母がまた、肺炎と心筋梗塞から来る心不全で3回目の入院をしている。

 

長くはないと、医師からも言われている。

 

退院後の行き先のことで病院から連絡があり、酸素が必要なのと、口からなかなか食事が取れないので点滴も必要で、そうなると家や施設では無理ではないかと。

 

療養型病院への転院で最後を迎えられては、という提案を受ける。

 

 

あーついにここまできたか、、、

 

いつか尽きる寿命であるのはわかっているが、それでもまだ私は名残り惜しい。

 

表現はおかしいが、気狂いのようであった母が認知症になって8年。

 

やっと普通?になり、もの忘れや徘徊を除けば、やっと私たちと穏やかな会話ができるようになったのである。

 

変な話であるが、何回もこのブログで書いている通り、信心したおかげで母は認知症になり、気狂いが治ったのである。

 

何が気狂いと言って、母の気狂いは、一番弱い次男に集中して向けられていた。

 

障害ある次男という孫を、何と徹底していじめていたのである。

 

 

長いことブログを書いてきたが、私はこれだけは書けなかった。

 

かわいそうで書けなかった。

 

だから気狂いというのである。

 

私も親ガチャというのは本当なのである。

 

私にできることは、次男を母から遠ざけることだけであった。

 

何を言い返しても、気狂いだから通じないのである。

 

死ななきゃ治らない、と思っていた。

 

それが何と、信心したおかげであると私は確信しているが、生きているうちに治ったのである。

 

こんな不思議なことがあるだろうか。

 

あんな母親で苦しまなければならないという宿業が、皮肉なことに認知症になったことで取れてしまったのである。

 

 

あの頃の母のいじめは次男だからこそ、耐えれたのだと思う。

 

次男は耐えれる器だからこそ、こんなつらい役割を担って生まれたのだと思う。

 

今では次男が「ばあさん、おかえり」と言うと、ニコニコして

「はい、ただいま」と言う。

 

こんな会話ができるようになるなんて、8年前までは考えたこともなかった。

 

これが功徳でなくて何だろうか。

 

とんでもない冥益の大きさに呆然となる。

 

あまりの変貌ぶりに次男は、特別に可愛がられてきた長男と自分をまちがえているのではないか、と言う。

 

双子なので、顔はそっくりであるからである。

 

それでも次男は嬉しそうである。

 

あれだけ嫌な思いをしてきたのに、私なら許せないだろうに、全て水に流して逆に嬉しそうにしている。

 

魂の格というのがあるなら、次男はとても高いのではないかと思う。

 

知的障害者ではあるが、人格者でもある。

 

母と次男が仲良く話している幸せを、もう少し見ていたい、と思う。

 

絶対にあり得なかったような幸せを、もう少し感じていたい、と思う。

 

できることなら、母を家に連れて帰りたい。

 

訪問看護をつけて、在宅診療を受けて、できることなら何でもやって、在宅で看取りたい。

 

病院から「亡くなられました」という連絡を受けるなんて、絶対嫌だ。

 

ここまで見てきたのです。

 

やっと気狂いが治って、穏やかな表情の母を数年間見れて、幸せな時間を過ごしたのです。

 

もう少し見ていたいです。

 

 

昨日1月25日は、池田先生が大阪事件の無罪判決を勝ち取った日であり、「関西女性部の日」でもありました。

 

組織では一日闘争ということで、私も深夜、母を連れて帰りたいとの思いでしんしんとお題目をあげました。

 

決意を込めてブログのデザインも変えました。

 

ピンクにし、今年の桜🌸を見せたいとの思いを一層強くしました。   



       

今日は医者と地域連携コーディネーターとのカンファレンスの日。

 

医者は相変わらず家や施設は無理と言ったが、コーディネーターの方は私たちの気持ちを汲んで、在宅診療や訪問看護を使えば不可能ではないと言ってくれた。

 

ありがとうございますと感謝を述べ、連れて帰ることに致しました。

 

 

さあ、毎日闘争です。

 

今までも毎日だったが、ますます毎日闘争です。

 

関われる人間全てをフル活動しての、毎日闘争です。

 

どうやってこなしていこうか、考えるのは苦ではありません。

 

むしろ楽しい。

 

幸せなばあさと次男の姿を見る幸せでありますから