Girolamo Frescobaldi(1583~1643)
ジローラモ・フレスコバルディ
IMSLP , Wikipedia [J] , Wikipedia [E]
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■http://blog.goo.ne.jp/ogawa_j/e/04e196a4fa3b429e6a0697b0840af0b1 より引用
ヨーロッパ各国のオルガン音楽を聴く:(4)ジロラーモ・フレスコバルディのリチェルカーレとカンツォーネ
Girolamo Frescobaldi: Ricercari, et Canzoni Francese
TACTUS TC 58608
演奏:Francesco Tasini (Organo)
ジ ロラーモ・フレスコバルディ(Girolamo Frescobaldi, 1583 - 1643)は、オランダのスウェーリンクとともに、17世紀前半に多くの音楽家に影響を与えたオルガニストである。フェラーラで生まれ、ルッツァスコ・ ルッツァスキに教えを受けた。フレスコバルディは1604年までにはローマに行き、1607年にローマのトラストヴェーレ地区のサンタ・マリア教会のオル ガニストに任命されたが、同年にグイド・ベンティヴォーリオ枢機卿に随行してブリュッセルに行き、1年間滞在した後ローマに戻り、枢機卿の推薦でサン・ピ エトロ聖堂のオルガニストに任命された。その職務とともに、ピエトロ・アルドブランディーニ枢機卿など、ローマの貴顕達の音楽家として活動した。1615 年に1年間マントゥアのオルガニスト、1628年から1633年までフィレンツェの宮廷オルガニストをした後、1634年に再びローマのサン・ピエトロ聖 堂のオルガニストに就任した。
フレスコバルディは、生前に多くの作品集を出版しており、鍵盤楽器のための作品集では1608年から1635年ま でに6つを数える。そのほかにも声楽曲や器楽曲の作品集も出版していた。出版された鍵盤楽器のための作品集の中で特に有名なのは、1635年に出版された 「音楽の花束(Fiori musicali)」である。この作品集は、いわゆる「オルガン・ミサ」の形態を採っており、出版当時には希な存在であったが、その後多くの作曲家がこれ に習うようになった。その影響は、その後の世紀にもおよび、バッハは1714年にこれを筆写しており(この写譜は第2次大戦末期に失われてしまった)、 1725年に出版されたヨハン・ヨーゼフ・フックスの「グラドゥス・アド・パルナッスム」にも引用された。
フレスコバルディは、多くの弟子を持っていたが、その中で最も重要なのは、ドイツ人のヨハン・ヤーコプ・フローベルガーである。ほかにも多くのドイツ人がフレスコバルディのもとで教えを受けに来ていた。
今回紹介するCDは、フレスコバルディが1615年に出版した2つの作品集のひとつ、「リチェルカーレとフランス風カンツォーナ(Recercari et canzoni franzese)」を、フランチェスコ・タシーニがボローニャのサン・プロコーロ教区教会のオルガンで演奏したタクトゥス盤である。この作品集は、教会 旋法によるリチェルカーレ10曲と、カンツォーナ5曲からなっている。教会旋法は、グレゴリオ聖歌の基礎となっているもので、当初は4つの正格旋法と4つ の変格旋法からなっていたが、16世紀になってスイスの音楽理論家、ハインリヒ・グラレアン(Heinrich Glarean <Glareanus>, 1488 - 1563)によってさらに2つの正格、変格旋法を加えて12の旋法にすることが提案され、イタリアのジオゼッフォ・ツァルリーノ(Gioseffo Zarlino, 1517 - 1590)などによって広く受け入れられるようになった。この教会旋法の内、第6正格旋法からハ長調が、第5正格旋法からイ短調が生まれたと言われてい る。フレスコバルディは、教会旋法の1から順に1曲ずつのリチェルカーレを作曲しているが、その数は10曲である。これは、16世紀から17世紀にかけて 実践的に確かめられた、第5旋法と第11旋法、第6旋法と第12旋法が同一であるという考え方がその後理論化されたものに基づいている。したがって、リ チェルカーレは第1旋法から第10旋法までの10曲になったのである。
ボローニャのサン・プロコーロ教区教会のオルガンは、1580年にフェ ラーラのバルダッサッレ・マラミーニ・ディ・チェントによって建造されたもので、その後17世紀、18世紀そして19世紀に改造が加えられた。この録音に 用いられたのは、2009年に修復されたもので、18世紀にガッティ一族によって改修された状態を主として復元されているようだ。62鍵からなる鍵盤は、 修復時に復元されたもので、第1オクターヴはショート・オクターヴである。ペダルは同じくショート・オクターヴの18音である。レギスターはペダル用も併 せて18,ピッチは a” = 440 Hz、中全音音律に調律されている。
演奏しているフランチェスコ・タシーニは、ボローニャとミラノの音 楽学校で学び、オルガン、チェンバロ、作曲の学位を獲得し、奏者で活動するとともに、17世紀から18世紀のイタリアの作曲家の鍵盤音楽の楽譜の編纂も 行っている。現在フェラーラ-のG. フレスコバルディ音楽院の教師でもある。
タクトゥスは、イタリアのレーベルで、グレゴリオ聖歌から現代音 楽まで、幅広いレパートリーを有するが、オルガン音楽はその中でも主要な分野になっている。イタリアという地の利を生かして、イタリアの作曲家の作品をイ タリア各地の歴史的オルガンで演奏したCDを多く販売している。今回紹介するCDもその1枚で、現在も購入可能である。
発売元:Tactus
注)この項記述に際しては、CD添付のフランチェスコ・タシーニの解説や、ウィキペディア英語版のGirolamo FrescobaldiやList of Compositions by Girolamo Frescobaldiを参考にした。
■http://fiori3.exblog.jp/15318406/ より引用
音楽の花束 Fiori Musicali
2012年 05月 16日
「音楽の花束」(Fiori Musicali)は、イタリアの作曲家、ジローラモ・フレスコバルディ(Girolamo Frescobaldi)の晩年の傑作(1635年)で、オルガンとグレゴリア聖歌によるミサの曲集の名前です。
このフィオーリ・ムジカーリと言う曲集を、私は、イタリアオルガンアカデミーで、ピネスキー教授から、お教えいただいてきました。
フレスコバルディは、イタリアのフェラーラで、1583年に生まれ、1604年以降ローマで、オルガニストを務めて、1608年にはオランダに行き北方鍵盤楽派の作曲家たちと、出会いました。
そして、イタリアに戻り、ローマのサン・ピエトロ大聖堂のオルガニストに就任し、1643年に没するまで、生涯この地位にとどまりました。
その就任演奏会には、3万人もの市民が集まったと言われています。
この「音楽の花束」は、<主日のミサ><使徒のミサ><聖母のミサ>からなる3部作です。
それぞれのミサ曲は、聖歌隊のキリエ・クリステの聖歌を交えて演奏される、10数曲からなる荘厳な大作です。
私が特にフレスコバディから学んだのは、楽譜に書かれた通りの平板な演奏ではなく、彼がトッカータ集の序文で述べているように、トッカータの最初は、ゆっくりと、そして次第にテンポを上げる…など、とても自由で、しかもファンタジックな演奏をすすめていることです。
J.S.バッハもこの、「フィオーリ・ムジカーリ 音楽の花束」の写しを持っていて、対位法の技法を学んだと伝えられています。
J.S.バッハは、最晩年(1747年)に「音楽の捧げもの」という作品をフリードリヒ大王に献呈しました。
■ http://www.yamaha.co.jp/plus/person/?ln=ja&id=91 より引用
Girolamo Frescobaldi
1583~1643 イタリア人 バロック初期 作曲家 オルガン奏者
フレスコバルディはバロック初期のイタリアでオペラ作曲家のモンテヴェルディ(1567~1643)と肩を並べた鍵盤楽器の大作曲家/名オルガン奏者である。また、彼は弟子のフローベルガー(1616~1667 ドイツ人のウィーン宮廷オルガン奏者)を通してJ.S.バッハを含むドイツ・バロックの鍵盤楽器奏者たちに多大な影響を与えたことで知られている。
フレスコバルディはイタリアのフェラーラに生まれ、ルツァスキに師事し、1604年以降はローマの教会のオルガン奏者を務め、07年にオランダに旅行し、最初の「マドリガル集」をアントワープで出版した。08年からはローマの聖ペテロ大聖堂のオルガン奏者に就任し、1628~34年にフローレンス宮廷のオルガン奏者の仕事で大聖堂を抜けた以外は、43年に没するまで聖ペテロ大聖堂の職にあった。
フレスコバルディは鍵盤楽器用のトッカータ、リチェルカーレ、カンツォーナの形式を確立して、後のトリオ・ソナタやフーガへの発展に寄与した。また、フレスコバルディはオルガンの演奏面で"曲を几帳面に弾くと退屈に聴こえるから曲の始めはゆっくり弾き、続くセクションが生き生きするように"と言い、1627年に出版された「トッカータ集」の序文には"トッカータの冒頭はゆっくり、アルペジオのように弾き・・・・片方の手がトリルで、もう片方の手がパッセージを弾く場合は、トリルは速く弾き、もう片方の手は表情ゆたかに弾くこと・・・"とルバート奏法をバロック期に指導したことで注目されている。
(参考資料:中村菊子著 『ピアノレパートリーガイド』)
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Giovanni Gabrieli (1554?-1612)
ジョヴァンニ・ガブリエリ
Andrea Gabrieli (1510?-1586)
アンドレア・ガブリエリ
■http://blog.goo.ne.jp/ogawa_j/e/f4272930e4c9db15a7cc786650c30fcd より引用
ルネサンス、イタリアのオルガンで聴くガブリエリの作品
Gli Organi della Basilica di S. Petronio in Bologna - Vol. II: Andrea & Giovanni Gabrieli
Tactus TC 510001
演奏:ルイジ・フェルディナンド・タリアヴィーニ、リウウェ・タッミンガ
イタリアのボローニャにある聖ペトロニオ教会は、特異な外観を持った教会である。多くのカトリック教会のように石の彫刻で飾り立てたものではなく、上部はまだ建設中のように見える。しかし、その内部は堂々としたバジリカ様式の会堂である。そして祭壇を挟んだ両側にそれぞれ1基ずつのオルガンがある。祭壇に向かって右側にあるオルガンは、1471年から1475年にかけてロレンツォ・ダ・プラト、1531年にG. バッティスタ・ファッチェッティが建造したもので、現存する最古のオルガンといわれている。左側のオルガンは、1596年にバルダッサッレ・マラミーニによって建造された。いずれも1段鍵盤とペダルのオルガンで、パイプの構成も共通しているところが多い(写真は筆者が撮影)。
それも当然で、当初あったオルガンに加え、本来ミサにおける詩篇唱の交唱に由来する、二つの合唱隊が交互に歌う形式が発展した曲が多く演奏されるようになって来たことに対応して、もう一台のオルガンが増設されたといういきさつがある。ドイツのバロックオルガンのように多様な音色を持つパイプで構成されている楽器とは異なって、いずれもフルート系の上下オクターブを主体としたパイプを持つオルガンである。興味深いのは、いずれの楽器にも分割された鍵があることで、左側のオルガンでは、Gis/As、gis/as、gis’/as’、右側のオルガンでは、Dis/Es、dis/es、gis’/as’の鍵がある。これは、和音によっては、非常に不快な響きを発する、いわゆるウルフを回避するために設けられたものである。この様な15世紀中頃から16世紀にかけての音楽の状況を忠実に伝えている楽器が、現在も演奏可能な状態で、本来設置されたままの状態で存在していることは、非常に貴重である。これらのオルガンは、1977年から1982年にかけて、建造当時の状態に忠実に修復された。ピッチは a’ = 470 Hz、中全音調律である。
このCDに収められている作品は、ヴェネツィアの聖マルコ教会のオルガニストであった、アンドレア・ガブリエリ(Andrea Gabrieli, 1510 - 1586)とその甥、ジオヴァンニ・ガブリエリ(Giovanni Gabrieli, 1556 - 1612)の曲である。聖マルコ教会では、16世紀の初め頃から、当時のオルガニスト、アドリアン・ウィレールトによって、2つあるいはそれ以上の声楽、器楽グループによって交互に演奏される様式が導入され、これが次のジオセッフォ・ツァルリーノに引き継がれ、さらにアンドレア・ガブリエ、ジオヴァンニ・ガブリエリへと展開していった。ルネサンスの多声音楽から、通奏低音上に旋律を展開するバロック様式への移行段階の音楽様式である。
特にジオヴァンニ・ガブリエリは、明確に楽器を指定した伴奏に独唱を配した複数のグループにより奏される、ピアノとフォルテの強弱表現と、エコー効果を導入したことで知られている。この様式は、彼の弟子であるハインリヒ・シュッツ等に引き継がれた。
演奏されている曲は、リチェルカーレ、トッカータやカンツォーネなどの鍵盤楽器のための作品の他、モテットやマドリガーレと言った声楽曲の編曲も含まれている。ジオヴァンニ・ガブリエリの第1旋法による8声のカンツォンなど4曲と、アンドレア・ガブリエリのモテット1曲は2台のオルガンで奏されている。独奏曲は、アンドレア・ガブリエリの作品は古い方のオルガンで、ジオヴァンニ・ガブリエリの作品は大半が新しい方のオルガンで奏されている。
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Johann Jakob Froberger (1616-1667)
ヨハン・ヤーコプ・フローベルガー
■http://blog.goo.ne.jp/ogawa_j/e/79828a67a729f47f089f1ac7864f8609 より引用
ヨーロッパ各国のオルガン音楽を聴く:(6) ヨハン・ヤーコプ・フローベルガーのファンタージアほか
Johann Jacob Froberger: Complete Fantasias - Complete Canzonas - Toccatas
Aeolus AE 10501
演奏:Bob van Asperen (Organ)
ヨハン・ヤーコプ・フローベルガー(Johann Jakob Froberger, 1616 – 1667)の父はハレの出身で、シュトゥットガルトに移り、1621年に宮廷楽団の楽長に任命された。ヨハン・ヤーコプの成長期は、ちょうど30年戦争の最中で、その混乱で両親を失っている。ヨハン・ヤーコプ(以後フローベルガーと記す)は、21歳の1637年にヴィーンの宮廷オルガニストに採用され、その年の11月から3年半の間、イタリアのジロラーモ・フレスコバルディのもとで学んだ。ヴィーンに戻ったフローベルガーは、1641年4月から1645年10月まで、再び宮廷オルガニストをつとめた。1645年から1653年の間については記録が残っていない。しかしその間の1549年より前にフローベルガーは再びイタリアを訪れ、イタリア人の作曲家、ジアコモ・カリッシーミ(Giacomo Carissimi, 1605 – 1674)やローマで活動していたドイツ人のイエズス会員で学者のアタナジウス・キルヒャー(Athanasius Kircher, 1602 – 1680)に会っている。ローマからの帰路には、フィレンツェ、マントゥア、レーゲンスブルクに立ち寄り、1594年にはドレースデンで宮廷オルガニストのマティアス・ヴェックマンと競演をし、その縁で親交を結ぶこととなった。1549年8月に行われたマリア・レオポルディーネ皇妃の葬儀で、オラニエ候の大使であったウィリアム・スワンの知己を得て、その縁で詩人のコンスタンティン・ホイヘンスと知り合い、親交を結ぶこととなった。コンスタンティン・ホイヘンスは、天文学者クリスティアーン・ホイヘンスの父親である。その後もフローベルガーは、ユトレヒトやブリュッセル、パリなど、オランダ、ドイツ、フランス各地を訪れ、パリではデニス・ゴルティエや若きルイ・クープランにも出会っている。1653年4月には、再びヴィーンの宮廷オルガニストに就任したが、1657年に皇帝フェルディナントIII世の後を継いだレオポルトI世は、宮廷楽団を縮小し、フローベルガーもその地位を失うこととなった。その後1662年頃から、フローベルガーは音楽を愛するヴュルテンベルク=メムペルガルトのシビラ公妃の庇護を受けて、ヴュルテンベルク公領のメムペルガルト(現在フランスのモンベリア<Montbéliard>)にあるエリコー城に住んでいた。そしてフローベルガーは、1667年5月6日か7日に城内で卒中発作のため死亡した。
フローベルガーの作品の全体像は、未だに完全には把握されていない。ヴュルテンベルク公家に残されたはずの手稿は、行方不明になっており、時折現れる手稿によって、作品は増え続けている。2006年にロンドンのサザビーズで競売に付された自筆譜は、20曲を含み、その内15曲は未知の作品である*。しかし、この自筆譜の詳細は、落札者が非公開になっており、究明されていない。フローベルガーは、もっぱら器楽曲、特に鍵盤楽器のための作品を作曲した。それらの曲が、オルガン、チェンバロあるいはクラヴィコードのいずれで演奏されるのかは、しばしば判定が難しい。その作品に最も大きな影響を与えたのはイタリアのジロラーモ・フレスコバルディであるが、何度か訪問したフランスのパリやドイツ、オランダなどで出会った音楽家や作品の様式も取り入れて、独自のスタイルを生み出した。新しく見つかった自筆譜には、ルイ・クープランやフランソア・ロベルディ(François Roberday, 1624 – 1680)の影響が強く表れている曲が含まれている。特にフーガ、そして組曲やトッカータは、 ベーム、ラインケン、ヴェックマン、ブクステフーデ、パッヒェルベル、そしてバッハに至るドイツの音楽家達の作品に大きな影響を与えた。
今回紹介するCDは、エオルス・レーベルがボブ・ファン・アスペレンの演奏で、”Froberger edition”と題してシリーズで発売しているものの第5巻である。第1巻から第4巻までは、主に組曲をチェンバロで演奏しており、この第5巻は、ファンタージアとカンツォーナの全曲およびトッカータ4曲をオルガンで演奏している。現在第7巻まで発売されているが、第6巻はリチェルカーレ全曲、第7巻はカプリッチョ全曲を収録している。トッカータはこれまで20曲有ったので、残りの16曲は、いずれ録音されると思われる。なお、これらの曲数の中には、2006年に存在が分かった前述の自筆譜に含まれる今まで未発見の15曲は含まれていない。
アスペレンが演奏しているのは、イタリア、ボローニャの聖マルティノ教会にある、1556年にフェラーラのジオヴァンニ・チプリによって建造されたオルガンである。チプリの当初の構想では、ピッチ a’ = 465 Hz、音域はショートオクターヴを含むFF - c”、10のレギスターを有するものであったが、建造1年後に”Cornamuse over Corneti”という、おそらくはレガ-ルのようなリードパイプを追加した。2世紀後の1752年から1755年にかけて、フィリッポとフランチェスコ・ガッティが鍵盤を5オクターヴに拡大し、”Voce Umana”を追加し、ピッチを約半音下げた。さらに1817年に、ヴィンツェンツォ・マツェッティが3つのレギスターを付け加えた。1979年から1995年にかけて全体的は修復が行われ、オリジナルの構想をもとに復元された。現在のオルガンは、音域C - c”’ の57鍵(ショートオクターヴを含む)、12のレギスター、音域C - Gisの17鍵盤のペダル(ショートオクターヴ)を有し、ピッチはa’ = 435 Hz、中全音音律に調律されている。このオルガンは、すでに紹介したボローニャの聖ペトロニオ教会やサン・プロコーロ教区教会のオルガンと建造時期やパイプの構成に大きな相違はないが、演奏しているファン・アスペレンのレギスター設定のよるのか、場合によって非常に輝かしい響きがする。特にこの楽器の基礎となるプリンシパル系のパイプの積極的採用が、そのような響きを生み出しているのだろう。
エオルスは1997年にクリストフ・マルティン・フロムメンとウルリヒ・ローァシュナイダーによって創立されたドイツのレーベルで、拠点をケルン近郊のノイスに置いている。そのレパートリーは、バロック音楽、特にオルガンとチェンバロの曲を中心とし、すべてオリジナル楽器による演奏によっている。今回紹介したCDは、現在も入手可能である。
発売元:Aeorus
* この2006年にサザビーズで競売に付されたフローベルガーの自筆譜については、ファン・アスペレンによる総括的な報告が、イリノイ大学が刊行している”Journal of Seventeenth-Century Music”, Volume 13, No. 1に掲載されている。Bob van Asperen, ”A New Froberger Manuscript”
注)フローベルガーの生涯と作品については、CDケースに綴じ込まれた小冊子のファン・アスペレンによる解説と、ウィキペディアドイツ語版の”Johann Jacob Froberger“を参考にした。
■Wikipedia: フローベルガー より引用
ヨハン・ヤーコプ・フローベルガー(Johann Jakob Froberger, 1616年5月18日? シュトゥットガルト - 1667年5月7日)は、ドイツ人の初期バロック音楽の作曲家。フレスコバルディ門下の鍵盤楽器演奏の達人。ヨハン・ゼバスチャン・バッハに先行する重要な鍵盤曲作曲家の一人とされる。
生涯 [編集]
1616年、シュトゥットガルトに生まれたフローベルガーは、音楽の手ほどきを父親から受けたと考えられている。1634年にウィーンに移り、1637年に当地の宮廷オルガニストとなっている。そして同じ年、イタリアはローマに遊学し、フレスコバルディの門下に入る。1641年にウィーンに戻ると、1657年までこの地に居を構えたが、その間フェルディナント3世の外交官として、各地を歴訪した。ブリュッセル、ドレスデン、アントウェルペン、ロンドンなどを訪れているが、フローベルガーの生涯にとって中でも重要なのはパリで暮らした3年間(1650年 - 1653年)である。ここで彼はフランス風の作曲技法を学んだ。フェルディナントの死後はアルザスに移り、1667年、エリクールに没した。このような人生をたどったフローベルガーはコスモポリタンであり、そして自らの作曲にもフランス語の題名や、フランス語風のフロベルグ(Frobergue)というサインを好んだ。
作品 [編集]
英語版に作品リストがあります。
フローベルガーの現存作品は、大量の鍵盤楽器(オルガン、チェンバロ、クラヴィコード)のための作品、数十のチェンバロ用組曲と、2つのモテットである。幾つかの聖体奉挙のためのトッカータとモテットのみが宗教曲で、多くは世俗曲である。
フローベルガーの作品は、現在、主に次の3つの形で伝わっている。
・ウィーン写本。フェルディナント3世に献呈された、豪華な装飾本の『第2巻』(Libro Secundo, 1649年)と『第4巻』(Libro Quarto, 1656年)それぞれ4章に分かれており、24の作品を収める。
『第2巻』:6つのトッカータ、6つのファンタジア、6つのカンツォーナ、6つの組曲。
『第4巻』:6つのトッカータ、6つのリチェルカーレ、6つのカプリッチョ、6つの組曲。
・『カプリッチョとリチェルカーレ集』(Libro di capricci e ricercate, 1658年ころ)。6つのカプリッチョと6つのリチェルカーレを収める。