ディストピアーメネ、メネ、テケル、ウパルシン | gkmirage332のブログ

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🎃クリア蜘蛛の巣French♡

🎃フランケンシュタインFrench👻

 

秋の夜長に読書ーーーー筋書きは暴力的ですが、きれいな表現もありますーーー( *´艸`)tweet

雪はまるで裂けた枕が撒く羽毛のように、空から降ってきた。大きな、暖かな天候の薄片に見える。寝室の窓の外をそれが舞いながら落ちていくと、星の光が倍も明るくなったように思えた。その少女のベッドで私は意識を取り戻し、雪が降っているのを眺め、自分の中に平穏な気持ちがあることを感じた。-------(抜粋)

 

羽毛で表現されることが、衛生的な加工処理が済んだ羽毛布団であればですが。鳥の羽の印象は、鳥の具体的な被害にあった場合、想起することが、クリプトコッカスであったり、細菌類、餌は養分なので、餌の周囲には養分を利用してコケや植物が繁殖します。糞は生物の餌(養分)です。実際バルコニーのコケの繁殖が抑えられない。羽は舞い降りて時間が経過するとともに、その先端に粉塵をかき集め巨大な埃・ゴミを形成し始める。その形状が影響して、かなり短期間のうちに埃に形状を与え、新たな生物を呼びよこす。負のエントロピーの力を宿していて、鳥から離れてなお生物の形状は他の生命体を呼び、生命をまかりなりにも宿した腐敗物と化していきます。分解者が息吹をということです。これを通常は汚いと表現するものです。一般に衛生を保つことをよいと私たちは長い歴史の中で学びました。ですから、非日常に起こるものととらえられればいいでしょう。2014年5月、旧来の鳥獣保護法に、適正数に積極的関与することを織り込んだ、鳥獣保護管理法が施行されました。よその国の〇〇っ子政策に近いです。生まれるのを防止するのではなく、生息する数を積極的に管理(死滅させる地域を決めて)するものです。駆除が施策内に入るので人間への対応とは異なりますが、その数を適正数とすることは同様です。数を問題にするということはトロッコ問題の倫理性が大きく関与しますが、例えば、デブを一人殺して3人の命を救う。または殺傷行為なのでデブ一人を殺さずに3人を見殺しにする。これは保護法でいえば、殺傷行為なのでデブ一人生きるという選択でしたが、殺傷行為をみとめて積極的に選んでデブを殺して適宜死滅させる方針をとることになったのです。誰がそれを決めるのかということですが、既得権が関与しますよね。〇○○様。迫害や差別。既得権益を利用して、死滅できる、本当にお札の顔って不思議です。上には上が、下には下が。偏見と差別のオンパレードで気持ち悪いです。変な人多いですよね。公務員かもしれない。鳥インフルの映像が特に印象に残っています。実際、人も同等にいっぺんに焼き殺して、鳥と同等に埋め立てて慰霊碑一本立てて済ましたことを思えば、人も動物も同じだといえますが、歴史的に人間にしたことがあるので、動物にも適応していいという考えです。仮に羽毛が想定するものが腐敗であったなら、それは綺麗な記述ではないかもしれないですね。降雪は腐敗物が付着して着地することはありません。この場合はきれいな状態をイメージすればよいでしょう。生物のなかで人間は最も汚れていて、汚す側でしか生存を可能にしません。だから、他の自然や動物や植物に持ち合わせることのない美しさを求めます。浄化、これらは自らの汚れ・穢れを清めてくれる他者を求めているに過ぎないのです。ですから、個々人の生命体があるいは求めないということであれば、神がかり的な他者性はもはや意味は為していないといえます。

 

功利主義がいいとして、平和を求めて、何が争点かというと。権利の訴求する時点が争いの種。時点の調整は、人種・品種交配で達したら気持ち悪いなって思いますが、他にさかのぼって公平性の求めようってあとは核なので、他人事ですよ、たぶん自分じゃない誰かを使って平和を築こうという方向です。ちょうどOnly黒のウィンターシーズンものが色違いでした。ブラッキー。ラテン語ですかね。でも多分優性遺伝子なんでおそらくそういう結末ですね。。。だんだん黒っぽくなってくるということでしょうか。悪貨は良貨を駆逐する(良い悪いが差別的なんですけど)

「グラフィックがうつくしいこの慣れ親しんだ「ちびくろ・さんぼ」岩波書店版は、1988年に黒人差別だとの批判により絶版になりました。その後、こんなに親しまれた絵本、原本のヘレン・バーナーマンの絵によるものが径書房から、このドピアスのものもが瑞雲社からでました。 この本は岩波書店版 昭和28年初版の33年6刷 カバー破れ 岩波書店」霊長類をパティにしたり、絶版ものを出版していたり、いろいろ浅黒いブラックさをときどき感じます。

ちなみに乱暴に時点調整すると、ダニエルの火ということで、(知見・知識を焼き払う)広島みたいな平和です。〇〇〇均一がいいですよ。軽減税率で煩悩かって思いますけどね。無知のヴェール。

メネ・メネ・テケル・ウパルシン。

いないほうが幸せなんじゃないか。互いにナイスにできない。私東北出身なんですが、今日も、都内の慣習にいっこうになじめないとつくづく実感しました。ずかずか感のある、事前アポイントのない個別訪問です。訪問は必ず、つま先を入れてくるんです。内カギをしていなれば強引に開けてきます。驚愕!インターホンはまかりなりにも設置されているものの、ドアをトイレのようにノックしかも2回ノック!トイレですね。面接訓練で指摘されない世代です。さらにです。まさかのドアノブ旋回です!都内の慣習いまだになじめません。1階にオートロックが設置してあるんですが、施錠していないため入ってこられ、私からすると非常な身なりの老齢なので徘徊かなにかされているんでしょうか?仕事の素振りでいらしてるような、よくある中小企業の過保護でしょうか?(私は純粋価値を重んじて意味のない活動を過保護と総称しています。)本当になじめないです。特にドアの旋回。空いたら入ってこられる方いらっしゃるんですね。物の紛失時疑います。こういう方が慣習上存在していると。文化の違いに驚きました。親族ではないのに家の中に入る点、承諾なく入られるのは驚きです。同居の方であれば分かりますが、節操ない雰囲気を感じます。中小企業の保護の方にわざわざお会いしたいとは思いません。日本の就業はほとんど時間の拘束なので行き過ぎたサービス考案が多く、システムやペーパーで済むと思うことがほとんどです。何かメリットがあるんでしょうか。コミュニケーション取りたいと思えない企業が大半なので、知らない方に訪問・声を掛けられる(ナンパみたいです。年齢が上過ぎてそう取れないでしょうけれども。)通知以外に接触しようとすること自体気持ち悪いです。二度と来ないでほしいです。それでなくても間抜けな住人などの会話が聞こえる施工のダサいマンションでして、本当にディストピア的です。昨日も狂気の沙汰でした;;。時々発狂するんですが、ホルモンバランスの乱れ、更年期のイライラです。隣家の騒音に対抗すべく、ビーバーの鳴き声を流して、自分自身身代わりみたいにしてしまいました。あーっ!あーっ!とってもかわいいビーバーで、私の世代ってジャスティン・ビーバーではなく、ティンバーレイクなので、若者ぶった気持ちにもなり、隣家かなりな老人なんですが、若年層の異性がいらっしゃっているので、すごくっていうかなんか気持ち悪さでいっぱいで、同年代以外で・・・ってことですかね。老人なので、老人ホームっていうか、もう少し壁の厚いところへいかれたほうがいいんじゃと思うんですが、気持ち悪いです。結構な頻度いらしてるようですけど、ボロアパート並みの環境下へ来る気になる環境は貧困だなと思います。日本は貧困なので、ユニセフであるとか、厳禁ではないかと改めて思います。プライバシー侵害が気にならなくなってきた場合、文明ではなく、未開です。社会的意義を求めた、ギブミーチョコレートのもじりみたいな支援気持ち悪いです。1チョコ フォー 1スマイルみたいな笑顔の教養?強要気持ち悪いですね。大手のスマイル0円販売真似たんですかね。商業主義隠すところがどうかしてると思いますけど。ユニセフって日本の人相の悪い方の写真載せて募金活動したことあるのかなって思うんですよ。貧困って人相にも影響あると思うので、アフリカって貧困なんですか?ちょっと日本の貧困のほうが嫌すぎて、アフリカって豊かに見えるんですが。スタイルいいし、顔も日本人の変わった虫見たいな層とかぎょろぎょろした眼球の世帯とか瞬時に気持ち悪さを覚えてしまう層と比較して富裕層なんじゃないですか?よく出回っている顔のきれいなアフリカの女の子って日本人に比べて貧困感じることあるんですか?よくわからないです。水道ですかね、たらいで水くんでることを貧困と呼ぶんですか?隣家の気持ち悪いプライバシー公開のほうが貧困ですよ。老人だから許されるとでも思っているのか、都民だからいいと思っているのか、着衣失効(下着で共用部分を歩行)に、ドバトを30羽以上飼っている状態(ベランダで餌を与える)でフンの処理しない隣人なんて貧困ですよ。老人の嫌いな方って、誰にも相手にされないむなしさを周りに嫌がられる態度で示してくるってところだと思うんです。嫌われるのは仕方ないですよ、汚い顔に汚い姿勢に、汚い皮膚。老化ってそういうものですから。老人が集団で自決してくれるような提案している人いますよね。でも日本は生存権があるので、そこが動かしようないというものなんです。そもそも小学校から高校くらいまで学際で長縄とかやっている国でどうでもいい生命保存で斬殺シーンを目の当たりにせずに済む自由を優先しているわけで、校庭で組体操してそれはそれなりの豊であって確かに血痕を目にしない自由は重要です。鼻血も見なくて済む自由は大切です。日本で節操な商業主義でプライバシー侵害してくる必要物資売っている公務員とか貧困オンパレードなの気持ち悪くないですか。十分相対的貧困国ですよ。アフリカより。アフリカに移住してアフリカの支援受けているひとの振りしだす日本人なんていますよ。絶対。たらいに水入れて運ぶの平気な貧困層いますって。日本精神的貧しいですよ。よく、認めてほしいのアピールされて、日本人て他人に基本的に興味ないので認めてほしいアピール、遭遇する人結構いると思うんです。そういうアピールって気持ち悪いって、その都度貧困感じるんですよ。今なら特に外国人留学生ですかね、駅前の投資が異常だってところをついたのか、完工後数年位外国籍が販売してるのを見かけました。平均的な顔立ちの普通の層に「必要ではないものを買ってほしい」といったビラを見せられたんです。彼女が買ってほしいものはどこにでもあるような何かだったと思います。でも、絶対いらない何かでした。身売りみたいにみられないか、あとから気になったんですが、貧困ビジネスにつけ込む事業はたくさんありますから、需要を作り出してか供給すればいい。ペンなんて安く手に入るものですが、その場で今すぐって需要をみたして、いくらか値段がつくかもしれないという相対的価値を出せていないのに、ビラの選択です。学費だったら、育英会か、学費捻出用の制度利用すればいいんだと思います。アメリカだったらアルバイトですかね。必要な技能を買う方はいるんじゃないでしょうか。

 

ーー神と鬼との関係は近代合理主義の善悪・美醜の対立ではなく、鬼は醜いとしても対抗する神は美ではなく、浄である。美とか道徳といった理念はいわば蒸留酒のような近代的理念であって中世人の人間観には適合しない。戦いを好む修羅の本性や女の情念や物狂いの妄執といった一言でいえば人間の狂気というものは一面で非人間的なものでありながら、多面で極めて人間的なものである。狂気の源泉である神や鬼を追放したところに近代人の言う人間性の理念が生まれたのであろう。狂気を追放したはずの理性が狂気によって復讐されているのが現代だともいえるだろう。ーー日本人の宗教意識/湯浅泰雄

まさに鬼ですね。こころ鬼です。

 

 

ふわふわです(*´ω`*)うちの子のベッド・・・・(*ノωノ)

 

極北 マーセル・セロー 

極北

主人公の父親が首謀者で対抗勢力が家に押し入ったことにしたがったという犯人の告白が後半、主人公が顔に石灰を投げられた跡があり暴行があったことが中盤よりやや前に明かされ、囚人たちを移動させながら生活をさせるために汚染された都市ゾーンへ物資を調達させる。ロボット用として汚染されたゾーンから物資を調達した後、殺す囚人を適度に調達して、適度に選んだ囚人に管理させる。互いが互いを監視して、殺すシステムを自浄効果のように描き出し、支配層的立場を作り、主人公を暴行した犯人はその支配層的地位にある一人を吊るし、殺害する。まるで正当な行いを被害者である主人公に認められるように行動する、主人公が汚染領域を出入りした後、殺害されるであろうと思うことを利用して、犯人が殺さずに馬を殺せと命じ、馬を殺したときに「イザベルめ」の一言で犯人であることを確信、我に返った救い主などではない加害者を殺害する。救済した側に立てれば、犯人の犯した罪がもみ消されるとでもいうかのような筋書きで、「助ける」という立場に立ったことを誇らしげに利用する野蛮さを見ることもなく死んだ、知能を利用された囚人との子供を出産するものの、バビロン捕囚さながら、ユダの移住させて知能を利用されただけの子孫が希望なのか。本人の意思にかかわらず、移住させて嘲笑するスタイルは、どこぞのやり口そっくりである。ODAも似ているとよく言われるものである、先進国は助けた体で利潤を得る。金融詐欺を投資と呼んで、出口戦略で投資回収率を上げるために暴力的手段も厭わない。人は横領と呼ぶかもしれない出資者とは投資回収率を変更されることを忌み嫌う。回収見込みのあるものに近づいて、失敗したときの窃盗団のごとき振る舞いはよくある。心象なんて言葉をよく用いたもので、状況を作れば気持ちよく強盗できる。気持ちよさまで求める、援助である。援助のさすものとは、往々にして、援助した側の援助であるから、逆転の法則、反対の法則を著者は中盤指摘しているが、再認識の過程で捻じ曲げるような状況を生み出す天才がどのような環境にも生息している強い生命力をもったいわばゴキブリのような存在がある。黒くて強くて生命力にたけ、水とたんぱく質でどんな環境も難なく生き抜く。サバイバー。カラスなんかではなく、繁殖力が強く、絶滅危惧なんてされない堅牢性である。国の肥沃な大地やら、資源を正当な心持で奪取できるように仕組みを作る。終始、利用された人の嘲笑がついて回る、気持ち悪さです。

 

ゾーンという放射能汚染がうかがえるエリアから物資を調達するという甚だ原始的世界感で「ダニエルの火」がゾーンに存在するという、絶望的世界観の理由はウランを思わせる。キリスト教の「ダニエルの書」にあるダニエルだとして、捕囚した囚人を監視させ自治区を取り仕切ったボースウェイトが殺害されるくだりは、ダニエルが君主の交代を予知する逸話と重なる。ダニエルの火と表現したイーベン・カラードが強盗の実行犯で、首謀者は首を切って自殺した父だという。退廃的筋書。

 

文明の象徴として飛行機が随所に登場して、技術の進歩はしているものの、人々は何者かにとらわれた囚人のようで、実際小説内では囚人として登場する。無法地帯で生活することを選択して、逃れてきた、現代人が陥る専門性の罠とでもいう内容。文明といわれると、神の領域、バイオ、生命科学の分野DNAの解読に始まり、食や貧困の解消、生産スタイルの確立、あと残された課題は異常気象による環境変化ではないかと個人的には思う。

 

インフラの違いや飛行機や鉄道、食の自由度、災害対策、個々人の衣食住の充実が達成したあとの個々人の能力は前の世代のものとは比較にならない。都会育ちではなくても、インフラの充実は人をひ弱にしている、主人公と比較してだいぶ精肉や食物の調達、騎馬、衣類の調達、鋳造知識、銃弾の製造、火薬の知識は乏しい。製造されたものを購買して消費するので、製造工程や資材調達や製造者について想起もしない。だから、最近はやりなのか生産者の顔写真を掲載する生産物が多く、若干気持ち悪い。顔写真がなければ生産物を絶賛できるのに、それを生み出した人がおっさんだっていう点が気持ち悪いことが多くて、なぜか、営業と生産側って決して結びつかないという利点を感じる。小売りって生産者そのものではないということが重要なんだと思う。開かれた社会で、例えば代表が剥げてるとか、おっさんだとか、気持ち悪い顔立ちだっていうことで、醜くて売れないものが小売りで売れることが往々にしてあるということが最近分かってきて、実際いままで消費してしまった怖いものが今になって近寄ってきてるんじゃないかっていう恐怖感がある。じわじわーっとエンドユーザーみたいに気持ち悪い生産者が近寄ってきているんじゃないかっていう、自分ではそんなものを消費して生きてきたつもりがないのに、エンドユーザーとかいって、気持ち悪い生産者が周りにいたらっていう恐怖、お分かりいただけますでしょうか。生産者が気持ち悪いってことに気が付かなかった!っていうドン引きの状況がアラフォーなんじゃないかってことです。怖いです。今まできれいな顔立ちの営業が笑顔で売り飛ばされていたもので生産者が実は恐怖なゾーンで、まさにゾーンです。カスタマーサービスなんて充実しないでほしい、顧客に寄り添うっていうドン引きな状況になりかねず、ほんと怖いです。映画ピーターラビットでも農家が自家販している風のみなりで実は生産者ではない、生産者の身なりの売り子さんというのをちらつかせていて、あーっ!ビーバーさんですよ。ほんとうに恐怖です。メンインブラックのオレンジ農家です。エイリアンに身体を乗っ取られた、あの腐りかけの農家なんじゃないって、恐怖です。

 

ってことで、なぜ、主人公の父が鳥の首を切るように切ったのか、ボースウェイトが自治区を安寧に導いていたのを残忍に殺害して遺体を吊るすのか。被害者も加害者もどっちも重い。ダニエル以外だれも答えを知らない、暗示の解読、メネメネテケルウパルシンと手が壁に文字を残した。そしてそれは滅びの知らせ、統治者の終わりを意味していた。予兆を解き明かせるダニエル。ダニエルの火というのはダニエルの書のダニエルなのか。。。宗教を統治に用い、暴力的に自国領域を拡大してきた。

 

謎の文字を書く予言の手はまさに神の手、またレッセフェールですが、ディストピア的に読めないし、意味わからないし、見えないしで、神がかり的に何を孕ませたのか、原始的産業革命がネブガドネザルのバビロン捕囚的、混血に見え、気持ち悪いですねー。生命の原子爆弾みたいです。平和って混血産業なんでしょうか。宗教って怖いですね~($・・)/~~~

 

チャットGPTに教えていただいたんですけど、eben/イーベンは「岩の」という意味だそうです。神の子ならば命じてこの石をパンとよ。岩のような黒人との非情な関係から学べということでしょうか。相対的に出会った目にした頻度でイメージしている身体的特徴というものがあって、黒人とひとくくりにいって、ウィル・スミスとかナオミ・キャンベルとかホイットニー・ヒューストンとかジェニファー・ロペスとかデンゼル・ワシントンとかオバマが黒人とか浅黒タイプの代表にならないという点がすごいんですよね。〇〇族というタイプだとすらっとした手足、首が長く、視力のいい身体能力の高い未開の黒人で、筋肉質な胸板の厚いがっしりした大男でタトゥーだと都市文明の中の暴力的恐怖心を煽る黒人という南北戦争ですとかそういう印象がついて、浅黒いということは頻度の問題でよくユニセフで写真を見せられるので困ったこどもたちっていう広告がバシバシ流れているので、そういう困窮レッテルの子供が大人になったらどうなんだろうということで困っているのを言いふらしたあと大人になった困った子供たちってどう思うんだろうという点が非常に不可解で、日本だとプールの集合写真とか大会前に広報で掲載しているのが不快だって私は思うんですけど、卒業アルバムとかも写真は意外に気持ち悪い派です。一緒に映り込んだ人同士で何か詐欺にあったりするんじゃないんですかね。同質性って鬼です。日本でも黒人みたいな体系の黄色人種と思うことあるんです。坊主で首が短くて肉厚でむっちりした体系って怖いです。特に坊主怖いです。禿もだいぶ怖いですけど、丸めたとか詰めたとかいう怖いです。日本のお化けの墨汁で書かれた妖怪、ゲゲゲの鬼太郎でわら着ているお爺さんとかすなかけ婆とかほんと怖いです。妖怪は実在の日本人だということを思い知りまして、都内ってホント怖いです。アバター2もそういう身体的特徴をシャッフルしたところに何か意図的なところがありますよね。

 

顔に石灰をかけて暴行して丁度の関係性がイーベン・カラードとシャムスディンであるとすると、肌の色、人種、宗教の壁は未だに高いし、ハンディキャップを鑑みた足枷みたいに感じる(実際はめているが)囚われた世界しかないことがディストピア、でも周囲にいたハンディキャップをもった人たちから、もとの都会へ戻ればいいんじゃないかということで、置かれた場所疑念ということが持ち上がるわけで、どこで生きようが勝手なんで、脅威をもたらす、というか石灰投げられてからだと、もうハンディ世界に引きずりこまれているから、か。種類の異なる人と環境を同じくするリスクってハンディを背をわせようとする悪意から身を守らなきゃいけないから残念な身分だ・・・。皮膚の色?友好的にできないひとと一緒になるかならないかの自由はあっていいんじゃないかということで、嫌悪感に束縛というか強制は嫌だな。誰とでもっていうことはないから、友好的にできないことを悪く思うほうが変なんじゃないかな。合わないのに暴行されたりすることからの自由を獲得しなくてはならない。人生は闘いである。

 

ーメネ メネ テケル ウパルシンー