いくつであっても、大往生と言われる年齢であっても、母をなくすことはたまらなく寂しい。
認知症になって約10年、小柄な母の周りにはいつも誰かが付き添い、自然に集まっていた。
みんなの中心に小さな小さな母がいた。
何百回、何千回と一緒にした夜の体操、朝の散歩、楽しかったね。
十分な覚悟をする時間はあったのに、それでもその時が来ると動揺した。
最後の2週間は24時間体制で交代で見守った。
大好きな家で、最後までみんなに見守られながら旅立ちました。
我ながら10年、よくやってきたと思う。
後悔は何もない。
こんなにみんなに大切にされて、幸せな母であったと思う。
幸せだったよ、と言ってくれてると思う。
父が脳梗塞で入院した時は、一緒にお題目をあげたね。
30分くらいずっとあげたね。
生まれて初めて唱えた南無妙法蓮華経の法味はどうでしたか?
50回に1回くらいは、南無阿弥陀仏が混じっていたね笑
楽しかった介護生活でした。
私らの期待に応えて、何回も奇跡の復活を遂げてくれたね。
この人、不死身なんじゃ、、、?と思ったよ。
母の身体はいつまでも柔らかく、手も足もピカピカで美しく、生きている時よりきれいでした。
宝石のように輝いていました。
最期は無呼吸、誤嚥性肺炎、たまった胸水、全てを治しての見事な死でした。
地区の皆さんが、学会員でもない母のために、追善のお題目をあげてくださいました。
学会家族の名の通り、本当にありがたかったです。
人付き合いの苦手な母でしたが、最後は賑やかな賑やかな旅立ちで、嬉しいわぁ〜と言ってくれていることでしょう。
ちょっと骨休めしたら、また私ら親族の中に生まれ変わってきてね❗️
約束だよ〜‼️