他人から嫌われたくない。
よく思われたい。
他人から嫌われるのが怖い。
他人から低い評価を受けないか不安だ。

だから、いい人を演じて自分をすり減らす。
過去の私はそうでした。

でも、今の私は考え方が変わりました。
そもそも他人に嫌われないようにするのは無理なんだと気づいたんです。
現実として、どんな聖人君子であっても必ず誰かからは嫌われます。
特に仕事をしていて、責任が大きくなればなるほど、責任を果たすために誰かに嫌われなければならなくなります。憎まれることもあります。
仕事の責任を果たすということは、誰かから嫌われることだと言ってもいいくらいです。

他人から嫌われたくない。

この望みがそもそも間違っているのです。
現実とかけ離れているのです。
そんなことは、この地球上の人間には不可能です。どんな人でも、そんな生き方はできません。
あのイエス・キリストでさえ、アンチから嫌われ、憎まれ、殺されてしまったでしょう?
有名人には必ずアンチがいます。
名宰相と言われた田中角栄元首相も、演説で「私の悪口を言われない日はない」とおっしゃっていました。
田中角栄氏は、嫌われることを「当然のこと」と受け入れていたのです。

嫌われたくないと思っている人は、裏を返せば誰からも嫌われないように生きることが出来る、という期待を持っていることになります。

もし、嫌われずに生きることなどできるわけがないと思っていたら、嫌われずに生きたいという期待も生まれません。どうやっても嫌われる事があると受け入れるしかないからです。

そして、他人は他人の個人的な価値観や、その人の勝手な損得であなたや私を嫌います。
また好きになったりします。
あなたに関係ないことでも、誤解してあなたを悪く思う人もいます。
それはどうしようもないことなのです。

誰からも嫌われずに生きられる人などいない。

これが現実なのです。

この現実を受け入れずに、嫌われずに生きることができるはずだとか、若しくは嫌われるのは自分に原因がある、といった現実と乖離した間違った期待や思い込みが、苦悩の原因なのです。

わざと自分から嫌われにいく必要はありませんが、自分をすり減らしてまで人から嫌われないように合わせる必要はありません。
嫌われたくないと無理に自分を抑えて生きるあなたを嫌う人だって必ずいるはずです。

誰かから嫌われるのは当たり前のことですし、あなたの責任でもありません。

そのような現実の姿を認めれば楽になれます。
たとえ他人から嫌われようと、それは当然のことであり、それとは関係なく、自分は出来る限りの愛や親切を示せばいい。見返りを求める必要なんてありません。
他人からの承認を望み、他人からの不承認を恐れるなんて馬鹿げています。
自分が誰かに示す愛で、自分自身を癒やせばいい。自分の気持ちを満たせばいい。
それを相手がどうとらえるかは関係ありません。

それが正解だと私は思っています。