私たちは様々な物事に意味を付けて、それに従った感情を発生させて生活しています。
例えば、仕事でクレームを受けて、お客さんに謝罪をしに行くとします。
烈火の如く怒っているお客さんの話を聞き、謝罪して対応策を提示し、納得して頂かなくてはなりません。
「嫌だなあ」とか「行きたくないなあ」とかネガティブな気持ちになるかもしれないですよね。
この嫌だなあという感情は、お客さんへの謝罪が自分にとってマイナスの出来事だと意味づけをしているから起こります。
この意味づけは、過去の経験や過去に得た知識によって自動的に当てはめられています。
しかし、私の知る、とある大企業のクレーム処理担当課長は違いました。
お客さんの怒りが強いほど、クレームが解決困難なほど「よっしゃ!必ず解決してやるぞ!」とワクワクした闘志がみなぎるというのです。
彼はクレーム対応をネガティブに意味づけしていません。
まるでゲームを攻略するかのような感覚を持っているのです。
なぜでしょうか?
それは彼が過去の経験で、真剣に真摯に、お客さんに寄り添ってクレームの解決に尽くし、お客さんを納得させられれば、そのお客さんは逆に彼を認め、信頼を増してくれる可能性が高いことを知っているからです。
すべてがそうなるとは限りませんが、それが次の仕事の利益に繋がると分かっているのです。
更にクレーム解決について考えたり行動する時には、ネガティブな逃げ腰の姿勢で望むより、解決して見せるぞ!というポジティブに立ち向かう姿勢のほうが、良い仕事ができます。なにより、クレーム対応を楽しむことが出来るのです。
このように、物事に対してどう意味を付けて、どう反応するかは人によって違います。
おなじ事が起きても、人によってはネガティブに反応したり、ポジティブに反応したりするのです。
この違いの鍵は「物事にどんな意味をつけるか」です。
ネガティブな意味をつければ、ネガティブな感情が起こります。ポジティブな意味をつければポジティブな感情が起こります。
「嫌だと思わないようにしよう」とただ自分に言い聞かせてもだめです。
ネガティブな意味づけをしている限り、感情もネガティブになります。感情だけを変えようとしても無駄なのです。その元になる対象への意味づけ(認知)を変えれば、感情も自動的に変わるのです。
そして、この意味づけはあなた自身が決めているということに気づけば、あなたは無意識に過去の経験や知識に従って意味づけをするだけではなく「どのような意味づけをすれば、私にとってプラスになるか」を基準として、意味づけを新しく選び直すことができるのです。
あなたの過去の経験や、過去に得た知識はあなたの個人的なものであり、それが必ず正しいということにはなりません。
違う解釈や意味づけをしてもいいのです。
それを理解すれば、ただ無意識に過去の経験や知識に従って自動的な反応をする以外の「別の反応」を、自分で選択することも可能なのです。
それを実行できるようになれば、あなたはどんな出来事に遭遇しようとも、それを自分にとっての糧として活かすことができるようになります。
そして、感情のコントロールも出来るようになります。
よく考えてみてください。
あなたが疑うこともなく「これが正しい」と思っている意味づけ(認知)は、実はあなたの個人的な思い込みに過ぎないのです。
現にあなたの意味づけ以外の意味づけをしている人もいるからです。
正しいと信じているうちは、それを変えることはできません。
しかし、すべての意味づけは個人的な思い込みの結果なのだと看破することで、自由に選ぶこともできるようになるのです。自分で、自分に有利な意味づけを設計することもできるようになります。