称をもつオルガン曲を収録した出版譜は1590年代にはじめて現れており、代表的作品としては、アンニーバレ・パドヴァーノやアンドレア・ガブリエリのものをあげることができる。パドヴァーノの曲集 Toccate et ricercari dorgano 1604年出版であるが、パドヴァーノの没年は1575年であるので16世紀中ごろにはすでにオルガン用のトッカータが出現していた事がわかる。

 

このようなトッカータの発生は、初期バロックまでのトッカータで使用されている、旋法を明記するような曲名表記と関係している。たとえば、「第1旋法のトッカータ」は、そのトッカータがドリア旋法で書かれていることを意味しており、その曲がドリア旋法のポリフォニーの音取り、ないし導入に用いることができることを示唆している

 

ルネサンス末期~初期バロック [編集]

パ ドヴァーノやアンドレア・ガブリエリのトッカータは、単純な和声進行的部分と音階的走句部分の組み合わせで書かれていたが、和声進行的部分は次第に模倣 的、対位法的な曲想に置き換えられていった。パドヴァーノやガブリエリとともにヴェネツィアのサンマルコ寺院のオルガニストであった(ヴェネツィア楽派) クラウディオ・メールロは対位法的部分をともなったルネサンス的トッカータ様式の完成者と見なせる。

 

当時南ドイツでは多くの音楽家がヴェネツィアに留学しその音楽を輸入しようとしていた(ハインリヒ・シュッツなど)。鍵盤楽器の分野ではシュッツよりも1世代上で、同じくヴェネツィアで学んだハンス・レーオ・ハスラーがトッカータをはじめとするイタリア風の鍵盤音楽をドイツにもたらしている

 

ちょ うど同時期にフランドル・オランダにも優れたオルガニストの一団がいた。その代表としてあげられるのがヤン・ピーテルスゾーン・スウェーリンクである。今 日知られているだけでもスウェーリンクの手になるトッカータが十数曲ある。一連のファンタジアとともにスウェーリンクの作品群の主要な一角をなすこれらの トッカータは、形式上は和声部分または模倣部分と音階的楽句部分からなりヴェネツィア楽派をはじめとするイタリア諸派のそれと同様であるが、スウェーリン クのパッセージワークはイタリア風のきらびやかな楽句とは違い、より構造的であると評される。このようなパッセージワークの特徴は、バード、ブル、フィ リップス等のイギリスヴァージナル楽派の影響が色濃い。

 

しかし、音楽史の中でこの時期最も重要な鍵盤音楽の作曲家とされるのがジローラモ・フレスコバルディであり、彼の2巻のトッカータ集(第1 1615年/1637年改訂、第2 1627年)はこの時期のトッカータという形式における記念碑的作品とされる。トッカータ集第1巻へのフレスコバルディ自身による序文には演奏方法のための注釈が9項目にわたって書き記されており、その1番目には「(このような曲を)演奏するに当たっては、現代のマドリガーレにおけるのと同様、拍を強調すべきではない。演奏が難しいマドリガーレも、あるときはゆっくり、あるときは早く、また停止させるなど表情や言葉の意味に従って拍を変化させることによって演奏がたやすくなる」と書かれている。ここで言う「現代のマドリガーレ」とは、フレスコバルディの同時代人モンテヴェルディなどの作品などを指している。モンテヴェルディはマドリガーレ集第5巻(1605年)の序文で、対位法のルールに固執する第一作法 (prima pratica) を離れて、詩や言葉の持つ感情をより直接的に表現する第二作法 (seconda pratica) を擁護し実践している事を表明している。フレスコバルディの注釈は、鍵盤音楽の分野においてもルネサンス的形式を離れ、第二作法を推し進めていくのだという表明と考える事ができる。その意味で、フレスコバルディは鍵盤音楽において初めて真にバロック的な表現を用いた音楽家のひとりであるといえる。フレスコバルディのトッカータの特徴のひとつはある程度まとまった楽節を次々に繰り出す形式にある。これらの楽節は模倣的であったり走句的であったりするが、必ずカデンツァで終わる。このような楽節構成によるトッカータは後々まで受け継がれていく事になる。

 

こ うして、ルネサンス末期から初期バロック期にかけてはトッカータという形式におけるひとつの最盛期が訪れたといえる。この時期には、オルガン、チェンバロ といった鍵盤楽器の他に、リュート(ジョヴァンニ・ジローラモ・カプスペルガーやアレッサンドロ・ピッチニーニなど)やハープ(ジョヴァンニ・マリア・ト ラバーチなど)のためのトッカータも作られた。これらの作品はそれぞれの使用楽器のテクニックに則した独自の表現を持っているが、構成や走句の作り方など の面でフレスコバルディら鍵盤楽器のトッカータの影響を強く受けている。

 

中後期バロック [編集]

フ レスコバルディのトッカータにおける形式や表現法はその弟子たちによって引き継がれ、発展していった。ミケランジェロ・ロッシはフレスコバルディの半音階 やエキセントリックなリズム表現法をさらに推し進めた一方で、ベルナルド・パスクィーニはパッセージワークの技法において後期バロックに近い表現を展開し た。

 

フレスコバルディの弟子の中で今日特に有名なのがヨハン・ヤーコプ・フローベルガーである。 ウイーンの宮廷礼拝堂付オルガニストであったころ、ローマに滞在しフレスコバルディに学んでいる。フローベルガーのトッカータの楽節的構造はフレスコバル ディの影響と見られる一方、個々の楽節は概してフレスコバルディのそれよりも長く、また半音階や奇抜なリズム法はあまり見られない。結果として曲全体とし ての調和が図られている。フローベルガーはフランスの音楽にも造詣が深く、実際各地を旅し、同時代のフランスの音楽家にも影響を与えたと言われている[2]

 

フローベルガーに続いて、南ドイツではヨハン・カスパール・ケルル、ゲオルク・ムッファト、ヨハン・パッヘルベルといった作曲家が活発に優れた鍵盤音楽を作曲し、その中にも多くのトッカータが含まれている。

 

北 方ヨーロッパではスウェーリンク以来のオルガンの伝統があったが、トッカータはそれほど重要視されていなかったようだ。しかし、北方ヨーロッパの伝統を受 け継いだ中期バロックの作曲家として、今日ではディートリヒ・ブクステフーデがとくによく知られている。彼のオルガン用トッカータは構成や技法の観点から プレリューディア praeludia とか、プレアンビュルム praeambulum と題名付けられた作品と同種のものである。これらの作品では、即興的楽節と対位法的楽節が交互に組み合わされているが、それぞれの楽節は長く複雑である。対位法的楽節では厳格な模倣を展開する場合が多く、今日フーガと呼ばれるようなものになっている[3]。これらの作品は概して大規模であり、しばしば技巧的なペダル操作を伴っている。これらの特徴はヨハン・セバスティアン・バッハの同種の作品群にも受け継がれている。

 

後 期バロックにおいてはイタリアでアレッサンドロ・スカルラッティがチェンバロ用のトッカータを残している。これらは技法の面から見ると息子のドメニコ・ス カルラッティのソナタや古典派の鍵盤音楽に見られる常動的パッセージを多く含んでおり上で見てきたトッカータの歴史からは多少乖離した作品である。ナポリ 音楽院 (Conservatorio di Napoli) 写本 ms.9478 にあるトッカータの一つは、全曲にわたって指番号が指定されており、これらのトッカータは教育のためにも用いられていた事がわかる。これは、当時の運指法を知る上でも重要な資料の一つである。

 

後期バロックにおいてトッカータの傑作を残した最後の作曲家がヨハン・ゼバスティアン・バッハである。バッハは彼に直接影響を及ぼしたと思われるブクステフーデなどの作品をよく知っていたばかりではなく、より古い時代の音楽家の作品も詳しく研究していた事が知られており、フレスコバルディの「音楽の花束」(Fiori Musicali)やフローベルガーの作品を写譜していた事がわかっている。オルガン用のトッカータにおいてはブクステフーデの様式を継承するとともに、規模や様式的一貫性、複雑性をより発展させた一方、チェンバロ用のトッカータにはより古い時代のトッカータの影響も見られる。

 

古典期以降 [編集]

古典期にはトッカータと名の付く作品はほとんど作られなかったが、後期バロックのトッカータの持っていた常動曲 (moto perpetuo) 的な曲想はピアノ音楽に受け継がれた。数少ない「トッカータ」と名の付く曲でも、即興的楽節と対位法的楽節の組み合わせといった本来のトッカータの性質は失われ、専ら動きの速い反復音形や同音連打といった常動的側面が強調されている

 

古典派においてはムツィオ・クレメンティのソナタ作品11に含まれるトッカータが数少ないよく知られた例である。ロマン派におけるトッカータの代表例はロベルト・シューマンのトッカータ作品7である。

 

近代になるとより注目すべきトッカータの例が現れる。クロード・ドビュッシーの「ピアノのために」(Pour le piano) の第3曲や、モーリス・ラヴェルの「クープランの墓」(Le Tombeau de Couperin) 6曲はその例である。これらは曲の命名からして懐古的発想が伺えるが、楽想そのものとしてはやはり常動曲としての側面が強い。ラヴェルの「トッカータ」は20世 紀のピアノ曲の中でも屈指の難曲といわれる。同音連打が終始一貫して繰り広げられるのが特徴であるが、高速な同音連打は古い時代のピアノでは鍵盤の戻りの 悪さから非常に困難であったらしく、近代以降の高性能なアクション(打弦機構)が開発されてから可能になったとされる。プロコフィエフのトッカータ作品11もこの系譜の上に置かれる作品である。




http://blogs.yahoo.co.jp/maskball2002/60176045.html より引用

 「トッカータ」というのは16世紀中頃にイタリアで生まれた鍵盤楽器による自由で即興的な楽曲のことで、toccata動詞toccare(触れる)に由来したもので、調律の様子を見るための試し弾きといった意味合いを持っています。演奏家たちは自己の持つ演奏技術を、「トッカータ」という形式の中で十全に繰り広げ、その手腕を見せようとしていきました。時代を経るにつれて次第に「トッカータ」の内容は複雑になっていき、ブクステフーデの登場により即興的要素と対位法的要素が相互に組み合わされるような一大楽曲となり、バッハによって一つの完成をみることになります。





■http://www.three-elephants.com/column/2_2.pdf より引用

協奏曲の歴史


協奏曲(concerto)の語源はconcertare という単語で、ラテン語なら「争う」「競う」、イタリア語なら「一致させる」「協力する」という正反対の意味を持ちます1700 年以前には、この言葉は、さまざまな形式の、そして声楽と器楽を含めた極めて多様な演奏媒体に用いられていました。18 世紀初めになってようやくこの言葉は一貫して、急―緩―急の3楽章から成る、独奏者とオーケストラのための作品(ソロ・コンチェルト)、2 人以上の独奏者とオーケストラのための作品(コンチェルト・グロッソ)、あるいは分割されていないオーケストラだけのための作品(リピエーノ・コンチェルト)を指すようになりました。

協奏曲の歴史に大きな影響力を持ったのは、言うまでもなくイタリアの作曲家アントーニオ・ヴィヴァルディ(1678―1741)です。彼は司祭でありながら、ヴェネツィアのピエタ養育院のヴァイオリン教師もつとめ、施設に収容された少女たちの音楽教育と、施設運営の資金獲得のために開催されたコンサートのために、500 を超える協奏曲を含めた膨大な数の作品を作り上げました。彼の協奏曲が持つ、「3 楽章形式」や「リトルネッロの有機的な構成」といった特徴は、それらの作品が出版されることによって西ヨーロッパ全土に影響を与えていきました。イタリア化したワイマール宮廷やJ.G.ヴァルターの影響を受けたJ.S.バッハは、ヴィヴァルディの形式を採り入れ、ヴィヴァルディの幾つかの作品を含めてコンチェルトをオルガンやチェンバロ用に編曲(BWV592 97, 972 87)することによって、その形式を吸収しようとしました

リトルネッロは、イタリア語のritorno(復帰)から派生した語で、17世紀イタリアにおいては、オペラやカンタータのアリアの前奏、間奏、後奏として反復される短い器楽を、バロック時代の協奏曲においては、冒頭楽章や終楽章でロンド風に循環する総奏部のことをいいます。ロンド主題とは、リトルネッロが転調するという点において異なります。バロックから前期古典派の協奏曲における最大の特徴は、このリトルネッロ形式であり、これは、後期古典派以降の協奏曲では、ソナタ形式へとその座を譲ることになります




■Wikipedia: リトルネロ形式 より引用

リトルネッロ形式(リトルネッロけいしき 伊:Ritornèllo)は、西洋音楽の楽曲形式の一つである。

 

バロック時代の協奏曲に多く見られた形式で、リトルネッロと呼ばれる主題を何度も挟みながら進行する。ロンド形式と類似しているが、ロンドの場合にロンド主題が毎回同じ調(主調)で奏されるのに対し、リトルネッロ形式では、楽曲の最初と最後以外は主調以外の調で奏される。また協奏曲では、リトルネッロを全合奏で、リトルネッロに挟まれた部分を独奏楽器(群)が奏する。




■Wikipedia: カンツォーナ より引用

カンツォーナ(イタリア語:canzona)もしくはカンツォン(canzon)、カンツォン・アラ・フランチェーゼ(canzon alla francese)は、楽曲形式のひとつ。

 

ルネサンス期に発達した模倣楽曲である。この名称はイタリア語で歌曲を意味し、16世紀フランスのポリフォニックなシャンソン(chanson)を模した器楽曲のこと。その名のとおり、時として流行の歌曲などを主題として用いている。オルガンや器楽のための作品が多く、17世紀頃までは様々な作曲家がカンツォーナを作曲したが、以降次第に忘れられていった


本 "Canzona is non-religious music, played rather in streets."

 

フーガと同様の様式をもつものが多い。すなわち主調で示された主題に続いて、属調ないし属音を軸とした応答が示される。類似した様式を持つリチェルカーレやファンタジアに比べて、テンポが速く装飾に富んだ主題を用いることが多い。16世紀のシャンソンが、たいてい「ウン・タン・タン・タン(4分休符+4分音符×3)」のリズム定形で始まることから、器楽曲のカンツォーナも通常このパターンを踏まえて開始する。

 

カンツォーナは特定の形式を持たないが、曲はしばしば段落で区切られ、段落ごとに偶数拍子と奇数拍子の交代が行なわれる。これも16世紀のシャンソンの特徴を踏まえている。拍子の交代にあわせて主題も変形・装飾される。




■Wikipedia: リチェルカーレ より引用

リチェルカーレ (ricercare) はルネサンス音楽や初期バロック音楽における器楽曲様式の1つ。「リチェルカーレ ricercare」は「探求」を意味するイタリア語で、英語の research と語源を一にする。この名称は15世紀にはすでに用いられているが、これは前奏曲的な機能を示しており、後に続く楽曲の旋法や調を「探し求める」ことに由来する。

 

リチェルカールと称される楽曲には主に二つのタイプがあり、一つにはホモフォニックなスタイルで書かれた即興的なもので、トッカータに近いものである。 もう一方では模倣的な楽曲で、フーガと同様いくつかの声部からなり、曲の冒頭で一つの声部に示された主題が次々と他の声部に模倣される。ただし傾向として、ファンタジアやカンツォーナに比べると段落が少なく、拍子が途中から変わることはあまり無い1つの主題を持つものが多いが、2-3の主題を用いるものもしばしば見られる。時として主題は曲の途中から変形・装飾される。

 

主な作曲家 [編集]

 ジローラモ・フレスコバルディ Girolamo Frescobaldi (1583-1643)

 鍵盤楽器のためのリチェルカーレを多く作曲した。

 

 ヨハン・セバスティアン・バッハ Johann Sebastian Bach (1685-1750)

 「音楽の捧げもの」の2曲のフーガはリチェルカーレと題されている。