最近、波動や気というテーマについての本をよく読んでいます。

波動や気、これは私の今までの人生経験を思い返しても確かに「有る」と感じています。
理屈で考えれば、とても無理だと思ってしまうような状況でも「気持ちが乗っている」ことで突破できたことが沢山ありました。
逆に、理屈で考えれば簡単なはずなのに、気持ちの問題で出来なかったという経験もあります。

理屈や客観的認知(と本人が信じている)を超えた、体の状態というのは、確かに存在していると感じるのです。
考えて概念として表すことは出来なくとも、実際に存在しており、それによって環境に対する私の反応や対応が変わるということは、経験による事実として実感することができます。

波動や気とは、いったい何なのか?
と考えましたが、答えは「思考や概念で表すことができないもの。思考や言葉や概念で表そうとしてはいけないもの」だという結論になりました。
かつてブルース・リーが言った「考えるな、感じろ」ですね。

私たちの思考は、自身の波動の状態に従って自動的に生成されているのではないかと思うのです。
気分が良い時(波動が良い時)は楽観的に考えられることが、気分がすぐれない時(波動が悪い時)には悲観に傾いてしまうように、同じ環境であっても、思考の方向性、思考の流れが変化します。
つまり、私たちの思考は、その時の波動の状態に支配されているわけです。
思考とは、私たちの波動の状態を、現実世界と呼ばれる外部環境に対して、個別具体的に表現するための変換器でありツールではないかと思うのです。
思考だけでなく、感情や気分、肉体の自律神経の働きに至るまで、全てが波動の支配下にあり、波動の影響を受けて現実世界に具現化した成果物なのではないでしょうか?

ですから、波動や気に関して、思考を用いて言葉や概念を付与すること自体が間違っていると思います。
思考や言葉というツールでは、それ自身を支配する波動や気を正確に定義することはできません。
そもそも、思考にそれができる機能も能力もないのです。
思考によって無理に言葉や概念を与えれば、波動や気の本質を歪める結果にしかなりません。
波動や気という名称すら、本質を歪めるかもしれませんから本当はつけるべきではありません。しかし最低限の呼称がないと認識すら出来ませんので、便宜上必要であり、出来れば名前すらつけないほうが本質に忠実でしょう。

私たちは、思考(言葉や概念)を用いて波動や気の正体を突き止めようとしてはいけません。
ただし、思考で定義できなくとも、波動や気が存在し、それが自身の人生に大きな影響を与えていることは実感できます。「それを定義できないが存在はしている」ことは認めることができます。
そして、思考(言葉や概念)を用いずに、感覚として波動や気を感じ取ることができます。
その時に感じる感情や気分が大きな指標となります。

ですから、思考を無視して、先に感覚を整えることが大切だと思うのです。
私たちは思考を抜きにして、過去の整った良い感覚をイマジネーションによって再現することが可能です。
それが波動を整えるということです。
その後に、波動の状態に沿った思考が展開されていきます。

波動や気に対して思考(言葉や概念)を持ち込むから波動を自ら乱してしまい、自ら人生に機能不全を起こしているように思えるのです。
波動の状態と思考や言葉を切り離し、混同しないことが波動をコントロールするために必要な要素だと思います。