ただ佇んで、野に咲く花を愛でるだけで幸福は感じられる

人間は長らくそのようにして生きてきた。
人類の数百万年もの歴史に比べたら、今のような物や出来事に囲まれた時代などほんの一瞬のことだ。

私たち人間は、数百万年もの間、肉体を維持し種を残すための本能に従って、情報と思考を使って右往左往しているだけなのである。
そして長くとも数十年生きれば、肉体は滅び、本能も情報も思考もなんの意味もなさなくなる。

ただ、今この瞬間に自然と繋がっていることに満足すればいい。
思考を空っぽにして道端に咲く花をただ眺めるだけでも、私たちは生きることそのものの価値を感じることができる。

現代社会の複雑怪奇なロジックは、人間の思考機能では管理できない。
私たちは大きな流れに従って、行き着く所に行き着くだけである。

その大きな流れを、思考で攻略しようとしても打ちのめされるだけだ。
人間は、今この場所で、ただ「存在している」ことを心地よく感じることができる。
それを見えなくしているのは、大きな流れに思考で対抗しようとしているからだ。

私たちは大きな流れに従ってただそれを受け入れることしかできない。
変えようとしないことだ。
ただ受け入れて、調和するのである。

その上で、日常の個別具体的なロジックの解決に、思考という脳機能を使うのである。
それが思考の本来の使い方なのだ。

思考で人生に対抗してはいけない。
それは苦しみ多く、喜びの乏しい人生を引き寄せる。
本来の私たちの精神の使い方から外れているからだ。